小泉セツの結婚・離婚・再婚について
小泉セツには離婚・再婚歴があった
NHKの2025年後期朝ドラ「ばけばけ」のヒロイン・松野トキ(髙石あかり)のモデルとなっている小泉セツは、生涯のうち2度結婚をしています。
1度目の結婚相手は前田為二(「ばけばけ」山根銀二郎のモデル)で、2度目の結婚は、「ばけばけ」のレフカダ・ヘブン(トミー・バストウ)のモデルとなっている小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)です。
小泉セツ 結婚関連の年表
西暦(和暦) | 年齢 | できごと |
---|---|---|
1886(明治19)年 | 18才 | 稲垣家の養嗣子となった前田為二と最初の結婚 |
1887(明治20)年 | 19才 | 夫・前田為二が出奔。 |
1890(明治23)年 | 22才 | 前田為二と法的離婚が成立。ラフカディオ・ハーンが籠手田安定の招聘により島根県立尋常中学校の英語教師として赴任 |
1891(明治24)年 | 23才 | 2月に富田旅館でラフカディオ・ハーンの住み込み女中に。8月に西田千太郎の仲立ちで二度目の結婚をし熊本へ転居。 |
1893(明治26)年 | 25才 | 長男・一雄が誕生 |
1896(明治29)年 | 28才 | ラフカディオ・ハーンが日本国籍に帰化し「小泉八雲」と名乗る。 |
1897(明治30)年 | 29才 | 次男・巌が誕生 |
1899(明治32)年 | 31才 | 三男・清が誕生 |
1903(明治36)年 | 35才 | 長女・寿々子が誕生 |
1904(明治37)年 | 36才 | 小泉八雲が小説「怪談」を発表。 小泉八雲が狭心症で急逝 |
1905(明治38)年 | 37才 | 在りし日のハーンの様子を語った「思ひ出の記」を執筆 |
1925(大正14)年 | 57才 | 孫の小泉時が誕生 |
小泉セツ 最初の夫 前田為二との結婚
1年を待たず破綻した結婚生活
小泉セツは、1886(明治19)年、18才のときに養家の稲垣家に婿養子として迎えられた前田為二と最初の結婚をします。
前田為二は働き者で歌舞伎や人形浄瑠璃などが好きな青年でした。お話好きなセツにとって、前田為二はぴったりのお相手で、「鳥取の布団」のようなお話を教えてもらうこともありましたが、2人の結婚はすぐに破綻します。
前田為二自ら稲垣家を去る
破綻の理由は、前田為二が因幡国鳥取藩に仕える足軽の家の出身で、その出自をセツの養父・稲垣金十郎と養祖父・稲垣万右衛門が「軽輩」としてけなしていたためです。
その割には金十郎と万右衛門は稲垣家の家計を支えることはせず、無為に過ごしていたことが為二にとって我慢がならなかったようです。
1887(明治20)年に為二は自ら稲垣家を去り、1890(明治23)年にセツとの離婚が法的に成立。このときセツは苗字を「稲垣」から「小泉」に改めます。
ばけばけの山根銀二郎
朝ドラ「ばけばけ」で寛一郎さんが演じる山根銀二郎の役柄は、「トキのお見合い相手で鳥取県因幡の貧窮足軽の次男」という設定です。こうした設定は、実在した前田為二を意識したものであると考えられます。
小泉セツ 2番目の夫 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)との結婚
八雲の母・ローザの境遇に重ねられた小泉セツ
小泉セツの2度目の結婚は1891(明治24)年8月で、結婚相手は島根県尋常中学校(現在の島根県立松江北高等学校)の英語教師であったラフカディオ・ハーンでした。このときセツは23才でハーンが41才です。
小泉セツは同年2月から富田旅館の女将である富田ツネの紹介で、ハーンの借家で住み込み女中となっていました。
このときからハーンは上級武士の家系から没落したセツと、母のローザ・カシマチの悲しい境遇を重ね合わせるようになり、セツとの結婚に至ったと考えられています。
西田千太郎の仲立ちによる国際結婚
2人の結婚は当時は珍しい国際結婚で、しかもラフカディオ・ハーンがイギリス国籍を捨てて、日本国籍になるという形態です。
セツとハーンは簡単な日本語を英語の文法に合わせることによって意思疎通を図っていました。しかしセツに前田為二との婚姻歴があることや、養家の稲垣家と生家の小泉家に合計6人の扶養家族がいるなど、セツは複雑なことを英語で説明することはできません。
このとき2人の意思疎通を助け、結婚の仲立ちを人物が、島根県尋常中学校の教頭・西田千太郎(「ばけばけ」錦織友一のモデル)でした。西田はハーンの帰化申請にも尽力したと言われています。
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