小説家・尾崎士郎の2番目の妻が古賀清子です。
尾崎士郎は宇野千代と結婚していた1928(昭和3)年正月に家を出て、カフェー・ライオンの女給だった古賀清子と生活するようになりました。
その後、宇野千代とは約2年間にわたって別居し、1930(昭和5)年8月に正式に離婚。尾崎士郎は古賀清子と結婚しました。
ただし、宇野千代自身の『自伝的恋愛論』『私の文学的回想記』を読むと、古賀清子を憎んでいたわけではなく、尾崎士郎とも憎み合って別れたわけではなかったことが分かります。
本記事では、『宇野千代全集 第12巻』の年譜や宇野千代自身の回想をもとに、尾崎士郎と古賀清子の関係、宇野千代との別居・離婚から結婚までの経緯を紹介します。
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→ 宇野千代と梶井基次郎の関係とは
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結論|古賀清子は尾崎士郎の2番目の妻
古賀清子は、小説家・尾崎士郎の2番目の妻です。
『宇野千代全集 第12巻』の年譜によると、1928(昭和3)年正月には、尾崎士郎は宇野千代と暮らしていた馬込の家を出て、古賀清子と友人宅やホテルなどを転々としていました。
一方、宇野千代と尾崎士郎はすぐに離婚したわけではなく、その後も婚姻関係を継続。1930(昭和5)年8月に正式に離婚すると、尾崎士郎は古賀清子と結婚しました。
しかし、宇野千代は『自伝的恋愛論』で古賀清子と考えられる「良人の恋人」を「可愛い優しい人」と回想しています。
また、尾崎士郎とも憎み合って別れたわけではなく、離婚後も会うことがありました。
そのため、尾崎士郎・古賀清子・宇野千代の関係は、「尾崎士郎が古賀清子のために宇野千代を捨てた」と単純に説明できるものではありません。
→ 尾崎士郎とは?宇野千代の3番目の夫
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尾崎士郎と古賀清子の関係とは?
小説家・尾崎士郎の2番目の妻が古賀清子です。
尾崎士郎は当初、宇野千代と婚姻関係にありましたが、1928(昭和3)年正月には家を出て、古賀清子と生活するようになりました。
その後も宇野千代との婚姻関係は続いていましたが、約2年間の別居を経て、1930(昭和5)年8月に正式に離婚。
尾崎士郎は宇野千代との離婚後、古賀清子と結婚しました。
ただし、宇野千代と尾崎士郎の別れを、単純に「尾崎士郎が古賀清子を好きになり、宇野千代を捨てた」と考えると、実際の経緯とは少し異なります。
宇野千代自身も『自伝的恋愛論』や『私の文学的回想記』で当時の出来事を振り返っており、古賀清子や尾崎士郎に対する複雑な心境を明かしています。
1928(昭和3)年|尾崎士郎が宇野千代と別居し古賀清子と暮らし始める
『宇野千代全集 第12巻』の年譜では、1928(昭和3)年正月には尾崎士郎と古賀清子がともに生活していたことが確認できます。
『宇野千代全集 第12巻』の年譜によると、伊豆・湯ヶ島における宇野千代と梶井基次郎の噂が、当時夫妻が暮らしていた馬込でも評判になりました。
そのような中、尾崎士郎は1928年の正月から馬込村で宇野千代と住んでいた家を出ることに。
そして「カフェ・ライオンの少女(カフェー・ライオンの女給)」と記される古賀清子とともに、友人宅やホテルなどを転々とする生活を始めました。
宇野千代と梶井基次郎の噂
尾崎士郎が家を出た背景を考えるうえで欠かせないのが、宇野千代と梶井基次郎の関係です。
宇野千代は伊豆・湯ヶ島で川端康成を通じて梶井基次郎と交流するようになり、その文学的才能に強く惹かれていました。
梶井基次郎は宇野千代の部屋を訪れて長時間話し込み、夜明けごろまで滞在することもあったため、周囲から2人の男女関係を疑われるようになります。
しかし、宇野千代自身は後年、梶井基次郎との男女関係について否定。
そのため、2人に男女関係があったと断定することはできません。
一方、『宇野千代全集 第12巻』の年譜では、湯ヶ島における2人の噂が馬込で評判となったことに続いて、尾崎士郎が家を出たことが記されています。
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尾崎士郎と古賀清子は友人宅やホテルを転々
家を出た尾崎士郎は、古賀清子と友人宅やホテルなどを転々とする生活でした。
1928年暮れには、品川・東善寺の借家に入居。
さらに翌1929(昭和4)年正月には、尾崎士郎に同情した今井達夫が馬込の自宅2階を提供しました。
一方の宇野千代も、大森海岸の三浩館や鈴ヶ森のアパート「ポプラハウス」を仕事場としていました。
この時点で尾崎士郎と宇野千代は事実上の別居状態になっていたことが分かります。
1929(昭和4)年|尾崎士郎と宇野千代の別居が続く
1929(昭和4)年になっても、尾崎士郎と宇野千代の別居生活は続きました。
『宇野千代全集 第12巻』の年譜によれば、宇野千代は尾崎士郎との別居生活に耐え難くなり、しきりに「上海にいく」と話していたとされています。
10月には妹の勝子を伴って神戸へ向かいましたが、上海には渡らず帰京しました。
この時期、宇野千代は梶井基次郎とも再び会っています。
一方、尾崎士郎と古賀清子の関係も続いていました。
ただし、宇野千代と尾崎士郎は別居した時点ですぐ離婚したわけではありません。
正式に婚姻関係を解消するのは翌1930(昭和5)年8月のことです。
1930(昭和5)年|尾崎士郎が宇野千代と離婚し古賀清子と結婚
1930(昭和5)年になると、宇野千代と尾崎士郎の関係は大きく動きます。
宇野千代は小説執筆のため洋画家・東郷青児を取材し、その後、東郷青児との同棲生活を始めました。
4月には馬込村を離れ、東京市外世田谷山崎1405番地へ転居しています。
そして8月、すでに長期間にわたって別居していた宇野千代と尾崎士郎は正式に離婚。
尾崎士郎はその後、古賀清子と結婚し、2人は12月には大森山王へ転居しました。
尾崎士郎・古賀清子・宇野千代 三者の関係の時系列
尾崎士郎・古賀清子・宇野千代の3人の関係について、変化する様子を時系列で表すと以下の通りとなります。
| 時期 | 尾崎士郎・古賀清子・宇野千代の関係 |
|---|---|
| 1928(昭和3)年正月 | 尾崎士郎が家を出て古賀清子と生活を開始 |
| 1928(昭和3)年 | 宇野千代と尾崎士郎が別居 |
| 1930(昭和5)年 | 宇野千代が東郷青児と同棲 |
| 1930(昭和5)年8月 | 宇野千代と尾崎士郎が正式離婚 |
| 1930(昭和5)年 | 尾崎士郎と古賀清子が結婚 |
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宇野千代は古賀清子をどう思っていた?
