大関心(おおぜきしん)は、日本最初期の看護婦として知られる大関和さんの娘です。
女子学院を卒業した後、慈恵看護婦教育所へ進学し、母と同じく看護婦を目指していました。
しかし1900(明治33)年、結核のため若くして亡くなり、看護婦になることはできませんでした。
朝ドラ「風、薫る」に登場する一ノ瀬環のモデル候補とも考えられる人物です。
本記事では、大関心の生涯や家族、看護婦を目指した経緯について解説します。
→ 一ノ瀬環のモデルは大関心?りんの娘の史実を解説
→ 大関和の家系図|夫・子供・親族を解説
結論|大関心は看護婦を目指すも結核で亡くなった
・大関和の娘として育つ
・女子学院を卒業
・慈恵看護婦教育所へ進学
・母と同じく看護婦を志した
・1900(明治33)年に結核で死去
・看護婦になる夢はかなわなかった
・朝ドラ「風、薫る」の一ノ瀬環のモデル候補とも考えられる
大関心さんとはどんな人物だったのか
心が生まれてすぐ両親が離婚
1880(明治13)年、大関心さんは渡辺福之進豊綱(わたなべふくのしんとよつな)と大関和さんとの間の女子として誕生します(朝ドラ「風、薫る」ではりんの娘である環がモデル)。
しかし大関和さんは大関心さんを実家で出産したときには、渡辺福之進豊綱とすでに離婚することを決意しており、心さんは父親の顔を見ることはなかったと考えられます。
祖母の大関哲さんによって養育された大関心
離婚した大関和さんは、息子の六郎さんと娘の心さん、さらには妹・釛さん、母・哲さんを連れて上京します。
上京した大関和さんは、1887(明治20)年に桜井女学校(現在の女子学院)内にある看護婦養成所(桜井看護学校)に入学し、帝国大学医科大学附属第一医院(現在の東京大学医学部附属病院)で外科看病婦取締(今でいう看護師長)として勤務することになります。
さらには1890(明治23)年には、高田女学校の舎監の職を経て、知命堂病院に看護師長兼講師として1896(明治29)年まで高田の地に留まります。
大関和さんは現代で言うところの「シングルマザー」であり、大関家の家計を一手に支えていました。そのため六郎さんと心さんの子育ては、大関和さんの母である哲さんが担当。心さんの「育ての親」は祖母だったのです。
母のような看護婦になるために看護学校に入学
大関和さんは大関心さんの子育てにあまり関わることはありませんでしたが、それでも心さんは将来の職業を、母親の大関和さんと同じ看護婦に定めます。
大関心さん桜井女学校の後身である女子学院を卒業したのち、慈恵看護婦教育所(現在の慈恵看護専門学校)に看護学生として通うようになりました。
結核のため20才の若さで亡くなる
しかし、1900(明治33)年、大関心さんは結核のために20才という若さで亡くなります。
慈恵看護教育所で座学を受けているときに、風邪の症状を訴えて病院を受診したところ結核と診断され、その4ヶ月後には亡くなるというあっけないものでした。
このとき大関和さんは、心さんと過ごす時間があまりにも少なすぎたことを激しく後悔したと言います。
結核のため看護婦になれなかった
当時の結核は「不治の病」とも呼ばれ、多くの人々の命を奪っていました。
大関心さんも看護婦の資格を取得する前に亡くなったため、母・大関和さんと同じ看護婦として働くことはできませんでした。
もし長く生きていれば、母とともに日本の看護界で活躍した可能性もあったでしょう。
沢本操に大関心の重ね合わせた大関和
後年、大関和さんの息子である六郎さんは、「東京看護婦会」に所属する看護婦である沢本操さんという女性と結婚します。
沢本操さんは評判の良かった「東京看護婦会」の中でも特に優秀な看護婦で、その快活な様子を見ると、大関和さんは思わず在りし日の大関心さんと重ね合わせていたそうです。
風、薫る 全話あらすじと最終回までのネタバレ
風、薫る 全話あらすじ
「風、薫る」の各週のあらすじについては、下記の記事で詳しく解説しています。
風、薫る 最終回までのネタバレ
「風、薫る」の最終回までの展開や、りん・直美ら主要人物の結末については、下記の記事で詳しく解説しています。
参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考文献としています。なお「明治のナイチンゲール 大関和物語」は朝ドラ「風、薫る」の原案となっています。
- 吉瀬智子 連続テレビ小説 風、薫る Part1 NHKドラマ・ガイド NHK出版
- 亀山美知子 大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語 ドメス出版
- 田中ひかる 明治のナイチンゲール 大関和物語 (中公文庫)
- 宮田茂子 《新装版》「大関和」を通して見た日本の近代看護【真説】国家的セクハラを受けた職業集団 星湖舎
