風、薫る 一ノ瀬安(いちのせやす)のモデル 大関釛(おおぜきこく)
一ノ瀬安とは
NHKの2026年前期朝ドラ「風、薫る」で早坂美海さんが演じる一ノ瀬安(いちのせやす)とは、主人公・一ノ瀬りん(見上愛)の妹にあたる人物です。
一ノ瀬安のモデルは、一ノ瀬りんのモデルである大関和さんの妹・大関釛(おおぜきこく)さんがモデルであると考えられます。
風、薫る 一ノ瀬安の役柄
NHKは朝ドラ「風、薫る」では一ノ瀬りんの妹である一ノ瀬安の役柄について、このように紹介しています。
りんの2才下の妹。やがては良家に嫁ぎたいと思っている。家族の動向を冷静に見ている。
早坂美海さん プロフィール
2006年生まれ、東京都出身。NHK BSプレミアム「旅屋おかえり」秋田編 鵜野真与役。
大関釛の出自とその家族たち
大関和の妹・大関釛の出自
大関釛さんは、父・幕末期に黒羽藩の国家老を務めた大関弾右衛門増虎(「風、薫る」の一ノ瀬信右衛門のモデル)で、母は烏山藩主・大久保家の娘である大関哲(「風、薫る」の一ノ瀬美津のモデル)との間にできた三女で、大関和さんの妹にあたります。
父の大関弾右衛門増虎は源義経の家人・那須与一にまで遡ることができる那須氏の庶流にあたる大関家の末裔。
一方、母・哲の実家である大久保家は祖先をさかのぼると、徳川幕府の体制下で「神君」と言われた徳川家康が、まだ三河国の一大名に過ぎなかった頃から家来をしていた家です。
つまり大関和さんと大関釛さんの姉妹は、12世紀の終わりごろから始まった鎌倉時代以来、何百年も続いた武士を中心とした封建社会において、これほど希少な存在はないというくらいの名門出身でした。
大関和・大関釛の兄弟姉妹たち
朝ドラ「風、薫る」では一ノ瀬りんの兄弟姉妹は、一ノ瀬安の1人しか設定されていません。しかし実在した大関和さんと大関釛さんには、長男の大関復彦(おおぜきふくひこ)さんをはじめとして合計で5人の兄弟姉妹でした。
| 名前 | 大関和さんとの関係 | 説明 |
|---|---|---|
| 大関八千代 (おおぜきやちよ) | 姉 | 大関弾右衛門増虎・哲夫妻の長女 |
| 大関和 (おおぜきちか) | 本人 | 大関弾右衛門増虎・哲夫妻の次女。トレインドナースとして看護婦の職業確立に |
| 大関復彦 (おおぜきふくひこ) | 弟 | 大関弾右衛門増虎・哲夫妻の長男 |
| 大関衛 (おおぜきまもる) | 弟 | 大関弾右衛門増虎・哲夫妻の次男。のちに栃木県の職員となる |
| 大関釛 (おおぜきこく) | 妹 | 大関弾右衛門増虎・哲夫妻の三男 |
大関釛 結婚するまでの人生
姉・大関和と共に上京
もともと大関釛さんは黒羽で家族と暮らしていました。しかし1881(明治14)年に大関和さんが嫁ぎ先の渡辺家を離縁したことによって、姉・大関和さん、母・大関哲さん、甥の六郎(ろくろう)さんや姪の心(しん)さんとともに上京します。
明治維新の戊辰戦争ののちに大関家は黒羽藩の中で逆賊の汚名を着せられた一方で、大関和さんの元の夫にあたる渡辺福之進豊綱(「風、薫る」の奥田亀吉のモデル)は「維新の功労者」とされていました。
そうした世間の逆風に大関釛さんは一人で立ち向かうことはできなかったのでしょう。
川原健次郎と結婚
1884(明治17)年、栃木県烏山町(現在の栃木県那須烏山市)に住んでいた川原健次郎さんと結婚することになり、東京から再び栃木に戻ることに。
大関釛さんは「川原釛」と名前が変わり、川原健次郎さんとの間の子供として、諭(さとし)さんと博巳(ひろみ)さんの2人の男の子を出産。
大関釛 結婚後の人生
兄・大関復彦さんの遺児・増博を養育
1907(明治40)年7月16日には釛さんの兄である、復彦さんが結核のため他界。大関和さんの依頼により遺児の増博(ますひろ)さんを烏山で預かることになります。
那須与一にまで遡ることができる那須氏の庶流にあたる大関家の末裔であり、名家の出身であることに誇りを持つ大関和さんにとって、自分の甥をほったらかしにすることは到底できなかったようです。
