記事の要約
風、薫る 忠蔵のネタバレ まとめ
- 朝ドラ「風、薫る」の丸山忠蔵のモデルとなった相馬愛蔵は1901(明治34)年に東京の本郷でパン屋の「中村屋」を開業
- 1907(明治40)年に新宿支店を開設し、1909(明治42)年に新宿支店を本店とする
- 相馬愛蔵と大関和さんは家族ぐるみでの付き合いがあり、その交流は大関和さんが1932(昭和7)年に亡くなるまで続いた
新宿中村屋の誕生
東京の本郷にて「中村屋」の開業
朝ドラ「風、薫る」の丸山忠蔵(若林時英)のモデルと考えられる相馬愛蔵と、その妻・相馬黒光(こっこう)は、1901(明治34)年に東京帝国大学の赤門がある本郷で居抜きとなった店を700円で買い取り、「中村屋」というパン屋の営業を開始。
1904(明治37)年にはクリームパンとクリームワッフルの販売を始め、顧客から好評を得ます。
夫婦は「中村屋」の商売を誠実に行なうよう心がけていたことから、顧客からの信頼も厚く、客足が途絶えることはなかったようです。
税務調査で「中村屋」の営業実態をすべて正直に報告
しかし当時の税務当局は「中村屋」の繁盛ぶりを見逃さず、税務調査に乗り出します。
愛蔵の妻・黒光がのちに語ったところによると、当時の小売商はどこでも税務署に売上や従業員数を報告するときは、実際の半分ほどしか報告しませんでした。
一方、税務署の方でも、商店からは本来の半分程度の営業実態しか報告されていないことを分かっていました。当局は、一旦彼らからの報告に基づいて税金を計算した上で、それに幾らかの上乗せをして課税するのが実態だったようです。
ところが愛蔵と黒光は正直な商売を心がけていたことから、税務調査においても売上や従業員数を全て正直に報告。すると税務署から通知された課税額は「中村屋」では払いきれないほどの額に。
どうせパン屋のことですから、華々しい発展は望まれませんが、静止の状態でいたことは一月もなく、売れ行きはいつも上向いておりました。。それが小口商いのことですから、店頭の出入は目に立ち「あの店は売れるぞ」というふうに印象されたと見えまして、税務署の追及が止まずあるとき署員が主人の留守に調べに来ました。私はそれに対してありのままに答えました。箱車二台、従業員は主人を加えて五人、そして売上です。この売上高が問題で、それによるろ税務署の査定通り税金を払ったのでは、小店は立ちいかないのでした。
「中村屋」を新宿に移転する
このままでは早晩、税金のために「中村屋」が倒産すると見越した愛蔵と黒光の夫妻は、将来有望な土地で支店を開設することを模索。
しかし当時の「中村屋」の実力では日本橋・京橋・銀座などの繁華な地域に出店することはできません。そこで本郷から見て西の方角に目を向け、千駄ヶ谷・代々木と土地を確認するうちに新宿に行き着きます。
1900年代初頭の新宿は、今の新宿とは違って辺鄙な土地でしたが、愛蔵は新宿での出店を決断。1907(明治40)年に新宿支店を開設し、1909(明治42)年には本郷の「中村屋」は売却し、新宿支店を本店と定めます。
1923(大正12)年には株式会社に改組し、「株式会社中村屋」が誕生。この新宿にできた「中村屋」が現在の「新宿中村屋」につながることになったのでした
生涯続いた相馬愛蔵と大関和の交流
娘・俊子を「大関看護婦会」で匿う
入院中に大関和(「風、薫る」の一ノ瀬りんのモデル)さんと知り合った相馬愛蔵は、生涯にわたって家族ぐるみでの交流がありました。
その有名なエピソードの1つが、愛蔵・黒光の娘である俊子を、大関和さんが経営する派出看護婦会の「大関看護婦会」で匿った話です。
朝ドラ「風、薫る」の原案となった「明治のナイチンゲール 大関和物語」で、大関和さんが愛蔵の娘・俊子を匿った経緯が詳しく説明されています。
芸術に造詣が深い夫妻は、店の裏にアトリエを作り、若い画家や彫刻家たちを物心両面で支えていた。その中の一人、画家の中村彝(つね)が俊子を気に入り、たびたび絵のモデルにしていたのだが、よりによって俊子の裸体を描いた作品を展覧会に出品してしまった。このことが俊子の通う女学校で問題視され、また、夫妻も不快に感じたことから、彝にアトリエから離れて欲しいと伝えたところ、思いつめた彝は俊子に求婚した。夫妻は驚き、とりあえず俊子を安全な場所へ隠そうと和に助けを求めたのである。
派出看護婦会は若い女性が多く出入りする職場だったので、若い女性が隠れてやり過ごすにはもってこいの場所だったのです。
大関和さん見舞い金をたびたび届けた相馬愛蔵
晩年の大関和さんは半身が不随となり、寝込むことがたびたびありました。その病床には相馬愛蔵がたびたびお見舞いにやってきます。
しかも愛蔵はただお見舞いの言葉を述べるだけではなく、帰る際には大関和さんの枕元に必ず30円から50円の現金を置いていくのでした。
相馬愛蔵も中村屋の黄色い車でやって来ては、和を見舞う。その帰りには必ず三〇円、五〇円と紙に包んでは和の枕元にそっとさしこんでいく。和は愛蔵の好意に素直に甘え続けた。
「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」が伝えているエピソードは、1930(昭和5)年ごろのエピソードと考えられます。当時の30円から50円といえば、現在の貨幣価値に直すと10万円から15万円程度に相当する額でしょう。
実は「大関看護婦会」の財政状態は常に火の車。これは大関和さんが私財を投げうって貧窮者を助けることも少なくなく、経費の持ち出しが多かったことによるものです。
相馬愛蔵はそのことをよく知っていたらしく、大関和さんの晩年になっても若き日に受けた看護の恩に報いていました。
風、薫る 全話あらすじと最終回までのネタバレ
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風、薫る 忠蔵 どうなる 関連記事と参考文献
風、薫る 忠蔵 どうなる 関連記事
朝ドラ「風、薫る」の第7週で帝都大医院の入院患者として登場する丸山忠蔵のモデル・相馬愛蔵は、明治・大正・昭和の3つの時代にわたって活躍した実業家であり、パン・和菓子などの製造販売事業で有名な「新宿中村屋」の創業者として知られています。
相馬愛蔵のプロフィールなど詳しい人物紹介や、なぜ大関和さんと知り合いになったのか、その経緯については下記の記事が参考になるでしょう。
風、薫る 忠蔵 どうなる 参考文献
今回の記事は下記の書籍を参考文献としています。これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」は朝ドラ「風、薫る」の原案にもなっています。
- 吉瀬智子 連続テレビ小説 風、薫る Part1 NHKドラマ・ガイド NHK出版
- 亀山美知子 大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語 ドメス出版
- 田中ひかる 明治のナイチンゲール 大関和物語 (中公文庫)
- 相馬愛蔵 私の小売商道 青空文庫
