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風、薫る 善作 どうなる モデル・植村正久の史実とネタバレ

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目次

記事の要約

風、薫る 善作のネタバレと史実まとめ

植村正久の史実エピソード: 「自主独立」の東京神学社を設立

1903(明治37)年 明治学院神学部を辞職

植村正久は、長年にわたって明治学院神学部(現在の明治学院大学東京神学大学の前身となる学校の1つ)で、キリスト教指導者養成のために教鞭を執っていました。

しかし同じ明治学院で教鞭を執っていた教授のS.P.フルトンが、植村正久が用いていたテキストを使用することに反対したことがもとで、植村正久は1903(明治37)年に明治学院を辞職。

もっとも明治学院の辞職以前から、植村正久は日本におけるキリスト教の伝道について、「外国人宣教師ではなく日本人宣教師によって行うべき」という考え方に固まっていました。

既存の神学校を辞めたことによって、植村正久の気持ちは「自主独立」を企図した神学校の設立にますます傾いていったと考えられます。

植村はそれまで長年にわたって明治学院神学部で教鞭をとり、弁証論、牧会学等を講じていた。一九〇三年、同学院の教授S・P・フルトンが、植村が用いていたテキストの使用に反対し、これがもとで植村が同学院を辞職したことはよく知られている事実である。すでに当時の日本のキリスト教界に不動の地歩を固めていた植村にとって、一外国人宣教師からテキストに注文をつけられることは、心外なことであったであろう。こうした制約を受けることのない独自の神学校を設立したいという思いが生じたであろうことは、容易に推察されるのではなかろうか。

大内三郎 植村正久: 生涯と思想 日本基督教団出版局 143ページ

1904(明治38)年 東京神学社の設立

植村正久は、明治学院を辞職した翌年の1904(明治37)年11月3日、東京・牛込払方町にあった日本基督市ヶ谷教会内に、東京神学社を設立。

東京神学社は外国ミッションから完全に独立した伝道者養成学校で、植村正久の長年の悲願が達成されたことになります。

さて、植村正久の場合、教会の「自主独立」は、単に組織上の自主独立だけはなく、実質的な自主独立として、伝道者の養成すなわち神学校の独立においても達成されなければならないとされていた。すなわち彼によれば「日本の伝道者の多くは外人の養成する所、真の神学校は外国伝道会社の管理する所なり。伝道者養成日本人の手にて経営せらるるまでは、適当なる伝道者の輩出せんことを得て望むべからず」(1899, J. 4. p 731)であり、その限り、彼からみて「教会の独立を図りて、神学校の独立なるべきを忘るるは解すべからざること」(1908, z.5. p486)であった。

京極純一 植村正久: その人と思想 (新教新書) 133ページ

こうして植村正久は東京神学社の校長兼教授として、1925(大正14)年1月8日に亡くなるその日まで、日本におけるキリスト教指導者養成の任に当たることになります。

植村正久と大関和 生涯にわたる交流のエピソード

大関和を「泣キチン蛙」と呼んだ植村正久

朝ドラ「風、薫る」の主人公・一ノ瀬りん(見上愛)のモデルとなった大関和さんは、1887(明治20)年3月に植村正久の手によって受洗しクリスチャンに。その「師弟関係」は植村正久が1925(大正14)年に亡くなるまで続きました。

その「師弟関係」で有名なエピソードとして、植村正久が大関和さんのことを、クリミア戦争(1853~1856年)(PDFファイル)において「白衣の天使」と呼ばれたフローレンス・ナイチンゲール(1820~1910年)の名前をもじって、「泣キチン蛙(なきちんがえる)」と呼んでいたという話があります。

大関和さんは1888(明治21)年10月に「桜井女学校附属看護婦養成所(「風、薫る」の梅岡看護婦養成所のモデル)」を卒業してトレインドナースとなったのちも、看護の仕事に行き詰まると話を聞いてもらうためにたびたび植村正久のもとに駆け込んでいました。

さらに大関和さんは話し込んでいるうちに次第に感情が昂り、涙を抑えられなくなることがしばしばあったようです。その様子を見た植村正久は、大関和さんに「泣キチン蛙」というあだ名をつけていました。

後年、正久の三女環(たまき)は、こう記している。
「大関ちか女史は傑出した婦人であったが、よく泣かれた。繁々来られては堰を切って落とされる。すると大関さんを愛敬していた父は慰めるのか揶揄(からか)うのか分からぬ調子で『あなたはナイチンゲールなんでしょう、それじゃ宛然(えんぜん)『泣キチン蛙』ではないか』などと言っていた」(『植村正久と其の時代 第二巻』)

田中ひかる 「明治のナイチンゲール 大関和物語」中央公論新社 101ページから102ページ

大関和の看護婦教育にも招かれていた植村正久

大関和さんは自らトレインドナースとなって病人や怪我人の看護に尽くしただけでなく、後年には後進たちの指導にもあたるようようになります。

1896(明治29)年、大関和さんは、鈴木雅「風、薫る」の大家直美のモデル)さんが経営する「東京看護婦会」に付属する看護学校である「東京看護婦講習所」で講師を務めることに。その「特別講師」として植村正久を招き、看護学生たちの前で講義をしてもらうこともありました。

さらに1909(明治42)年、大関和さんは「東京看護婦会」を改称し、キリスト教が説く「奉仕の精神」を経営理念に掲げた「大関看護婦会」を設立。

その「大関看護婦会」の所在地が植村正久が主任牧師を務める富士見町教会に近かったこともあり、大関さんは看護婦たちとともに礼拝を行っていました。

風、薫る 全話あらすじと最終回までのネタバレ

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風、薫る 善作 どうなる 参考文献

なお今回の記事を作成するにあたって、下記の文献を参考にしています。これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」はNHKの朝ドラ「風、薫る」の原案となっている本です。

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