そして復彦は七月十六日に他界した。和は病気を押して、あの裏長屋に出かけた。復彦の息子を引き取るためである。女は泣きわめいて抵抗したが、和は男の子を取り上げると、女に手切れ金を渡して立ち去った。増博は烏山に嫁いでいる和の妹釛(こく)のところに預けることにした。そんな和を、釛は「情の強い」人だとつくづく思ったものである(川原貞氏談)。
亀山美知子 大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語 ドメス出版 181ページから182ページ
ちなみに復彦さんの遺児となった、大関増博さんの「増博(ますひろ)」という名前は、大関和さんやその母・大関哲さんが敬愛する、黒羽藩第15代藩主・大関増裕の「増裕」にあやかって名付けられています。
次男の博巳を伴って上京
1909(明治42)年に夫・川原健次郎さんが亡くなった後、1912(明治45)年ごろ、釛さんは息子の博巳さんを伴って上京。博巳さんを東京専門学校(現在の早稲田大学)の英文科に入学させるためです。
このとき釛さんと博巳さんは姉である大関和さんの家に留まって、釛さんが東京における大関家の家事を一手に引き受けます。
川原博巳と鹿内貞の結婚
1921(大正10)年、釛さんの息子である川原博巳さんは、鹿内貞(しかうちてい)さんという女性と結婚。鹿内貞さんは東京看護婦学校を卒業するにあたって、大関和さんが世話をした女性でした。
温和でしっかりした性格であることを見込まれた鹿内貞さんは、大関和さんに甥にあたる川原博巳さんの嫁になってほしいと泣いて頼まれます。
突然の申し出に気が動転した鹿内貞さんですが、結局は大関和さんに押し切られて、新聞記者となっていた川原博巳さんと結婚。
ちなみに貞さんは1929(昭和4)年に大関和さんから派出看護婦会の「大関看護婦会」の後継者に指名され、1年間だけ会の運営に携わることにもなります。
晩年の大関和を看取る
1912(明治45)年に烏山から東京の大関家に移ってから、釛さんは大関和さんのもとに留まり続け、和さんの最期を看取ることになります。
「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」には、半身不随となった大関和さんの最晩年にあった他愛もない会話として、このようなやり取りがあったと記述されています。
なお会話中に「サダ」とは釛さんのことです。
一年も経つと、和は両手が不自由になりはじめた。食事も海苔を巻いたおむすびが多くなった。
「先生、はい、アーン」
木下操が和の口におむすびを運ぶ。子どもに返ったように和は操の言葉に従う。操が和の食事の手伝いを終えて帰った途端、和は釛に向かっていう。
「おサダさん、御飯、まだですか」
「先刻、食べたばっかりでしょ」
「いいえ、何もいただいてませんよ。おサダさん、早く御飯にしてちょうだい」
「姉さんったら、操さんに食べさせて貰ったでしょ、忘れちゃったの?」
「そんな意地悪言わないで。お腹空いたわ」
年老いた姉妹の軽い口喧嘩がはじまる。それでも釛は姉の和の世話をし続ける。
風、薫る 安(やす) モデル 関連記事と参考文献
風、薫る 安(やす) モデル 関連記事
朝ドラ「風、薫る」で早坂美海さんが演じる一ノ瀬安のモデルとなった大関釛さんに関しては下記の記事でも言及しています。合わせて参考にしてください。
また今回の記事では大関和さんと大関釛さんの父母だけではなく、兄弟姉妹や親戚たちについても説明が及んでいます。大関和さんを中心とした家系図については下記の記事が参考になるでしょう。
風、薫る 安(やす) モデル 参考文献
今回の記事は下記の書籍を参考文献としています。これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」は朝ドラ「風、薫る」の原案になっています。
- 亀山美知子 大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語 ドメス出版
- 田中ひかる 明治のナイチンゲール 大関和物語 (中公文庫)
- 宮田茂子 《新装版》「大関和」を通して見た日本の近代看護【真説】国家的セクハラを受けた職業集団 星湖舎
