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小泉八雲とセツの年齢差は18才
小泉八雲が41才 小泉セツが23才のときに結婚
NHKの朝ドラ「ばけばけ」に登場するレフカダ・ヘブン(トミー・バストウ)と主人公・松野トキ(髙石あかり)のモデルとなった小泉八雲と、その妻である小泉トキの年の差は18歳です。
小泉八雲(ラフカディオ・ヘブン)が誕生した年は、1850(嘉永3)年であるのに対して、セツが生まれた年は1868(慶応4)年です。
さらに八雲とセツが実質的に結婚したのは1891(明治23)年8月で、八雲が41才でセツが23才のときのことでした。
八雲が亡くなったのは54才 セツは36才だった
なお小泉八雲が狭心症で亡くなったのは1904年(明治37)年のことで、八雲の享年は54才で、セツが36才のときのことです。
さらにセツが亡くなったのは1932(昭和7)年で、セツが64才のときのことです。八雲が亡くなってから28年の歳月が流れていました。
下記では小泉八雲とセツの年表を付け加えておきます。小泉八雲とセツの年齢差だけでなく、何才のときにどんな出来事があったのか知るためにお使いください。
小泉八雲とセツの年表
小泉八雲の年表
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西暦(和暦) | 年齢 | できごと |
---|---|---|
1850(嘉永3) 年 | 0才 | 6月27日にギリシャ・レフカダ島でラフカディオ・ハーンとして誕生。父はチャールズ・ハーン、母はローザ・カシマチ |
1854(嘉永7)年 | 4才 | 母・ローザと永別 |
1857(安政4)年 | 7才 | 父・チャールズと永別 |
1863(文久3)年 | 13才 | イングランド・ダーラム市郊外のアショー・カレッジに入学 |
1866(慶応2)年 | 16才 | 左目を失明 |
1867(慶応3)年 | 17才 | 大叔母のブレナン夫人が破産したことによりアショー・カレッジを退学。ロンドンで貧窮生活を送る |
1869(明治2)年 | 19才 | アメリカ・ニューヨークを経由してシンシナティへ移住 |
1874(明治7)年 | 24才 | 「シンシナティ・インクワイアラー」紙の記者となる。 アリシア・フォリーと最初の結婚 |
1877(明治10)年 | 27才 | シンシナティを去り、ニューオーリンズに居住。餓死寸前の貧窮生活を経験 |
1881(明治14)年 | 31才 | アメリカ南部の「タイムズ・デモクラット」紙の文芸部長に |
1882(明治15)年 | 32才 | エリザベス・ビスランドと知り合う |
1883(明治16)年 | 33才 | ニューオーリンズで開催された万国博覧会で日本の美術品に興味を持つ |
1887(明治20)年 | 37才 | ニューヨークで小説「チータ」を推敲。西インド諸島のフランス領マルティニーク島に移る |
1890(明治23)年 | 40才 | アメリカの出版社「ハーパー社」との契約により来日。島根県知事・籠手田安定の招聘に応じ、島根県尋常中学校の英語教師に |
1891(明治24)年 | 41才 | 2月に富田旅館で小泉セツを住み込み女中として雇う。8月に西田千太郎の仲立ちで二度目の結婚。11月に第五高等学校に赴任するために熊本へ転居 |
1893(明治26)年 | 43才 | 長男・一雄が誕生 |
1896(明治29)年 | 46才 | セツとの結婚が法的に成立し日本国籍に帰化。東京帝国大学文科大学の講師に就任 |
1897(明治30)年 | 47才 | 次男・巌が誕生 |
1899(明治32)年 | 49才 | 三男・清が誕生 |
1902(明治35年) | 52才 | 小説「骨董」を出版 |
1903(明治36年) | 53才 | 長女・寿々子が誕生。東京帝国大学を退職 |
1904(明治37年) | 54才 | 4月に小説「怪談」を出版。9月26日に狭心症のため亡くなる |
1905(明治38)年 | – | 妻・セツが在りし日のハーンの様子を語った「思ひ出の記」を執筆 |
小泉セツの年表
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西暦(和暦) | 年齢 | できごと |
---|---|---|
1868(慶応4) 年 | 0才 | 2月4日に小泉家で誕生。稲垣金十郎・トミ夫妻の養女となる |
1876(明治9)年 | 8才 | 内中原小学校下等科に入学。城下町の外れに転居 |
1879(明治12)年 | 11才 | 内中原小学校下等科を修了。機織りの女工となる |
1886(明治19)年 | 18才 | 稲垣家の養嗣子となった前田為二と最初の結婚 |
1887(明治20)年 | 19才 | 夫・前田為二が出奔。実父の小泉湊が病気のため死去 |
1890(明治23)年 | 22才 | 前田為二と法的離婚が成立。ラフカディオ・ハーンが籠手田安定の招聘により島根県立尋常中学校の英語教師として赴任 |
1891(明治24)年 | 23才 | 2月に富田旅館でラフカディオ・ハーンの住み込み女中に。8月に西田千太郎の仲立ちで二度目の結婚をし熊本へ転居。 |
1893(明治26)年 | 25才 | 長男・一雄が誕生 |
1896(明治29)年 | 28才 | ラフカディオ・ハーンが日本国籍に帰化し「小泉八雲」と名乗る。東京へ転居 |
1897(明治30)年 | 29才 | 次男・巌が誕生 |
1898(明治31)年 | 30才 | 祖父・稲垣万右衛門が亡くなる |
1899(明治32)年 | 31才 | 三男・清が誕生 |
1900(明治33)年 | 32才 | 父・稲垣金十郎が亡くなる |
1903(明治36)年 | 35才 | 長女・寿々子が誕生 |
1904(明治37)年 | 36才 | 小泉八雲が小説「怪談」を発表。 小泉八雲が狭心症で急逝 |
1905(明治38)年 | 37才 | 在りし日のハーンの様子を語った「思ひ出の記」を執筆 |
1912(明治45)年 | 44才 | 1月に実母・小泉チエが、8月に養母・稲垣トミが亡くなる |
1923(大正12)年 | 55才 | 9月に関東大震災が発生 |
1925(大正14)年 | 57才 | 孫の小泉時が誕生 |
1932(昭和7)年 | 64才 | 脳溢血で亡くなる |
