小泉寿々子の人生 小泉八雲の母・ローザとの違い
小泉寿々子の死因は明らかにされていない
NHKの2025年後期朝ドラ「ばけばけ」に登場するレフカダ・ヘブン(トミー・バストウ)と松野トキ(髙石あかり)のモデルである小泉八雲・小泉セツ夫妻の長女・小泉寿々子(こいずみすずこ)は、1944(昭和19)年4月26日に井草の療養所で死去します。享年41。
小泉一雄の長男で小泉寿々子にとっては甥にあたる小泉時さんは、著作の「へルンと私」において小泉寿々子の晩年や最期の様子をこのように記述しています(引用した文章中にある「喜久恵」という人物は、小泉一雄の妻・喜久恵のことを指します)。
太平洋戦争もたけなわになり、山梨県の縁者の家に疎開させてもらったりもしたが、そこからも帰され、最後は井草の方にある療養所に入れていただいた。一週間に一、二度は喜久恵が見舞いに通っていたが、昭和十九年四月二十六日に亡くなってしまった。
小泉時 ヘルンと私 恒文社 129ページ
このように小泉時さんは叔母にあたる小泉寿々子が亡くなった事実と晩年の様子は語っているものの、小泉寿々子がなぜ亡くなったのか、直接の死因については触れられていません。
母・小泉セツや長男・小泉一雄と同居していた小泉寿々子
小泉寿々子は幼少の頃に猩紅熱から脳膜炎を引き起こしています。
この後遺症かどうかは分かりませんが、「ヘルンと私」によると、春や秋などの季節にはフラフラと出歩いて、同居している家族を心配させることがあったと言われています。
そのため小泉寿々子は母・セツが在世中の間は母とともに暮らし、小泉セツが1932(昭和7)年に亡くなったのちは、長兄・小泉一雄の一家とともに暮らしていました。
甥・小泉時さんから見た小泉寿々子の一生
小泉時さんは小泉一雄の息子であるため、一緒に暮らしていた小泉寿々子の様子を自著「へルンと私」において「寿々子叔母のこと」という章を割き、小泉寿々子はどんな一生を送ったのかを考察されています。
小泉時さんは幼少の頃に脳膜炎を患ってしまったことについて、大変気の毒なことであったと断った上で、「寿々子叔母のこと」の章をこのようにまとめています。
寿々子自身も気の毒な一生であったが、最後まで周囲の方々に迷惑をかけぬよう気配りの連続をしいられた一雄夫妻も、たいへんであったと思う。
八雲の母親ローザは、自分の子供から無理やりに離され、生まれ故郷のギリシアのコルフの精神病院で亡くなったが、寿々子の場合、一生を独身で過ごしたことは、不幸中の幸いではなかったか。また戦争中で苦しくなるまでは、まあまあの生活が送れたことも、ローザよりも幸せといえるのではないかと思われる。小泉時 ヘルンと私 恒文社 129ページから130ページ
小泉八雲の母・ローザについて
上記で引用した文章のうち、小泉八雲の母であるローザ・カシマチについて言及があります。ギリシアのイオニア諸島・キシラ島で生まれた八雲の母・ローザがどんな人生を送ったかについては、下記の記事が参考になります。
小泉寿々子 死因 関連記事と参考文献
小泉寿々子 死因 関連記事
幼い頃に脳膜炎に罹ったものの、「まあまあの生活が送れた」と評された小泉寿々子の人生については下記の記事で言及しています。合わせて参考にしてください。
小泉寿々子 死因 参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考文献としました。
