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大関和 娘 大関心(おおぜきしん) 大関和の子供

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目次

20才の若さで亡くなった大関心

大関和の娘・大関心とは

NHKの2026年前期朝ドラ「風、薫る」で主人公・一ノ瀬りん(見上愛)のモデルは、大関和(おおぜきちか)(1858~1932年)さんです。

大関和さんは明治時代に「トレインドナース」となり、明治・大正期を通じて偏見の多かった看護婦という職業の確立に多大な貢献をされました。その活躍から「明治のナイチンゲール」とも呼ばれています。

その大関和さんには2人の子供たちがいました。息子の大関六郎(おおぜきろくろう)さんと娘の大関心(おおぜきしん)さんです。今回はそのうち、心さんにスポットを当てた記事となります。

大関和 娘 大関心 参考文献

大関和さんの娘・大関心さんに関する内容について参考とした文献は以下の2冊です。

これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」は朝ドラ「風、薫る」の原案

大関心さんとはどんな人物だったのか

心が生まれてすぐ両親が離婚

1880(明治13)年、大関心さんは渡辺福之進豊綱(わたなべふくのしんとよつな)と大関和さんとの間の女子として誕生します。

しかし大関和さんは大関心さんを実家で出産したときには、渡辺福之進豊綱とすでに離婚することを決意しており、心さんは父親の顔を見ることはなかったと考えられます。

祖母の大関哲さんによって養育された大関心

離婚した大関和さんは、息子の六郎さんと娘の心さん、さらには妹・釛さん、母・哲さんを連れて上京します。

上京した大関和さんは、1887(明治20)年桜井女学校(現在の女子学院)内にある看護婦養成所(桜井看護学校)に入学し、帝国大学医科大学附属第一医院(現在の東京大学医学部附属病院)で外科看病婦取締(今でいう看護師長)として勤務することになります。

さらには1890(明治23)年には、高田女学校の舎監の職を経て、知命堂病院に看護師長兼講師として1896(明治29)年まで高田の地に留まります。

大関和さんは現代で言うところの「シングルマザー」であり、大関家の家計を一手に支えていました。そのため六郎さんと心さんの子育ては、大関和さんの母である哲さんが担当。心さんの「育ての親」は祖母だったのです。

母を目標に看護学校に入学

大関和さんは大関心さんの子育てにあまり関わることはありませんでしたが、それでも心さんは将来の職業を、母親の大関和さんと同じ看護婦に定めます。

大関心さん桜井女学校の後身である女子学院を卒業したのち、慈恵看護婦教育所(現在の慈恵看護専門学校)に看護学生として通うようになりました。

結核のため20才の若さで亡くなる

しかし、1900(明治33)年、大関心さんは結核のために20才という若さで亡くなります。

慈恵看護教育所で座学を受けているときに、風邪の症状を訴えて病院を受診したところ結核と診断され、その4ヶ月後には亡くなるというあっけないものでした。

このとき大関和さんは、心さんと過ごす時間があまりにも少なすぎたことを激しく後悔したと言います。

沢本操に大関心の重ね合わせた大関和

後年、大関和さんの息子である六郎さんは、「東京看護婦会」に所属する看護婦である沢本操さんという女性と結婚します。

沢本操さんは評判の良かった「東京看護婦会」の中でも特に優秀な看護婦で、その快活な様子を見ると、大関和さんは思わず在りし日の大関心さんと重ね合わせていたそうです。

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