98才の天寿を全うした宇野千代
宇野千代の最期は急性肺炎
NHKの2026年後期朝ドラ「ブラッサム」に登場するヒロイン・葉野珠(はのたま)(石橋静河)のモデルとなる、宇野千代(うのちよ)(1897~1996年)さんは、日本の小説家・随筆家です。他にも編集者・実業家・着物デザイナーとしても知られています。
その宇野千代さんは1996(平成8)年6月10日に東京・虎の門病院において急性肺炎のため死去します。享年98。
宇野千代さんの直接の死因は急性肺炎です。しかし「98才まで生きたこと」や、「色ざんげ(1935年)」・「おはん(1957年)」などに代表される文学作品を世に送り出し「社会的名声を得たこと」を考えると、宇野千代さんの死は「天寿を全うした大往生」だったと言えるでしょう。
明治・大正・昭和・平成の4つの時代を生きて行った宇野千代
実際、「宇野千代 女の一生」において宇野千代さんは、決して短くなかった人生で「天寿を全うした」と解説されています。
宇野千代は満九十八歳の天寿を全うした。「花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かりき」という言葉があるが、千代の「花のいのち」は短くなかった。「苦しきこと」もないわけではなかったが、それらをむしろ「愉しきこと」に転化、転生した。愛した男との別離についても「別れも愉し」と書いている。その生命力ーいのちの限りには目を見はるものがある。
宇野千代・小林庸浩 宇野千代 女の一生 新潮社 72ページ
宇野千代さんは85才から86才の年にかけて、自伝的随筆の「生きて行く私」を発表されています。まさしく明治・大正・昭和・平成の4つの時代にわたって「生きて行く」という勢いがあった女性だったと言えるでしょう。
宇野千代の年表・代表作
宇野千代の年表
| 西暦(和暦) | 年齢 | できごと |
|---|---|---|
| 1897(明治30)年 | 0才 | 山口県玖珂郡横山村(現在の岩国市)で父・宇野俊次と母・トモの長女として誕生 |
| 1899(明治32)年 | 2才 | 母・宇野トモが死去 |
| 1900(明治33)年 | 3才 | 父・宇野俊次が佐伯リュウと再婚 |
| 1910(明治43)年 | 13才 | 岩国尋常小学校を卒業。岩国高等女学校(現在の山口県立岩国高等学校)に入学 |
| 1911(明治44)年 | 14才 | 従兄の藤村亮一と結婚(1回目の結婚)をするが10日ほどで実家に戻り離婚(1回目の離婚) |
| 1913(大正2)年 | 16才 | 父・宇野俊次が死去 |
| 1914(大正3)年 | 17才 | 川上村の小学校で代用教員となる |
| 1915(大正4)年 | 18才 | 同僚教師との恋愛が破綻し小学校を退職。京城(現在のソウル)に渡る |
| 1917(大正6)年 | 20才 | 従兄の藤村忠とともに上京。食堂の給仕などを経験 |
| 1919(大正8)年 | 22才 | 藤村忠と結婚(2回目の結婚)。札幌に移住 |
| 1921(大正10)年 | 24才 | 「脂粉の顔」が「時事新報」の懸賞短編小説の一等に選ばれて小説家デビュー |
| 1922(大正11)年 | 25才 | 上京中に尾崎士郎と出会う |
| 1923(大正12)年 | 26才 | 馬込村(現在の東京都大田区)で尾崎士郎と同棲を開始 |
| 1924(大正13)年 | 27才 | 藤村忠と離婚(2回目の離婚) |
| 1926(大正15)年 | 29才 | 尾崎士郎と結婚(3回目の結婚) |
| 1927(昭和2)年 | 30才 | 川端康成に誘われて伊豆湯ヶ島に逗留。梶井基次郎たちと交流 |
| 1930(昭和5)年 | 33才 | 東郷青児と同棲を始める。尾崎士郎と離婚(3回目の離婚) |
| 1934(昭和9)年 | 37才 | 東郷青児と別れる |
| 1935(昭和10)年 | 38才 | 「色ざんげ」を刊行 |
| 1936(昭和11)年 | 39才 | スタイル社を設立し日本初のファッション専門雑誌「スタイル」を創刊 |
| 1939(昭和14)年 | 42才 | 北原武夫と結婚(4回目の結婚) |
| 1941(昭和16)年 | 44才 | 弟・光雄が亡くなる |
| 1942(昭和17)年 | 45才 | 「人形師天狗屋久吉」を発表 |
| 1944(昭和19)年 | 47才 | 戦況の悪化に伴い「スタイル」が休刊 |
| 1946(昭和21)年 | 49才 | 「スタイル」が復刊 |
| 1947(昭和22)年 | 50才 | 「おはん」の連載開始 |
| 1949(昭和24)年 | 52才 | 「宇野千代きもの研究所」を設立 |
| 1951(昭和26)年 | 54才 | 継母・宇野リュウが死去 |
| 1952(昭和27)年 | 55才 | スタイル社の脱税が明るみになり経営難に陥る |
| 1957(昭和32)年 | 60才 | 「おはん」を刊行。第5回野間文芸賞を受賞 |
| 1959(昭和34)年 | 62才 | スタイル社が倒産し多額の借金を背負う |
| 1964(昭和39)年 | 67才 | 借金を全額返済。北原武夫と離婚(4回目の離婚) |
| 1967(昭和42)年 | 70才 | 株式会社宇野千代を設立 |
| 1972(昭和47)年 | 75才 | 第28回芸術院賞を受賞 |
| 1974(昭和49)年 | 77才 | 勲三等瑞宝章を受賞 |
| 1975(昭和50)年 | 77才 | 「薄墨の桜」を刊行 |
| 1977(昭和52)年 | 80才 | 「宇野千代全集」の刊行が始まる |
| 1982(昭和57)年 | 85才 | 第30回菊池寛賞を受賞。「生きて行く私」の連載が始まる |
| 1990(平成2)年 | 93才 | 文化功労者として顕彰される |
| 1996(平成8)年 | 98才 | 6月10日に急性肺炎のため東京・虎の門病院で死去 |
宇野千代の代表作
| 書名 | 刊行年月 | 出版社 |
|---|---|---|
| 脂粉の顔 | 1923(大正12)年6月 | 改造社 |
| 色ざんげ | 1935(昭和10)年4月 | 中央公論社 |
| 人形師天狗屋久吉 | 1943(昭和18)年2月 | 文体社 |
| わたしの青春物語 | 1947(昭和22)年9月 | 酣灯社 |
| おはん | 1957(昭和32)年6月 | 中央公論社 |
| 天風先生座談 | 1970(昭和45)年11月 | 二見書房 |
| 薄墨の桜 | 1975(昭和50)年4月 | 新潮社 |
| 宇野千代全集 (全12巻) | 1977(昭和52)年7月~ 1978(昭和53)年6月 | 中央公論社 |
| 青山二郎の話 | 1980(昭和55)年11月 | 中央公論社 |
| 生きて行く私 (上)(下) | 1983(昭和58)年8月 | 毎日新聞社 |
| 私の幸福論 | 1993(平成5)年1月 | 海竜社 |
| 私なんだか死なないような気がするんですよ | 1995(平成7)年12月 | 海竜社 |
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