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風、薫る 園部弥一郎 どうなる モデル 長田銈太郎 看護ののち死去

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目次

記事の概要

風、薫る 園部弥一郎のネタバレと史実まとめ

  • 朝ドラ「風、薫る」の園部弥一郎(そのべやいちろう)のモデルは長田銈太郎(おさだけいたろう)
  • 長田銈太郎はフランス語が堪能で外交官や内務参事官を歴任した明治政府の高級官僚
  • 1889(明治22)年3月31日に死去するが、その直前には大関和さんの看護を受けていた
  • 長田銈太郎には幕臣時代に大関和さんの父・大関弾右衛門増虎のためにフランス語の通訳をした史実がある

長田圭太郎の人物プロフイールとその死について

長田圭太郎とは

「風、薫る」の園部弥一郎のモデルと考えられる長田銈太郎(1849~1889年)とは、明治時代初期にロシア・フランスなどに派遣される外交官や、内務参事官などを歴任した明治政府の高級官僚です。

明治維新前の長田銈太郎は徳川将軍家の旗本として、蕃書調所(のちの開成所・開成学校。現在の東京大学東京外国語大学の源流となった学校の1つ)でフランス語を学習。

幕末期における長田銈太郎は、徳川幕府におけるフランス語の通訳官として活躍し、駐日フランス公使のレオン・ロッシュ(外務省Webサイト PDFファイル)の日本語通訳を務めた経験もあります。

長田銈太郎の最期

長田銈太郎は1889(明治22)年3月31日に死去。

後述するように長田銈太郎の看護は、帝国大学医科大学第一医院外科の看病婦取締(現在の看護師長の職に相当)となった大関和一ノ瀬りんのモデル)さんが担当することとなりますが、大関和さん来る前の養生が極めて悪かったようです。

そのことが仇になり、長田銈太郎は39才という若さで亡くなります。

風、薫るの園部弥一郎が長田圭太郎となる理由

朝ドラ「風、薫る」のガイドブックである「連続テレビ小説 風、薫る Part1 NHKドラマ・ガイド」によると、野添義弘さんが演じる園部弥一郎には、「警察署長」という肩書きが設定されています。

りんが実習で初めて受け持つ患者。
コミュニケーションを取るのが難しいと病院内で有名。

【風、薫る】新たな出演者発表 第7弾【NHK朝ドラ公式】| NHK

付添い看護婦としてりんが初めて顔を合わせると、園部弥一郎は「下女風情が」と吐き捨てるように言って、そのあとは口も聞かないという最悪の出会いをするというストーリーになっています。

長田銈太郎も「政府の役人」であり、看護のためにやってきた大関和さんのことをまったく無視していたエピソードが残っています。

りんが園部弥一郎を担当する時期は看護実習中で、大関和さんが長田銈太郎の看護を担当した時期はトレインドナースとなったのちのことという時期に違いはあります。

しかし園部弥一郎と長田銈太郎に共通点が多いことから、「園部弥一郎のモデルは長田銈太郎」とさせていただきました。

長田銈太郎と大関和の史実エピソード

看護のために来た大関和さんを無視していた長田銈太郎

上述したようにトレインドナースとして大関和さんは、長田銈太郎の自宅に派遣されてきたものの、最初は全く無視されて「邪魔者」の扱いでした。

そもそも長田銈太郎は癇癪持ちの気質であったらしく、大関和さんだけでなく、看病のために近づこうとする家族や書生にも当たり散らしていたようです。

長田に会ってみて、和は驚いた。病人というのに黒縮緬の五つ紋の羽織に白い太打ちの羽織紐をつけ、その上から糸織の綿入れを着込み、布団の上に横になろうともせず坐っている。何か用事があると、書生を呼びつけて一喝するのである。便所に行くのを和が止めても、妻と書生の肩につかまって、ハアハアと言いながらも歩いていく。病状にさわるから、と話しても無視している銈太郎の態度に、和は情けない思いをした。

亀山美知子 「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」 ドメス出版 49ページ

大関和の出自を聞いて態度を改めた長田銈太郎

ところがある日、長田銈太郎の気分が良かったせいか、何気ない会話から大関和さんが栃木県黒羽の出身であることに気が付きます。

「君は、生まれはどこか」
「栃木県です」
「なに、栃木県だと。栃木県はどこだ」
「那須郡黒羽です」
「那須郡黒羽だ、あすこには旧幕時代、若年寄の大関肥後守の家来に、大関弾右衛門という人があったが知っているか」
「はい、その娘です」
「なに、弾右衛門殿の娘だ、道理で大関姓を名乗っておると思った。そうか、御家老弾右衛門殿にフランス人との通訳をしてあげたことがあった。その娘ごが看護婦になったのか、それにしても不思議なめぐり合わせであるのう」

亀山美知子 「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」 ドメス出版 49ページから50ページ

さらに会話を進めると長田銈太郎は、大関和さんが大関弾右衛門増虎(「風、薫る」の一ノ瀬信右衛門のモデル)の娘であることに驚き、急に態度を変えて養生に努めたそうです。

ちなみにこの一件があって以来、大関和さんは長田銈太郎の家族や書生たちからも一目置かれるようになりました。しかし大関和さんが来る以前の療養生活に問題があったため、長田銈太郎はまもなく亡くなってしまいます。

長田銈太郎と大関弾右衛門増虎との思い出

かつて幕府の通訳官としてフランス語が堪能であった長田銈太郎は、引用した大関和さんとの会話の中で述べられている通り、大関弾右衛門増虎がフランス人と会話をするために通訳をしてくれたのです。

実は幕末期、大関弾右衛門増虎は黒羽藩の国家老として藩内で硫黄の採掘と販売の事業に従事していました。当時の硫黄は、小銃弾や砲弾を発射させるときに必要な黒色火薬の原料となっていたのです。

戊辰戦争(1868年1月~1869年5月)が行われた当時、フランスは幕府側につき、幕府が薩長を始めとした西国雄藩と戦うために必要な最新兵器や資金を提供する態度を取っていました。

一方、大関弾右衛門増虎が国家老を努める黒羽藩は、会津戦争(1868年5月~6月)を境に官軍に恭順する態度を取って藩の方針を変えたものの、その直前までは佐幕の立場。

そのことから、大関弾右衛門増虎は幕府やその友好国であったフランスに対して、黒色火薬の原料となる硫黄を販売することができたのでしょう。

強情なはずの長田銈太郎が、大関和さんが大関弾右衛門増虎の娘であることを知って、急に態度を改めた理由は若かりし頃の思い出を懐かしんだからかもしれません。

風、薫る 園部弥一郎 どうなる 関連記事と参考文献

風、薫る 園部弥一郎 どうなる 関連記事(モデル一覧と人物相関図)

朝ドラ「風、薫る」の登場人物には、園部弥一郎のモデルとなった長田銈太郎の他にも、実在した人物がモデルとなっている人物が多数含まれています。

その「モデル一覧」については下記の記事で詳しく紹介しています。

また「風、薫る」に登場する人物たちの相関図や人間関係については下記の記事が参考になるでしょう。

風、薫る 園部弥一郎 どうなる 参考文献

なお今回の記事を作成するにあたって、下記の文献を参考にしています。これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」はNHKの朝ドラ「風、薫る」の原案となっている本です。

著:田中ひかる
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NHK出版
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