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小松暢の死因 頭部血管破裂 がんの放射線治療に伴う内出血

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小松暢 1993年11月22日に死去 享年75歳

朝ドラ「あんぱん」のモデルとなった小松暢(こまつのぶ)さんの直接の死因は、頭部の血管破裂です。亡くなったのは1993年11月22日4時で、75歳の生涯を終えました。

朝ドラ「あんぱん」の元ネタの1つと言える「アンパンマンの遺書」によると、小松暢さんは頭の血管が破れてしまったことによって「ほとんど何の苦しみもなく息が絶えてしまった」とのことです。

小松暢 1988年に乳がんのために入院

1984年から1989年にかけてアニメ「アンパンマン」のテレビ放送が検討されていた頃、小松暢は体調不良のため女子医大病院に入院します。診断は乳がんでした。

このとき、やなせたかしさんは小松暢さんの担当医から「余命三ヶ月で肝臓にもがんが転移している」と告げられます。

お気の毒ですが、奥様の生命は長く保ってあと三ヶ月です。癌が全身に転移しています。これはすでに第四期の終わりで、第一期ならば完治すると思いますが、もう手の施しようがありません。肝臓にもびっしりと癌が転移しています。手術はできません。

やなせたかし 「アンパンマンの遺書」 岩波現代文庫 222ページ より

小松暢 「余命三ヶ月」からの回復

しかし「アンパンマンの遺書」によると、このあと漫画家の里中満智子さんが「丸山ワクチン」と言う抗がん剤の存在を、やなせたかしさんに教えたとあります。

担当医から「水みたいなもので効果はありません」とはっきり言われたものの、やなせさんは藁にもすがる思いで「丸山ワクチン」を小松暢さんにもすすめてみました。

丸山ワクチンは、AB液を一日おきに打たねばならない。カミさんは女子医大に通院し、近くの四谷病院にも通ってワクチンを打った。

やなせたかし「アンパンマンの遺書」岩波現代文庫 225ページ

するとこのワクチンを打ってみると、普段の体重でも45キロくらいしかなかった小松暢さんの体重は50キロ程度に増加し、明らかに血色がよくなったとそうです(「アンパンマンの遺書」でやなせたかしさんは「丸山ワクチン」について何度か言及されていますが医学的に効果があるかかどうかは言及されていません)。

1991年にはやなせたかし・小松暢夫婦で園遊会に出席

1991(平成3)年11月には赤坂御苑で開かれた天皇・皇后両陛下主催の園遊会にも夫婦で出席できるほど回復されました。このときの小松暢さんと一緒に出席したときのエピソードについて、やなせたかしさんはこう語っています。

十一月には、五年ぶりに天皇・皇后両陛下主催の園遊会が赤坂御苑でひらかれた。招待を受けてカミさんと出席した。
御苑に入ると一面に紫色の煙がたなびいている。紫雲がたなびくというのはこのことかと思った。よくみると、それは焼鳥を焼く煙だったのである。園遊会に焼鳥が出ると思わなかった。浅草か、運動会か、という気分である。
ぼくらは選ばれた五組の中に入っていて最前列、なぜか陛下も美智子妃陛下も、ぼくがアンパンマンをかいていますというとおかしそうにお笑いになった。陛下が笑ったので、緊張がとけたのか、ぼくのまわりは大笑いになった。

やなせたかし「アンパンマンの遺書」岩波現代文庫 247~248ページ

小松暢 1993年11月に体調が悪化し再入院

それでもがんは小松暢さんの体調を確実に蝕んでいました。1993年9月に開かれた「アンパンマン二十周年の未来を祝う会」と言うパーティーには小松暢さんは出席できませんでした。

そして11月には女子医大病院に再入院します。がんの放射線治療のため貧血がひどくなり、小松暢さんは輸血をする必要に迫られます。もともと貧血気味で血管が並外れて細く、すぐに内出血をするという体質だったそうです。

小松暢 最期は頭部の血管が破裂

小松暢さんは輸血をすると顔色が戻り元気になり、看護師の方や見舞客にアンパンマングッズを配っていたものの、亡くなったのは突然のことでした。冒頭で述べたとおり、頭部の血管が破裂し意識不明に陥り、心肺停止となりました。

カミさんが逝ってしまったのは、十一月二十二日四時過ぎだった。
ほとんど何の苦しみもなく息が絶えた。頭の血管が破れた。七十五歳の生涯が終わった。

やなせたかし 「アンパンマンの遺書」 岩波現代文庫 254ページ より

この後、やなせたかしさんによると、小松暢さんの葬儀は内密に行われ身内だけでいっさいをすませたそうです。

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小松暢の家族

小松暢の父

小松暢さんの父は戦前に存在した日本の商社「鈴木商店」に勤めていて釧路の発展に尽力したと言われています。

小松暢の兄弟

小松暢さんの兄弟姉妹がいたかは明らかになっていませんが、NHKの朝ドラ「あんぱん」の設定通りとすれば、妹が2人いたことになります。

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