(園部弥一郎のモデルは誰?)
風、薫るの園部弥一郎のモデルは、実業家として活躍した長田銈太郎と考えられます。
ドラマでは野添義弘さんが演じており、横柄な態度の裏にある人物像や史実との関係に注目が集まっています。
「ドラマでの結末やその後」を知りたい方は、以下のネタバレ記事もあわせてご覧ください。
本記事では、モデルの史実・人物像・ドラマとの違いをわかりやすく解説します。
- モデル:長田銈太郎(外交官)
- 特徴:社会的影響力を持つ人物
- 見どころ:ドラマとの違い
結論:園部弥一郎のモデルは外交官・長田銈太郎である可能性が高い
朝ドラ「風、薫る」の第7週から登場する園部弥一郎(そのべやいちろう)のモデルは、長田銈太郎(おさだけいたろう)であると考えられます。
長田銈太郎(1849~1889年)とは明治政府において外交官などを務めた人物です。園部弥一郎は警察署長という設定であるため、両者の職業は異なります。
しかし「風、薫る」の園部弥一郎は、りんが付添い看護婦として担当する気難しい人物として設定されています。実在した長田銈太郎も、りんのモデルである大関和さんの看護を受けた経験があり、大変気難しい性格であったと伝えられています。
こうした人物の性格の観点から、園部弥一郎と長田銈太郎には共通点があると言えるでしょう。
長田銈太郎とは?人物と経歴
旧幕時代のフランス語通訳としての活動
旧幕時代の長田銈太郎は徳川将軍家の旗本として、蕃書調所(のちの開成所・開成学校。現在の東京大学や東京外国語大学の源流となった学校の1つ)でフランス語を学習。
幕末期における長田銈太郎は、徳川幕府におけるフランス語の通訳官として活躍し、駐日フランス公使のレオン・ロッシュ(外務省Webサイト PDFファイル)の日本語通訳を務めた経験もあります。
明治政府の外交官としての経歴
明治維新後の長田銈太郎は、外交官としてロシア・フランスなど海外に派遣され、その後は内務省参事官なども歴任した明治時代の高級官僚でした。
長田銈太郎の性格と人物像
癇癪持ちで気難しい性格
実は長田銈太郎は、大変気難しい性格で「癇癪持ち」として知られていました。
病気のため布団の上で体を横にしておかなければならない具合であるにも関わらず、これから外出でもするのかというような立派な羽織を羽織って、布団の上にどっかりと座っているという具合です。
周囲との関係と評価
その上何か用事があれば、家に住まわせている書生たちを呼びつけては一喝していくという始末です。
長田銈太郎が人のことを軽んじる性格は、同居している書生や家族たちにも影響を及ぼし、長田銈太郎に軽く見られた人物は、書生や家族たちにも軽く扱われてしまったようです。
長田銈太郎と大関和の看護エピソード
「風、薫る」の主人公・りんのモデルとなった大関和さんは、この厄介な性格な持ち主である長田銈太郎を看護した経験があります。
長田銈太郎が大関和さんの看護を受けたのは、1889(明治22)年ごろのことで、大関和さんはすでに桜井女学校附属看護婦養成所(梅岡女学校付属看護婦養成所のモデル)を卒業し、帝国大学医科大学附属第一医院の看病婦取締(現在の看護師長の職に相当)の職に就いていた時期です。
ただ、そうした大関和さんの肩書きは、長田銈太郎の前では全く役に立ちませんでした。大関和さんは看護をするために先方から呼ばれてやって来たにも関わらず、長田銈太郎に無視されていたからです。
便所に行くのを和が止めても、妻と書生の肩につかまって、ハアハアと言いながらも歩いていく。病状にさわるから、と話しても無視している銈太郎の態度に、和は情けない思いをした。
大関和の出自を知り態度が一変した
ところがある日、そんな横柄な長田銈太郎の態度が一変します。
たまたま機嫌が良かった長田銈太郎は、大関和さんとの何気ない会話から、大関和さんの出身は栃木県の那須地方であり、父はかつて黒羽藩で国家老を務めていた大関弾右衛門増虎(「風、薫る」の一ノ瀬信右衛門のモデル)であることを知ったからです。
「那須郡黒羽だ、あすこには旧幕時代、若年寄の大関肥後守の家来に、大関弾右衛門という人があったが知っているか」
「はい、その娘です」
「なに、弾右衛門殿の娘だ、道理で大関姓を名乗っておると思った。そうか、御家老弾右衛門殿にフランス人との通訳をしてあげたことがあった。その娘ごが看護婦になったのか、それにしても不思議なめぐり合わせであるのう」
この会話がきっかけで、長田銈太郎は今までの態度を180度改めて、病気の養生に専念し出しました。
この一件があって以来、大関和さんは長田銈太郎の家族や書生たちからも、一目置かれる存在となったと伝えられています。
