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大山捨松 美人 「鹿鳴館の華」と言われた大山捨松の容姿・性格とは

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目次

「大山捨松 美人」という検索ワード

大山捨松とは

NHKの2026年前期朝ドラ「風、薫る」に登場する大山捨松(おおやますてまつ)(多部未華子)とは実在の人物です。

大山捨松は1871(明治4)年、11才のときに日本初の女子留学生として津田梅子・永井繁子らと渡米したことで知られています。

留学中にアメリカのヴァサーカレッジを学士号を取得し卒業。1882(明治15)年に帰国。翌1883(明治16)年に陸軍卿・大山巌(おおやまいわお)と結婚。

「鹿鳴館時代」に社交界の中心として有志共立東京病院(現在の東京慈恵医科大学附属病院)への寄付活動に貢献したほか、「日本赤十字社篤志看護婦人会」などのボランティア活動や女子英学塾(後の津田塾大学)の設立・運営にも尽力しました。

「大山捨松 美人」というキーワードについて

Google検索を使って「大山捨松」を調べていると、「大山捨松 美人」という検索キーワードがサジェストされます。

Wikipediaで「大山捨松」の記事にアクセスすると、捨松を撮影した写真が掲載されており、確かに美人と言えるでしょう。また体形についても明治時代の日本人にしてはスラリとした感じがして印象的です。

大山捨松のひ孫にあたる久野明子さんは、その著書である「鹿鳴館の貴婦人大山捨松: 日本初の女子留学生 (中公文庫 く 12-1)」の中で、大山捨松の容姿についてたびたび言及しています。

朝ドラ「風、薫る」では大山捨松の役を女優の多部未華子さんが演じることになっていますが、「なるほど」という感じがします。

今回の記事では大山捨松が美人であったことや、その容姿について周囲の人々がどのような印象を持っていたかをご紹介します。

容姿・性格・態度 人々を魅了した大山捨松とは

11才のときから魅力的であった大山捨松

大山捨松は、1871(明治4)年11月、11才のときに日本初の女子留学生として津田梅子や永井繁子ら5人とともにアメリカに留学します。

横浜港を出港して最初の目的地であるサンフランシスコに到着したときには、すでにその容姿についてサンフランシスコの地元紙が報じています。

使節団には、駐日公使デロング夫妻に連れられて五人の娘達が同行している。全員サムライの娘だそうだ。使節団の男性と比べるとはるかに顔立ちが良く魅力的である。

久野明子 鹿鳴館の貴婦人大山捨松: 日本初の女子留学生 (中公文庫 く 12-1) 76ページ

5人の女子留学生達は、サンフランシスコ到着後にカリフォルニア州のあちこちを訪問。

それに追随して新聞がそのことを報道し、各紙は「なんとチャーミングな」や「元亀溌剌とした」、「礼儀作法をよくわきまえた娘達」と形容しています。

留学先でも人々を魅了した大山捨松

サンフランシスコの新聞社は、5人の女子留学生の容姿について褒めていますが、もちろん大山捨松個人の容姿について言及している人もいます。

1872(明治5)年10月から捨松は、同じ留学生の永井繁子とともにコネチカット州のニューヘイブンにあるベーコン牧師宅でホームステイを開始。そのベーコン牧師が息子・レオナルドに宛てた手紙の中で捨松の容姿や性格についてこのような言及をしています。

もう一人の娘捨松は、天真らんまんで頭のよい子です。優しい子で信頼がおけ、私達は皆すっかり彼女の虜になってしまいました。我が家にいるアイルランドから来た女中達も皆すっかり彼女を気に入っています。もし、女中達が捨松がクリスチャンでないことを知ったとしても、彼女達の捨松に対する態度は変わらないと思います。

久野明子 鹿鳴館の貴婦人大山捨松: 日本初の女子留学生 (中公文庫 く 12-1) 106ページ

大山捨松は1878(明治11)年9月にニューヨーク州のヴァサーカレッジに入学しますが、「鹿鳴館の貴婦人大山捨松」では、ヴァサーカレッジの女子学生だけでなく教授さえも、在学中の捨松について学業や学生活動のことだけでなく容姿や行動まで観察し人気があったことを紹介しています。

生徒達の間で人気があった捨松は、当然ヴァッサーの教授達の間でも高く評価されていた。英文学の教授ヘレン・バッカス女史は、捨松の思い出を次のように書いている。

「…すらりと伸びた肢体、茶色の肌をした捨松の優雅な身のこなし、人当たりの良さ、見かけなど一切気にかけない性格を好んだ多くの人達の中で、一体誰が彼女の輝かしい将来を予言することだできたでしょうか。捨松は慎み深く、寛大で楽しいことが大好きな少女でした。

久野明子 鹿鳴館の貴婦人大山捨松: 日本初の女子留学生 (中公文庫 く 12-1) 130ページ

「鹿鳴館の華」 大山捨松

朝ドラ「風、薫る」では大山捨松を「鹿鳴館の華」と表現しています。大山捨松はそれほど明治時代の社交界の中心にいた女性として知られています。

捨松自身は「日本初の官費女子留学生」として国の恩に報いるためにすすんで社交界に身を置き、その名声を活用して看護学校の設立や看護婦の養成など当時の日本では未発達であった医療や社会福祉の分野に貢献しました。一種の「ノーブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)」と言えるでしょう。

それだけに美人の誉れが高くさらにすらりとした肢体を持った大山捨松は、のちの世の語り草となるほど人々の目を惹きつけたようです。

久野明子さんの祖母で、大山捨松の四女・留子は、鹿鳴館でパーティーが開かれたときの大山捨松の姿は80年経っても忘れることはできなかったと言います。

生前、私の祖母留子は、「ママちゃんの夜会服姿は、それはそれはきれいだったよ」と語ってくれたことがある。まだ幼かった留子の脳裏に焼き付いて、八十年近くの歳月がたっても目に浮かぶという捨松の夜会服姿は、大山巌がわざわざフランスから取りよせたというワインカラーのビロードの服であった。髪には星の形をしたダイヤの髪飾りを三つ差し、その星がきらきらと光って、留子は本当のお星様かと思ったそうだ。

久野明子 鹿鳴館の貴婦人大山捨松: 日本初の女子留学生 (中公文庫 く 12-1) 204ページ

風、薫る 大山捨松 関連記事と参考文献

風、薫る 大山捨松 関連記事

朝ドラ「風、薫る」や、その主人公のモデル・一ノ瀬りん見上愛)のモデルとなった大関和さんと大山捨松の関わりについては以下の記事でも言及しています。合わせて参考にしてください。

また大山捨松自身に関わる話題に関しては下記の記事が参考となるでしょう。

風、薫る 大山捨松 参考文献

今回の記事は以下の書籍を参考文献としています。

著:久野 明子
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著:遠藤 由紀子
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