風、薫る 奥田亀吉とモデルの渡辺福之進豊綱
奥田亀吉とは
NHKの2026年前期朝ドラ「風、薫る」で三浦貴大さんが演じる奥田亀吉(おくだかめきち)とは、主人公・一ノ瀬りん(見上愛)の縁談相手に当たる人物です。
奥田亀吉のモデルは、一ノ瀬りんのモデルである大関和さんの夫・渡辺福之進豊綱(わたなべふくのしんとよつな)がモデルであると考えられます。
風、薫る 奥田亀吉の役柄
りんが住む村の隣町で明治時代になって運送業をはじめ、一代で財を成した。老舗の店主たちからは冷ややかな目で見られている。
三浦貴大さん プロフィール
1985年生まれ、東京都出身。NHKでは朝ドラ『エール』。創作テレビドラマ大賞『最終特快』や、プレミアムよるドラマ『キャロリング~クリスマスの奇跡』、土曜ドラマ『六畳間のピアノマン』などに出演。
渡辺福之進豊綱とはどのような人物だったのか
大関和の夫・渡辺福之進豊綱とは
1876(明治9)年、大関和さんは黒羽藩の士族・渡辺福之進豊綱(わたなべとふくのしんとよつな)と結婚。
渡辺福之進豊綱は戊辰戦争に従軍した人物で、明治維新後は陸軍少尉補として東京鎮台に勤務し、さらに陸軍少尉として熊本鎮台・広島鎮台にも勤務した経験がありました。
2人が結婚したときの年齢は大関和さんが18才で、渡辺福之進豊綱が40才。22才の年が離れた結婚でした。
渡辺福之進豊綱(柴田豊乃進福綱)の人物像
NHKは朝ドラ「風、薫る」では奥田亀吉の役柄を「明治時代になって運送業をはじめ、一代で財を成した」としています。
「風、薫る」の原案となっている「明治のナイチンゲール 大関和物語」では、大関和の夫に当たる人物を「柴田豊乃進福綱(しばたとよのしんふくつな)」として、陸軍少尉であったという肩書きの他に、黒羽で大地主をしているという設定です。
大関和さんの出身である旧・黒羽藩があった黒羽地区を含む栃木県の大田原市の地域史料デジタルアーカイブの中には、会津戦争(1868年5月~6月)において新政府軍に味方するために黒羽藩から出征した藩士たちの中に「渡辺福之進」という名前を確認できます。
このことから奥田亀吉のモデルとなった男性の名前は、柴田豊乃進福綱ではなく、渡辺福之進豊綱だったと考えるべきでしょう。
渡辺福之進豊綱と大関和の結婚と離婚
初めての子供に「六郎」の名を授ける
しかし大関和さんが渡辺福之進豊綱に嫁いだときには、夫はすでに5人の妾たちがいました。このことは夫に大関和さんを大いに苦しめることになります。
大関和さんが1877(明治10)年に渡辺福之進豊綱との初めての子供を出産する際には、すでに5人の子供がおり、そのために子供の名前を大関六郎(おおぜきろくろう)と名付けることになったほどです。
和は衝撃を受けた。福之進には数人の妾があり、それぞれに子どもがあったのだ。和は福之進をなじった。だが、年の離れた夫は、妾をもつのは男の甲斐性とばかりに平然としたものだった。そればかりか、女の嫉妬は見苦しい、と一喝する。和は口惜しかった。
大関和と渡辺福之進豊綱は離婚
当時の明治政府は男性たる夫が妾を持つことを合法として認めており、妾は妻と同じく夫との関係において二親等であることが定められました。
しかし、大関和さんはこうした男性の不貞を一方的に認める法律や風潮に嫌気がさして、1880(明治13)年に長女の大関心(おおぜきしん)さんを実家で出産すると、婚家に戻ることを拒否。のちに六郎さんを引き取って正式に離縁することとなります。
こうした大関和さんの「一夫多妻制」への不信は、のちに「一夫一婦制」を説くキリスト教を信仰するきっかけとなり、1887(明治19)年には植村正久牧師(朝ドラ「風、薫る」の吉江善作のモデル)から洗礼を受けることにつながりました。
風、薫る 奥田亀吉 関連記事と参考文献
風、薫る 奥田亀吉 結婚相手 関連記事
朝ドラ「風、薫る」の主人公の一人である一ノ瀬りん(見上愛)のモデルとなった大関和さんと渡辺福之進豊綱との結婚や離婚については下記の記事でも詳しく紹介しています。
また2人の間にできた子供たちである、大関六郎さんと大関心さんについては下記の記事で詳しく紹介しています。
風、薫る 奥田亀吉 結婚相手 参考文献
今回の記事は下記の書籍を参考文献としています。これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」は朝ドラ「風、薫る」の原案になっています。
- 亀山美知子 大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語 ドメス出版
- 田中ひかる 明治のナイチンゲール 大関和物語 (中公文庫)
- 宮田茂子 《新装版》「大関和」を通して見た日本の近代看護【真説】国家的セクハラを受けた職業集団 星湖舎
