小泉セツの「父」は2人いた
朝ドラ「ばけばけ」の松野司之介のモデル 稲垣金十郎
NHKの2025年後期朝ドラ「ばけばけ」のヒロイン・松野トキ(髙石あかり)のモデルとなった小泉セツには「父」と呼べる人物は、2人います。実父の小泉弥右衛門湊(こいずみやえもんみなと)と、養父の稲垣金十郎(いながききんじゅうろう)です。
これは小泉セツが、生後7日後にして子だくさんの小泉家から、子宝に恵まれなかった稲垣家へ養子へ出されたことによるものです。
なお、朝ドラ「ばけばけ」では岡部たかしさん扮する松野司之介が、養父の稲垣金十郎をモデルにしていると考えられます。
稲垣金十郎とはどんな人物だったのか?
幕末期の稲垣金十郎
稲垣家とは代々、百石の知行を受ける並士(なみし)の家で、松江藩にいた1,000人の士分のうち、上からおよそ450番目ほどの家格で、暮らし向きも武士としての体面も申し分ないものであったと考えられます。
また稲垣金十郎自身も幕末の激動期にあって、藩命に従い京都守衛の任を果たすなど善良な人物でした。
明治維新後の稲垣金十郎
稲垣金十郎は、1875(明治8)年に政府が勧める士族の家禄奉還事業によって、6年分の家禄を一括して受け取り、事業を始めようとします。
しかし善良な性格の持ち主である稲垣金十郎が、海千山千の「くせ者」がいる商売の世界で悪質な詐欺にに引っかかるのに時間はかかりませんでした。
このために金十郎は事業資金を奪われ、先祖代々の屋敷を明け渡し、さらには無実の罪まで着せられてしまいます。
小泉八雲・セツ夫妻の長男である小泉一雄は、著作の「父小泉八雲(後篇)」において、母方の祖父についてこのように回想しています。
母の養父雲峰院殿は稍覇気に乏しい善良な人であった。詐欺にかゝった上に相手が悪辣極る奴で逆に無実の罪を着せられ、数年後には晴天白日の身とはなったものゝ、裁判費用で財産を悉く無くし、日常の生活費にも事欠くの有様となった。このため、母も学校を早く止めさせられ家事の手伝をさせられた。
小泉一雄. 父小泉八雲 後篇 (p. 42). (Function). Kindle Edition.
この引用において「母」とは小泉セツのことを指し、「養父雲峰院殿」が稲垣金十郎のことを指します。
その後の稲垣金十郎
稲垣家の家計を支えることができなかった稲垣金十郎
稲垣金十郎は家禄6年分を投じた事業に失敗した後は、稲垣家の家計を助けるために何ら為すことはなかったようです。
1886(明治19)年、小泉セツが18才のときに旧鳥取藩の士族である前田為二(まえだためじ)を稲垣家の婿養子として迎えます。為二自体は働き者で稲垣家の家計を助ける貴重な存在でしたが、その為二から見て金十郎は全く当てにならない存在でした。
婿養子にも見限られた稲垣金十郎
「八雲の妻 小泉セツの生涯」における為二の金十郎に対する評価は「家計のために何ら為すことがない」というものであり、さらに「へルンとセツ」では日頃の憂さ晴らしの的にされていたと描写されています。
結婚は悪くない。セツはささやかな幸せを感じるようになっていた。
しかし、祖父と父は違っていた。万右衛門は、稲垣の家より家格の落ちる出である為二の一挙手一投足にまで口を出し、木刀まで取り出す始末だった。
「ほれ、もっと腰を落として、ほれ、もっと突いてこぬか!」
もっとひどいのは金十郎で、言葉で為二を追い込んだ。
「婿殿、武士が浄瑠璃とはどげしたものか。武士は武士らしげなものを読むことよ」
武士という、万右衛門から言われ苦々しく思って居る言葉を持ち出しては、日頃の鬱靴した気持ちを晴らすがごとく為二を責め立てるのであった。田渕久美子「へルンとセツ」NHK出版 62ページ
結局、為二は出奔し、稲垣家の家計は小泉セツと小泉八雲が結婚するまで悪化の一途を辿ることになります。