風、薫るのバーンズは、第6週から登場し看護教育を担いますが、最終的には第12週で帰国します。
結論から言うと、バーンズは看護学生たちを指導する中心人物として活躍した後、梅岡女学校付属看護婦養成所の閉鎖に伴いスコットランドへ帰国し、その後の再登場は未定です。
→ バーンズが教えた梅岡女学校付属看護婦養成所とはどんな学校?
→ 梅岡女学校付属看護婦養成所の母体である梅岡女学校とはどんな学校?
▼ 要点まとめ
・第6週から登場し看護教育を担当
・ナイチンゲール方式を学生に指導
・第12週で養成所閉鎖により帰国
・その後の動向は現時点では未公表
本記事では、バーンズの役割・りんや直美との関係・結末ネタバレまで、ドラマの流れとモデル(アグネス・ヴェッチ)の史実をもとにわかりやすく解説します。
結論:バーンズはどうなる?
- バーンズは梅岡女学校附属看護婦養成所における看護学の教師として登場
- 看護実習では看護学生と病院当局の調整役
- 第12週でスコットランドに帰国
- その後の展開は未公表
→ バーンズのモデルのアグネス・ヴェッチとはどんな人物か?
→ バーンズ(エマ・ハワード)の人物・役柄とは?
→ バーンズが看護学を教える梅岡女学校附属看護婦養成所のモデルとなる学校とは?
バーンズはどうなる?ドラマでの展開(第5週〜第12週)
初期(第5週後半〜第6週)
第5週の最後において、バーンズが看護学の教師として梅岡女学校付属看護婦養成所に着任します。学校における座学の授業を通じて、衛生の概念などを学生たちを指導します。
病人が過ごす病室を常に衛生に保つことは現代の日本において、医師や看護師のような医療関係者でなくとも知っている「常識」です。
しかし、りんや直美が梅岡女学校付属看護婦養成所に入学した時代の日本では、「衛生」という言葉自体が一般的に知られていませんでした。
中盤(第7週〜第12週)
第7週からドラマの舞台は帝都医科大学附属病院に移ります。バーンズは大学病院で行われる看護実習での指導者兼調整という役です。
→ 「風、薫る」の帝都医科大学とはドラマ上の大学病院のこと
→ 帝都医科大学のモデルは帝国医科大学附属第一医院(現在の東京大学医学部附属病院)
→ 帝都医科大学はどうなる?結末とネタバレ
バーンズの主な仕事は、看護学生たちがちゃんと実習を行なっているか指導・監督することですが、病院当局から看護学生たちが面倒な用事を押し付けられないようにする、いわば「壁」の役割も担っています。
終盤
第12週では梅岡女学校附属看護婦養成所が閉鎖されるに伴い、バーンズは、りん・直美・多江ら看護学生たちが卒業するともに、故郷のスコットランドに帰国すると宣言します。
バーンズは再登場する?伏線から考察
もっともバーンズは帰国はするものの、自分が教えた学生たちの前で「将来の日本において自分が育てた看護婦たちが当たり前のようにしたい」と発言するなど、「風、薫る」の終盤にかけ、再登場を期待させる含みのあるセリフを残して去っていきます。
バーンズはどうなる?モデルから見る結末と今後
バーンズのモデルは誰?教育者としての役割
「風、薫る」のバーンズのモデルはアグネス・ヴェッチ(1842~1932年)であると考えられます。
実在したアグネス・ヴェッチはエジンバラ王立診療所に付属する「ナイチンゲール方式」の看護学校を卒業した経歴の持ち主です。
桜井女学校(女子学院の前身となった学校の1つ)の経営者である、マリア・T・ツルー(「風、薫る」のメアリーのモデル)から招聘されたことで、桜井女学校附属看護婦養成所(梅岡女学校付属看護婦養成所のモデル)において、1887(明治20)年10月27日から翌年の1888(明治21)年10月26日までの間、看護学の教授を担当していました。
なぜ通訳が必要だった?鈴木雅との関係
アグネス・ヴェッチの教え子には、「風、薫る」のりんや直美のモデルである、大関和さんや鈴木雅さんがいますが、特に鈴木雅さんとの繋がりが深かったようです。
アグネス・ヴェッチは複雑な日本語を話すことができなかったため、看護学の授業中などでは英語が堪能な鈴木雅さん(「風、薫る」の大家直美のモデル)が付き添って通訳をしていました。
なぜ鈴木雅が後継者に選ばれたのか
1888(明治21)年10月26日、桜井女学校附属看護婦養成所と帝国大学医科大学附属第一医院の合同主催で、看護学生たちの修了式が執り行われました。
トレインドナースとして認められた合計28名の学生たちの中には、大関和さんと鈴木雅さんの姿もありました。
ただ学生たちに一人一人手渡された修了証の中で、鈴木雅さんの修了証にだけ、アグネス・ベッチの署名がついた手書きの文章が残されています。
ヴェッチは鈴木雅の修了証書に、「彼女は自分の職務に対し、最も理解しており、看護教育に最適な人物と考える」と署名入りで示している(『日本近代看護の夜明け』九七頁)。大関と対象的に物静かだが芯の強い鈴木をヴェッチは自分の解任後の指導者とみたようだ。
つまりアグネス・ヴェッチは、鈴木雅さんを看護課程を修了した28名の学生の中で最も優秀であると認め、自分の後継者として指名したのです。
その後のアグネス・ヴェッチ
合同の修了式が執り行われたのち、アグネス・ヴェッチはすぐにスコットランドに帰国。
帰国した理由は、帝国大学医科大学附属第一医院(現在の東京大学医学部附属病院)と契約していた「お雇い外国人」との期間が終了したためです。
もともと1888(明治21)年10月26日よりも6ヶ月前に契約期間はすでに切れていましたが、そのときに契約期間をさらに半年間延長していた事情がありました。
これらの史実からアグネス・ヴェッチは来日しても、滞在する期間は半年、長くても1年と予定していたのかもしれません。
なお故郷・スコットランドに帰国したのち、1942(昭和17)年に死去するまで、バーンズの動向は不明です。
日本の近代看護について詳しく詳述した「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」や「女たちの約束: M.T.ツル-と日本最初の看護婦学校」でも、アグネス・ヴェッチについて帰国後の動向は記されていません。
バーンズの人物・モデルを詳しく知りたい方はこちら
朝ドラ「風、薫る」に登場するバーンズの役どころや、さらにモデルとなったアグネス・ヴェッチの人物像などについては下記の記事が参考になるでしょう。
→ 風、薫るのバーンズとは? モデルのアグネス・ヴェッチも詳しく解説
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風、薫る バーンズはどうなる? 関連記事と参考文献
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「風、薫る」に登場する人物の中にはアグネス・ヴェッチがモデルと考えられるバーンズ以外にも、実在した人物がモデルとなっている登場人物がいます。その「モデル一覧」については下記の記事が参考になるでしょう。
風、薫る バーンズはどうなる? 参考文献
今回の記事は下記の書籍を参考文献としています。これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」は朝ドラ「風、薫る」の原案にもなっています。
