風、薫る バーンズのモデル アグネス・ヴェッチ
風、薫るのバーンズとは
NHKの2026年前期朝ドラ「風、薫る」でエマ・ハワードさんが演じるバーンズとは、りんと直美が通う「梅岡看護婦養成所」で看護学を教えるスコットランド人教師です。
バーンズのモデルは実在したアグネス・ヴェッチ(1842~1942年)がモデルになっていると考えられます。
アグネス・ヴェッチとは1887(明治20)年9月に来日し、実在した看護学校の「桜井女学校附属看護婦養成所」で看護学と看護実習を担当していたスコットランド人教師です。
風、薫る バーンズの役柄
朝ドラ「風、薫る」のガイドブックである「連続テレビ小説 風、薫る Part1 NHKドラマ・ガイド」に掲載されている「あらすじ」によると、バーンズは日本語が堪能であるものの、授業はすべて英語で行う看護学担当のスコットランド人教師として描かれています。
風、薫る バーンズ 役 エマ・ハワードさん プロフィール
イギリス出身。ロンドンの演劇学校で学んだのち多くの舞台作品に出演。NHKでは「負けて、勝つ」などに出演
アグネス・ヴェッチとはどんな人物だったのか
アグネス・ヴェッチとは: 来日の経緯
アグネス・ヴェッチは1842(天保13)年、イギリスの構成国の1つであるスコットランド・エジンバラで誕生。
エジンバラに王立診療所ができたのち、1873(明治6)年には「ナイチンゲール方式」の看護学校も設立され、ヴェッチはその学校で10ヶ月の「レディ看護婦」としての訓練を受けることに。
「レディ看護婦」とは「看護婦の管理者・マネージャー」になることを前提とした看護婦のことです。
アグネス・ヴェッチは来日前の数年間、中国においてキリスト教伝道の一環として看護活動に従事していたと考えられていますが、日本でナイチンゲール方式の看護学が広められる機会を見つけて来日することを希望。
彼女の姪にあたるE・M・ヴェッチによれば、「日本では欧化の風潮が高まり、皇后の希望でまたとないチャンスが訪れ、アグネス・ヴェッチは黎明期の日本でナイチンゲールシステムによる看護を伝えるため、派遣されました」とあるのみである(The Pelicand Nurse League Journal of the Royal Infumary Edimburgh Scool of Nursing in 1972. ‘Agnes Vetch’)。
もしこの記述が正しいとすれば、ヴェッチは何らかの意図で日本に看護教育を行うために中国からやって来たことになる。亀山美知子 「女たちの約束: M.T.ツル-と日本最初の看護婦学校」ドメス出版 137ページから138ページまで
同じころ、ヨーロッパの医療制度や事情を研究していた帝国大学医科大学学長(現在の東京大学医学部の学部長に相当)の三宅秀(みやけひいづ/すぐる)は、看護婦の有用性を認めて、優秀な指導者を求めていました。
そんなとき桜井女学校附属看護婦養成所の経営者である、マリア・T・ツルー(「風、薫る」のメアリーのモデル)が教授としてアグネス・ヴェッチを招聘したことを聞きつけ、三宅秀は1887(明治21)年10月27日付で帝国大学医科大学第一医院における看護学教授の「お雇い外国人」として契約するに至りました。
アグネス・ヴェッチの年表
アグネス・ヴェッチの年表は以下の通りです。
アグネス・ヴェッチは、1887(明治20)年10月下旬から1888(明治21)年10月下旬の約1年間、桜井女学校附属看護婦養成所と帝国大学医科大学第一医院看護法講習科の2つの看護学校において、看護学の教鞭を執っていたことが分かっています。
| 西暦(和暦) | 年齢(満年齢) | できごと |
|---|---|---|
| 1842(天保13)年 | 0才 | スコットランドのエジンバラで誕生 |
| 1874(明治7)年 | 32才 | 地元の王立診療所が運営する看護学校を特待生として卒業 |
| 1881(明治14)年 | 39才 | 伝道活動のため中国に赴任 |
| 1887(明治21)年1月 | 45才 | 大関和・鈴木雅らが桜井女学校附属看護婦養成所に入学 |
| 1887(明治21)年10月27日 | 45才 | 「お雇い外国人」として帝国大学医科大学第一医院(現在の東京大学医学部附属病院)の看護学教授として赴任。契約期間は6ヶ月 |
| 1888(明治22)年4月26日 | 46才 | 「お雇い外国人」としての契約が6ヶ月間延長される |
| 1888(明治22)年10月26日 | 46才 | 帝大第一医院看護法講習科と桜井女学校附属看護婦養成所による合同の看護学生修了式に臨席 |
| 1888(明治22)年11月 | 46才 | 任期満了につきスコットランドへ帰国 |
| 1942(昭和17)年 | 100才 | 死去 |
アグネス・ヴェッチによる看護教育
アグネス・ヴェッチの通訳を担当したのは鈴木雅
「風、薫る」の第6週では「梅岡看護婦養成所」にバーンズが着任し英語による授業風景が描かれます。
声の主はバーンズだった。バーンズは英語で一気に自己紹介をし、早速授業を開始すると言った。直美以外はバーンズの英語についていけず、直美が訳すことになった。
「風、薫る」のガイドブックに掲載されている「あらすじ」によると、のちになってバーンズは日本語が堪能であることが明らかになります。
しかし実在したアグネス・ヴェッチはスコットランド生まれです。さらに来日前の数年間は伝道のために中国に赴任していたことを考えると、込み入った会話をするために必要となる複雑な日本語はほとんど話せなかったと考えられます。
そのためフェリス・セミナリー(現在のフェリス女学院)と日本婦女英学校(現在の横浜共栄学園)という2つの女学校で英語を学んだ鈴木雅(「風、薫る」の大家直美のモデル)さんが、ヴェッチの通訳をして看護学に授業が行われていました。
ヴェッチの通訳を引き受けたのは共立女学校出身の鈴木雅だった。ブラインやピアソンたちの教育の成果はこんなところにも表れた。結婚生活によって英語から長い間遠ざかっていた雅は、桜井女学校に入ったとき再びその能力を取り戻したのである。
看護学生たちとともに寮生活をしたアグネス・ヴェッチ
大関和(一ノ瀬りんのモデル)さんや鈴木雅さんが看護学生であった当時、「お雇い外国人」は政府の大臣や高級官僚に匹敵するほどの「高給取り」として知られていました。
しかしアグネス・ヴェッチは帝国大学の「お雇い外国人」となったにもかかわらず、「桜井女学校附属看護婦養成所」看護学生たちと東京の本郷西片町にあった寄宿舎で寮生活をすることにこだわります。
これは何もアグネス・ヴェッチが住居費をケチっていたいう訳ではありません。ヴェッチが学んだ看護学校では「ナイチンゲール方式」が取り入れられていたからです。
「ナイチンゲール方式」が取り入れられた看護学校では、教師と学生が寝食を共にすることが奨励されていました。ヴェッチは、その精神を日本で最初期のトレインドナースたちにも伝えたかったという思いがあったと考えられます。
風、薫る 全話あらすじと最終回までのネタバレ
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また「風、薫る」に登場する人物の中にはアグネス・ヴェッチがモデルと考えられるバーンズ以外にも、実在した人物がモデルとなっている登場人物がいます。その「モデル一覧」については下記の記事が参考になるでしょう。
風、薫る バーンズ モデル 参考文献
今回の記事は下記の書籍を参考文献としています。これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」は朝ドラ「風、薫る」の原案にもなっています。
