風、薫る 一ノ瀬信右衛門のモデル 大関弾右衛門増虎
一ノ瀬信右衛門とは
NHKの2026年前期朝ドラ「風、薫る」で北村一輝さんが演じる一ノ瀬信右衛門(いちのせしんえもん)とは、主人公・一ノ瀬りん(見上愛)の父にあたる人物です。
一ノ瀬信右衛門のモデルは、一ノ瀬りんのモデルである大関和さんの父・大関弾右衛門増虎(おおぜきだんえもんますとら)(1827~1876年)がモデルであると考えられます。
風、薫る 一ノ瀬信右衛門の役柄
朝ドラ「風、薫る」では一ノ瀬りんの父である一ノ瀬信右衛門の役柄について、このように紹介されています。
那須地域にあった小藩の元家老。明治維新前に家老職を辞して農家になり、役人への誘いがあっても断り続けている。穏やかな性格で、りんと安に「自分で考えること」を教えてきた。
北村一輝さん プロフィール
1969年生まれ、大阪府出身。
NHKでは大河ドラマ『北条時宗』、『天地人』、放送80年記念ドラマ『ハルとナツ 届かなかった手紙』、『途中下車』、『ビューティフル・スロー・ライフ』、土曜ドラマ『4号警備』などに出演。連続テレビ小説『スカーレット』では、ヒロイン喜美子の父・常治役を演じ、大きな話題に。
大関弾右衛門増虎とは
大関弾右衛門増虎(1827~1876年)は、室町時代から下野国黒羽の地を代々に渡って治めていた大関氏の一族で、黒羽藩の藩士です。
幕末期には黒羽藩第15代藩主・大関増裕からの信任を受け、1863(文久3)年に国家老に抜擢され、藩政改革の原資となる硫黄採掘と販売の事業に取り組みました。
明治維新後には南東北地方で引き続き硫黄採掘の事業を続け、弾右衛門が亡くなったのち、1918(大正7)年には事業の功績が認められ、政府から「正五位」の位階が死後追贈されています。
大関和の父・大関弾右衛門増虎の7つのエピソードと年表
1. 黒羽藩の藩政改革のために抜擢された大関弾右衛門増虎
大関氏は何百年にもわたって同じ地域を治めていたため、ともすれば先例重視で保守的な考え方に流される傾向がありました。
しかし第15代藩主の大関増裕は、もともと大関家の出ではなく横須賀藩・西尾家の出身。さらにその優秀さから幕府では講武所奉行・陸軍奉行・海軍奉行などの幕政の要職を歴任してきた人物です。
その増裕から見て世襲の家老たちは能力を伸ばすことや積極性に欠けるように見えました。その結果、浄法寺頼母(じょうぼうじたのも)・益子右近・五月女(そうとめ)三左衛門・渡辺記右衛門といった家老たちを降格扱いにし、代わりに大関増虎や村上一学を家老として登用。
つまり大関増虎は代々の家老ではなく、その能力を見込まれて抜擢されて家老に選ばれたのです。
2. 財政を立て直すために硫黄の採掘事業に従事した
若い家老として抜擢された大関増虎が主に取り組んだのは、黒羽藩の藩内で産出される硫黄の採掘事業です。
硫黄は当時の小銃弾や大砲の弾を発射するときに使われる黒色火薬の主原料。ペリーによる黒船来航以来、幕府や各藩は軍隊の西洋化を進めており、硫黄や黒色火薬の需要が急速に高まっていました。
幕府中枢で軍政を担当していた藩主・大関増裕はこうした世間のニーズを敏感に察知しており、硫黄の採掘と販売によって得た金で黒羽藩の財政改革を成し遂げようとしたのです。
藩主の意図を汲んだ大関増虎は、那須高原の三斗小屋の付近から硫黄採掘の陣頭指揮にあたることになります。
3. 藩主を諌めて領民への増税を撤回させた
しかし大関増裕の財政改革は急激な一面もありました。
藩内の高禄の家臣から「借り上げ」という形で禄を差し引いていただけでなく、領民からも1867(慶応3)年からの5年間に限って六分の税率を八分五厘に引き上げようとしていたのです。
この結果、藩内にある11ヶ村の百姓たちが結束して一揆を実行。首謀者たちが処刑されることに。
事の成り行きを三斗小屋で聞いた大関増虎は、幕府の若年寄として江戸に在府していた藩主・大関増裕のもとに急行。一揆の首謀者たちを赦免するよう理非を尽くして説得し、特赦の許可を得て黒羽に帰国。
増虎はそのまま刑場まで走り、刑の執行直前で一揆の首謀者たちの命を救うことになります。結局、刑の執行が中止されたことで増税の話は立ち消えとなりました。
4. 藩主・大関増裕が亡くなったのち殉死をしようとした
「王政復古の大号令」が発せられた1867(慶応3)年、日本中のすべての藩は、新政府に味方するか(勤王)、それとも幕府に味方するか(佐幕)を迫られました。
黒羽藩において、藩主の増裕は幕府の要職を歴任したこともあり佐幕の方針をとるつもりでしたが、弾右衛門以外の家老たちの意見は朝廷に忠誠を尽くす勤王の方針に傾きます。
もし幕府に味方すれば新政府によって黒羽藩はお取り潰しに遭い、しかも大関家は断絶。しかし新政府に味方することは情において忍びないと考えた増裕は自決することを決意。
増裕は自分の気持ちを増虎だけに打ち明けたところ、増虎は殉死を申し出ましたが、増裕から止められ黒羽藩の将来を託されることになります。
弾右衛門は増裕のあとを追いたいと申し出たが、増裕は、殉死は小さな忠義でしかなく、藩の存続を守ることこそが大きな忠義である、と諭したのだった(『栃木県郷土史抄』)
その後、大関増裕は狩猟と称して家臣数人と出かけ、金丸八幡宮の林の中において咽頭から後頭部にかけて銃で撃ち抜き、自決を遂げることになりました。
5. 会津戦争ののち家老を辞職を決意
1868(慶応4)年5月から6月まで勃発した会津戦争において黒羽藩は新政府軍に味方し、増裕の財政改革によって得られた最新式の武器や食料が使われることになります。
このときの黒羽藩の蓄えはわずか1万8,000石の小藩のものとは思えず、戦後に新政府軍から感謝状が送られる程でした。
しかしこの頃になると先代の増裕が進めていた改革は緩み、黒羽藩は会津戦争の前に蓄えていた武器や食料をただ使い果たしただけの状態に逆戻りします。
藩の将来を憂いて自殺した増裕から後事を託されたにもかかわらず、財政改革を頓挫させてしまったことの責任を感じて増虎は家老職を辞し帰農を決意。
そのとき増虎が大関和さんに言った言葉は、朝ドラ「風、薫る」の原案となった「明治のナイチンゲール 大関和物語」でも語られています。
「今日より家禄(二百石)は云うに及ばず、家も屋敷も返上し、明日からは乞食するかもしれぬが、大関弾右衛門の娘と生れし不幸と思いあきらめよ」(『基督者列伝』)
田中ひかる. 明治のナイチンゲール 大関和物語 (p. 9). (Function). Kindle Edition.
