記事の要約
風、薫る 安のネタバレと史実まとめ
- 朝ドラ「風、薫る」の一ノ瀬安のモデルとなった大関釛さんは1884(明治17)年に川原健次郎さんと結婚
- 1912(明治45)年、次男の博巳さんとともに上京し、姉・大関和(一ノ瀬りんのモデル)さんと同居を開始
- 1921(大正10)年、博巳さんが鹿内貞さんと結婚。2人の縁談は大関和さんがほぼ一人で決めた話だった
大関釛(川原釛)の史実エピソード
妹の釛は次男・川原博巳と上京 大関和と同居
大関釛さんは1884(明治17)年、栃木県烏山町(現在の栃木県那須烏山市)に住んでいた川原健次郎さんと結婚。名前を「川原釛」と改称。
川原健次郎さんとの間の子供として、諭(さとし)さんと博巳(ひろみ)さんの2人の男の子を出産。
その後、1912(明治45)年ごろ、釛さんは息子の博巳さんを伴って上京。博巳さんを東京専門学校(現在の早稲田大学)の英文科に入学させるためです。このとき川原釛さんは、次男・博巳と姉・大関和さんとの同居を開始。
このことはのちに大関和さんが、甥にあたる川原博巳さんと鹿内貞(しかうちてい)さんの結婚をほとんど1人で仕切って決めてくるという話につながります。
大関和が甥・川原博巳の結婚相手を見つける
1920(大正9)年、大関和さんは本多庸一(青山学院の第2代院長)・本多貞子(淑徳女学校の設立者)夫妻から、鹿内貞と言う看護婦に憧れる女性を「大関看護婦会」で預かることになります。
同年の春、鹿内貞は大日本看護婦協会附属の東京看護婦学校に入学。両親を早くに亡くしていたこともあり、小学校卒業の学歴しかありませんでしたが、11月に行われた看護婦試験では「大関看護婦会」から出した合格者は、鹿内貞さんだけ。
試験に合格した鹿内貞は東京市駒込病院で実習を行い、その実習を終えたのちは「大関看護婦会」の他の看護婦たちとともに感染症予防の注射などを目的とした奉仕活動に参加。
こうした鹿内貞さんの学業や看護活動を大関和さんは、トレインドナースとは別の目線で見ていました。温和でしっかりした性格の持ち主であった鹿内貞さんに対し、甥・川原博巳さんの結婚相手になってほしいと懇願し出したのです。
その貞に、和が妹釛の息子博巳の妻になってくれ、と言い出した。貞はやっと一人前の看護婦になれる、自活できる、と思った矢先のことで、和の言葉に動転してしまった。和は必死に貞に頼みこみ、しまいには泣きながら「博巳の嫁になってちょうだい」とまで言う。
このとき鹿内貞さんは「なぜ女性は自分の意志だけで生きていないのか」と大変がっかりしたそうですが、結局は大関和さんの提案を受け入れ、1921(大正10)年3月20日に川原博巳さんと結婚することになりました。
妹の釛は川原博巳と鹿内貞の結婚に口出ししなかった
なお「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」を読む限り、この鹿内貞さんと川原博巳さんの結婚について、川原釛さんが口を挟んだ形跡は見られません。若い2人が結婚するという事実を淡々と受け入れたようです。
一九二一(大正一〇)年三月二〇日、貞は川原博巳と結婚した。博巳は貞よりも一〇歳年上で、新聞記者になっていた。姑にあたる釛は物静かで温かく、貞に優しく接してくれる。釛は通称「サダ」と呼ばれていた。和の蔭で台所仕事などを手伝い続けている。
川原釛さんは姉の大関和さんが直情的な性格をしていたとのは違って、大変おとなしい性格だったと言われています。
川原博巳さんと鹿内貞さんの結婚エピソードは、大関和さんと釛さんは、いかにも対照的な性格を持つ姉妹だったこととを示す例と言えるでしょう。
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風、薫る 安 どうなる 参考文献
なお今回の記事を作成するにあたって、下記の文献を参考にしています。これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」はNHKの朝ドラ「風、薫る」の原案となっている本です。