長田銈太郎が態度を改めた理由: 旧幕時代に大関弾右衛門増虎の通訳をした過去
かつて幕府の通訳官としてフランス語が堪能であった長田銈太郎は、すでに引用した大関和さんとの会話の中で述べられている通り、大関弾右衛門増虎がフランス人と会話をするために通訳をしてくれたことがあったのです。
実は幕末期において、大関弾右衛門増虎は黒羽藩の国家老として藩内で硫黄の採掘と販売の事業に従事していました。
当時の硫黄は、小銃弾や砲弾を発射させるときに必要な黒色火薬の原料で、黒羽藩の藩内で産出される特産品でもあったのです。
硫黄取引をめぐる背景と交流
戊辰戦争(1868年1月~1869年5月)が行われた当時、フランスは幕府側につき、幕府が薩長を始めとした西国雄藩と戦うために必要な最新兵器や資金を提供する態度を取っていました。
一方、大関弾右衛門増虎が国家老を努める黒羽藩は、会津戦争(1868年5月~6月)を境に官軍に恭順する態度を取って藩の方針を変えたものの、その直前までは佐幕の立場です。
そのことから、大関弾右衛門増虎は幕府やその友好国であったフランスに対して、小銃弾や砲弾を発射するために必要な黒色火薬の原料として欠かせない硫黄を販売することができたのでしょう。
気難しい性格で有名であった長田銈太郎が、大関和さんが大関弾右衛門増虎の娘であることを知って、急に態度を改めた理由とは、若かりし頃の思い出を懐かしんだからかもしれません。
大関和さんの看護を受けたのち病没した長田銈太郎
ただ残念なことに、長田銈太郎は大関和さんに心を開き、その看護を素直に受けたにも関わらず、まもなく病死しました。
長田銈太郎の直接の死因は、大関和さんの看護を受ける以前の療養生活に問題があったと言われています。癇癪持ちで人の助言を素直に聞かない日頃の態度が、病状を悪化させていたのかもしれません。
園部弥一郎との共通点と違い
性格(横柄・頑固)の一致
実在した長田銈太郎と園部弥一郎は、性格が「気難しい」という点で一致しています。
看護を拒否する点の一致
長田銈太郎は病気の看護をするために訪れた大関和さんを、当初無視していました。
園部弥一郎はりんに悪態をついた口も聞かず、挙句の果てにりんは担当から外されてしまいます。付添い看護婦の看護を拒否する点では共通点があると言えます。
職業設定の違い(ドラマ上の脚色)
長田銈太郎の職業は外交官で、園部弥一郎は警察署長です。「政府の役人」という点では一致するものの、実際の仕事は全然違います。
ただ、長田圭太郎の経歴には「内務省参事官」も含まれていました。戦前の日本に存在した省庁の1つである内務省は警察行政も管轄しています。
そこから転じて「風、薫る」の園部弥一郎には「警察署長」という肩書きがついたのかもしれません。
結末の違い(史実は病没/ドラマは回復)
実在の長田銈太郎は大関和さんによる看護を受け入れたものの、まもなく病没します。
一方、園部弥一郎は病状が一時悪化するものの、最終的には体調が回復して病院を退院するという設定です。
園部弥一郎とは?ドラマでの役柄
「風、薫る」の園部弥一郎はどんな人物か?
「風、薫る」の園部弥一郎とはどんな人物なのでしょうか?ドラマの中における人物像や、役柄の設定など概要を知りたい方は下記の記事が参考になるでしょう。
園部弥一郎の結末ネタバレ
「風、薫る」第7週で初登場した時点で、園部弥一郎はすでに帝都医科大学病院に入院しています。その後、病状は回復して退院することになりますが、その後はどうなるのでしょうか?
→ 園部弥一郎 退院後の行方とネタバレ
風、薫るのネタバレ・あらすじを知りたい方へ
最終回までのネタバレはこちら
→ 1分で分かる「風、薫る」のネタバレ・最終回・登場人物の結末
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→「風、薫る」の全体あらすじのまとめや前半・ストーリーの流れはどうなる?
風、薫る 園部弥一郎のモデルは誰? 関連記事と参考文献
風、薫る 園部弥一郎のモデルは誰? 関連記事
朝ドラ「風、薫る」の登場人物には、園部弥一郎のモデルとなった長田銈太郎の他にも、実在した人物がモデルとなっている人物が多数含まれています。
その「モデル一覧」については下記の記事で詳しく紹介しています。
→ 風、薫る モデル一覧 一ノ瀬りんは大関和 大家直美は鈴木雅
風、薫る 園部弥一郎のモデルは誰? 参考文献
なお今回の記事を作成するにあたって、下記の文献を参考にしています。これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」はNHKの朝ドラ「風、薫る」の原案となっている本です。