尾崎士郎の妻だった宇野千代にとって、古賀清子は夫の恋人にあたります。
ところが、宇野千代が後年に書いた『自伝的恋愛論』を読むと、古賀清子を激しく憎んでいたようには描かれていません。
『自伝的恋愛論』では、尾崎士郎とみられる人物を「良人」、古賀清子とみられる人物を「良人の恋人」として、当時の出来事を振り返っています。
古賀清子を「可愛い優しい人」と回想
宇野千代は「良人の恋人」について、「可愛い優しい人でした」と回想。
さらに「良人の恋人」で古賀清子と考えられる女性について、
・容姿が可憐
・性質も素直
・自然で優しい
と述べています。
夫の恋人だった女性について書いた文章としては、かなり好意的な描写です。
宇野千代は自分自身について、人に好かれることも、人を好きになることも好んでいたと振り返っています。
そのため、夫の恋人だからという理由だけで古賀清子を敵視することはなかったようです。
宇野千代・尾崎士郎・古賀清子が一緒に酒を飲むこともあった
さらに『自伝的恋愛論』では、宇野千代と尾崎士郎だけでなく、古賀清子も交えて酒を飲みに行くことがあったと回想されています。
現在の感覚では理解しにくい関係ですが、宇野千代自身は、このような出会いを気楽なものとして受け止めていたとしています。
つまり、宇野千代と古賀清子が、夫をめぐって顔を合わせるたびに争っていたわけではありません。
尾崎士郎を中心とした3人の関係は、「妻」と「夫の恋人」が激しく対立するという単純なものではなかったことが、宇野千代自身の回想から分かります。
宇野千代は自分が身を引くことを考えた
しかし、宇野千代が何も感じていなかったわけではありません。
『自伝的恋愛論』では、尾崎士郎と古賀清子、自分自身の関係について考えた末、自分が退いた方がよいと考えたことを振り返っています。
宇野千代自身にとっても悲しい決心でしたが、古賀清子への憎しみから別れを決めたのではありませんでした。
そして実際に尾崎士郎と離婚するのは、宇野千代がそのように考えるようになってから約1年後だったと回想しています。
尾崎士郎と宇野千代は憎み合って離婚したわけではない
尾崎士郎と宇野千代の離婚は、古賀清子をめぐって2人が激しく争い、憎み合った末の離婚だったわけではありません。
宇野千代は『私の文学的回想記』でも、尾崎士郎との別れについて振り返っています。
別れた後も尾崎士郎と会っていた
宇野千代の回想によると、別れた後も尾崎士郎と会うことがありました。
宇野千代は、尾崎士郎が「自分は宇野千代を捨てたのではない」と思わせるために、別れた後も会っていたのではないかと回想しています。
また、別れた後の尾崎士郎についても、愛情深く優しく見えたという趣旨で振り返っています。
街角で別れる際にも、完全に絶交するような別れ方ではなく、「さよなら、またね」と言い合うような関係が続いていました。
古賀清子との関係だけが離婚の原因とは言い切れない
1928年には尾崎士郎が家を出て古賀清子と生活するようになり、1930年には宇野千代との離婚後に古賀清子と結婚しています。
そのため、古賀清子との関係が離婚に至る経緯の重要な要素だったことは間違いありません。
しかし、それだけを理由として「尾崎士郎が古賀清子のために宇野千代を捨てた」と説明すると、当時の複雑な関係を十分に表しているとはいえません。
尾崎士郎が家を出る前には宇野千代と梶井基次郎の噂があり、別居中には宇野千代自身も東郷青児との関係を深めています。
さらに宇野千代自身の回想では、古賀清子を好意的に描き、別れた後の尾崎士郎とも交流が続いていました。
宇野千代と尾崎士郎は、それぞれ別の相手との新しい関係を築いていく中で、約2年間の別居を経て、1930年8月に正式に夫婦関係を解消したと考える方が実態に近いでしょう。
尾崎士郎と古賀清子の結婚後
1930(昭和5)年8月に宇野千代との離婚が成立すると、尾崎士郎は古賀清子と結婚しました。
同年12月には大森山王へ転居しています。
尾崎士郎にとって古賀清子は、宇野千代との結婚生活が終わる直前に一時的に交際した女性ではありません。
1928年にはすでに一緒に生活し、その後正式に夫婦となった女性です。
尾崎士郎はその後、小説家として『人生劇場』などの作品で広く知られるようになります。
古賀清子との結婚生活は、尾崎士郎が作家として大きく飛躍していく時期へと続いていきました。
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