風、薫る 今井益男のモデル 佐藤三吉
風、薫るの今井益男とは
NHKの2026年前期朝ドラ「風、薫る」で古川雄大さんが演じる今井益男(いまいますお)とは、主人公の一ノ瀬りん(見上愛)と大家直美(上坂樹里)がトレインドナースになるための看護実習をする、帝都医大病院外科の教授で責任者です。
この今井益男のモデルは実在した佐藤三吉(さとうさんきち)(1857~1943年)をモデルにしていると考えられます。
佐藤三吉は明治時代半ばから大正時代にかけて、東京帝国大学医科大学(現在の東京大学医学部)教授・東京帝国大学医科大付属医院長・東京帝国大学医科大学長を歴任した人物として知られています。
風、薫る 今井益男の役柄
NHKは朝ドラ「風、薫る」に登場する今井益男の役柄について、以下の通り発表しています。
帝都医大病院外科の教授。ドイツ留学帰りのトップエリート。
【風、薫る】新たな出演者発表 第7弾【NHK朝ドラ公式】 – 連続テレビ小説「風、薫る」 見どころ – 風、薫る – NHK
風、薫る 今井益男 役 古川雄大さん プロフィール
1987年生まれ、長野県出身。NHK朝ドラには「エール」に出演。
佐藤三吉とはどんな人物だったのか
佐藤三吉とは
佐藤三吉は1857(安政4)年11月15日に、美濃国大垣藩(現在の岐阜県大垣市)の藩士・佐藤只五郎の三男として誕生。
1882(明治15)年に帝国大学医科大学(現在の東京大学医学部)を卒業し、1883(明治16)年にドイツのベルリン大学に留学し外科学を学ぶ。1887(明治19)年には東京帝国大学教授に任じられ、1901(明治34)年には東京帝国大学医科大学付属医院院長に就任。
さらに1918年(大正7年)には東京帝国大学医科大学の学長に就任しました。
佐藤三吉の年表
| 西暦(和暦) | 年齢(数え) | できごと |
|---|---|---|
| 1857(安政4)年 | 1才 | 大垣藩藩士・佐藤只五郎の三男として誕生 |
| 1871(明治4)年 | 15才 | 大学南校(現在の東京大学)に入学 |
| 1882(明治15)年 | 26才 | 帝国大学医科大学を卒業 |
| 1883(明治16)年 | 27才 | ドイツのベルリン大学を卒業 |
| 1887(明治19)年 | 31才 | 東京帝国大学教授(外科)に任じられる |
| 1888(明治21)年 | 32才 | 外科の医局に大関和が看病婦取締として配属される |
| 1890(明治23)年 | 34才 | 9月、大関和から看病婦の待遇改善に関する建議書を提出され、新潟県高田にある知命堂病院に行くとこを勧める |
| 1901(明治34)年 | 45才 | 東京帝国大学医科大学付属医院院長に就任 |
| 1909(明治42)年 | 53才 | 帝国学士院会員に任命される |
| 1918(大正7)年 | 62才 | 東京帝国大学医科大学学長に就任 |
| 1921(大正10)年 | 65才 | 定年退官、東京帝国大学名誉教授となる |
| 1922(大正11)年 | 66才 | 貴族院議員に就任 |
| 1943(昭和18)年 | 87才 | 6月17日に死去 |
佐藤三吉と大関和の史実
佐藤三吉は大関和と「上司と部下」の関係だった
朝ドラ「風、薫る」では主人公・一ノ瀬りんと大家直美は看護学生として看護実習となる病院が、帝都医大病院となると説明しています。りんと直美は、その帝都医大病院で教授兼外科医局長をしている今井益男と出会うことになるのでしょう。
一ノ瀬りんのモデルとなる大関和さんが、外科の医局長をしていた佐藤三吉と知り合うのは、1888(明治21)年に看護実習を終えて外科の看病婦取締(現在の看護師長の職に相当)に配属されたのちのことです。
つまり史実においては、佐藤三吉と大関和さんは「上司と部下」の関係だったのです。
卒業と同時に帝大医科大学医院に勤めることになった大関和は、外科の看病婦取締に就任した。上司は外科教授の佐藤三吉である。和の同級生の鈴木雅、桜川里以はそれぞれ内科看病婦取締となった。