6. 慰留され黒羽藩の家知事に
もっとも大関増虎の辞職は増裕の妻・於待(おまち)によって強く慰留されます。そのため増虎は帰農が認められず藩の執政職(家老)から家知事に「降格」という扱いに。
この後、黒羽藩は新政府から永世禄として1万5,000石が与えられ、その際家老たちにもそれぞれ50石が与えられることになりました。
しかし家老から降格し家知事になっていた増虎には、新政府からは何の音沙汰もありません。代わりに増虎の嫡子で幼い大関復彦(大関和さんの弟)に対して「一人扶持を与える」という書き付けが与えられただけでした。
当時11才だった大関和さんはこの処置に対して憤りを感じたそうですが、当の増虎は平然と流していたと言われています。
7. 死の直前に大関和と渡辺福之進豊綱との縁談をまとめる
「明治のナイチンゲール 大関和物語」によると、大関弾右衛門増虎の最期は呆気ないものであったとされています。
明治九(一八七六)年、弾右衛門は一八歳になった和の縁談をまとめると間もなく、五〇歳で流行り病に倒れた。このとき哲がなけなしの金をはたいて連れてきたのは、近所で評判の拝み屋であった。拝み屋の指示どおり疫病退散の札を貼り、まじないを唱えたが、弾右衛門は呆気なく逝ってしまった。和が命のはかなさを知った最初である。
田中ひかる. 明治のナイチンゲール 大関和物語 (pp. 9-10). (Function). Kindle Edition.
しかし弾右衛門は死の直前に大関和さんと、旧・黒羽藩の藩士で陸軍少尉として広島や熊本の鎮台で勤務をしていた渡辺福之進豊綱との縁談をまとめていました。
大関弾右衛門増虎の年表
| 西暦(和暦) | 年齢 | できごと |
|---|---|---|
| 1827(文政10)年 | 0才 | 誕生 |
| 1858(安政5)年 | 31才 | 妻・哲との間に大関和さんが誕生 |
| 1863(文久3)年 | 36才 | 黒羽藩の国家老に抜擢され、藩政改革の一環として硫黄の採掘と販売の事業を着手 |
| 1867(慶応3)年 | 40才 | 黒羽藩で一揆が発生。鎮静化のために奔走 |
| 1867(慶応3)年 | 40才 | 12月7日、第15代藩主・大関増裕が佐幕の責任を取り自決 |
| 1868(慶応4)年 | 41才 | 5月21日、黒羽藩が新政府軍側に味方して会津藩を攻撃 |
| 1868(慶応4)年 | 41才 | 家老職を辞して帰農することを決意するも増裕の妻・於待から慰留される |
| 1869(明治2)年 | 42才 | 黒羽藩の家知事に任命される |
| 1870(明治3)年 | 43才 | 硫黄採掘の事業のために白川県大属に任命される |
| 1876(明治9)年 | 49才 | 大関和さんとの縁談をまとめたのちに死去(数えの年齢での享年は50) |
風、薫る 信右衛門 関連記事と参考文献
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朝ドラ「風、薫る」で北村一輝さんが演じる一ノ瀬信右衛門のモデルとなった大関弾右衛門増虎については、下記の記事でも言及しています。合わせて参考にしてください。
- 大関和 父 大関弾右衛門(おおぜきだんえもん) 黒羽藩の国家老
- 大関増虎 エピソード6選 大関和の父 風、薫る 一ノ瀬信右衛門
- 大関弾右衛門増虎の死因は病気あるいは流行り病 大関和 父の死
- 一ノ瀬信右衛門 モデル 大関弾右衛門 風、薫る 北村一輝
また一ノ瀬信右衛門以外で朝ドラ「風、薫る」に登場するキャラクターやそのモデルになった人物たちについては下記の記事が参考になるでしょう。
風、薫る 信右衛門 参考文献
今回の記事は下記の書籍を参考文献としています。これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」は朝ドラ「風、薫る」の原案になっています。
- 亀山美知子 大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語 ドメス出版
- 田中ひかる 明治のナイチンゲール 大関和物語 (中公文庫)
- 宮田茂子 《新装版》「大関和」を通して見た日本の近代看護【真説】国家的セクハラを受けた職業集団 星湖舎