根回しなしで佐藤三吉に看病婦の待遇改善の建議書を提出した大関和
朝ドラ「風、薫る」で今井益男を演じる古川雄大さんは、自身の役柄について「しばしば主人公と対立する」と説明しています。
実はこの役柄を反映していると考えられる出来事が、1890(明治23)年9月に帝国大学医科大学第一医院の中で発生しています。
大関和さん・鈴木雅さん・桜川里以(「風、薫る」の玉田多江のモデル)が、トレインドナースとして着任して以降、彼女たちに触発され、従来からいた看病婦(専門教育を受けていない従来からいた看護婦たちのこと)たちがこぞって看護の専門知識を勉強し始めたのです。
しかし看病婦たちが勉強を始めるといっても、病院内での看護業務を軽減してもらえたわけではありません。日中に目一杯働いて、夜中に勉強をするというサイクルだったので、看病婦たちはかえって疲れ果てやる気を失ってしまうという状況が生まれてしまったのです。
そこで物事を純粋に考える傾向があった大関和さんは、周囲の医師たちに全く相談することなく、いきなり外科医局の責任者である佐藤三吉に対して、看病婦の労働条件や待遇などを改善するための建議書を提出。
その建議書の内容は漢文調で、「さすがは元・家老の娘が書いた文章」と思わずにはいられない内容です。その内容の一部は以下の通りです
大関和が佐藤三吉に提出した建議書(一部)
外科看病婦取締大関和謹で医科大学第一醫院外科監督佐藤教授閣下に呈す妾(わらわ)熟々(つらつら)惟(おもんみ)るに近来看病婦養成并びに病室改良日に月に歩をすゝめ従つて業務増加せり故に人々各々己の本分をつくさんと欲せは寸陰を惜しむも尚ほ足ざるものあり是実に将来好果実をむすぶの原因にして妾の欣喜に堪えざる所なり然共顧みて看病婦現今の状態を察するに身体羸瘦(るいせき)し快発の気分に乏しく日常必須なる業務に堪る能ずして徒に病蓐(びょうじょく)に呻吟する者鮮しせず…
亀山美知子 「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」 ドメス出版 53ページから54ページ
建議書の現代語訳
外科看病婦取締の大関和が、医科大学第一医院外科監督の佐藤教授閣下に謹んで申し上げます。
私がよく考えてみますと、近ごろは看病婦の養成や病室の改良が日ごとに進み、それに伴って仕事の量も増えてきています。そのため、皆がそれぞれ自分の務めを果たそうとすれば、わずかな時間さえ惜しまなければならないほど忙しい状況です。
しかしこれは、将来きっとよい成果を生み出す原因となるものであり、私としても大変喜ばしいことだと感じています。
とはいえ、現在の看病婦たちの様子を見ますと、体がやせ衰え、元気な気分に乏しく、日常の仕事に十分耐えることができず、ただ病床で苦しむ者も少なくありません。…
佐藤三吉は大関和の看病婦取締の職を解任
しかし大関和さんが、周囲に全く根回しすることなく佐藤三吉に建議書を提出したことは、医局の中で問題視されることに。特に医局の医師たちにとって大関和さんの行動は許せないものでした。
佐藤三吉は、トレインドナースとしての大関和さんを高く評価していたものの、周囲の医師たちと反りが合わないことは医療行為を続ける上で致命的な問題です。
結局、佐藤三吉は大関和さんの外科看病婦取締の職を解任。大関和さんには養うべき家族がいたにかかわらず、職を失うことになりました。
風、薫る 今井益男 モデル 関連記事と参考文献
風、薫る 今井益男 モデル 関連記事
朝ドラ「風、薫る」に登場する人物の中には今回の記事で紹介した、古川雄大さんが演じる今井益男以外にも、モデルとなった人物たちがいます。
「風、薫る」に登場する人物たちの「モデル一覧」については、下記の記事が参考になるでしょう。
風、薫る 今井益男 モデル 参考文献
なお今回の記事を作成するにあたって、下記の文献を参考にしています。これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」はNHKの朝ドラ「風、薫る」の原案となっている本です。
