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大関和と大山捨松(おおやま すてまつ) 鹿鳴館の華との出会い

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大山捨松と「鹿鳴館時代」

「鹿鳴館の華」 大山捨松

NHKの2026年前期朝ドラ「風、薫る」で主人公・一ノ瀬りん(見上愛)のモデルは、大関和(おおぜきちか)(1858~1932年)さんです。

大関和さんは明治時代に「トレインドナース」となり、明治・大正期を通じて偏見の多かった看護婦という職業の確立に多大な貢献をされました。その活躍から大関和さんは「明治のナイチンゲール」とも呼ばれています。

その大関和さんがトレインドナースになるために看護学生をしていた頃は、特に明治時代の中でも「鹿鳴館時代」とも言われていました。

鹿鳴館とは明治政府の高官たちが、幕末期に締結した外国政府との不平等条約を改正することを目的として、外国人を接待するために使われていた外交施設のことです。

その鹿鳴館で夜毎行われるパーティーにおいて、ひときわ輝き「鹿鳴館の華」と呼ばれた女性こそ、大山捨松(1860~1912年)でした。

大山捨松とは

大山捨松は1860(安政7)年に会津藩家老・山川尚江重固(やまかわなおえしげかた)の末娘として誕生。1871(明治4)年に日本初の女子留学生として津田梅子らと渡米。

留学中に看護婦免状を取得。1882(明治15)年に帰国。翌年1883(明治16年)に陸軍卿・大山巌(おおやまいわお)と結婚。

「鹿鳴館時代」に社交界の中心として活躍したほか、愛国婦人会理事、赤十字篤志看護会等の社会活動や女子英学塾(後の津田塾大学)の設立・運営にも尽力。

大関和と大山捨松の関係

大関和と大山捨松との出会い 「風、薫る」より

NHKが朝ドラ「風、薫る」の制作を発表した時のあらすじには、大山捨松に関する記述があります。

りんと直美は、鹿鳴館の華といわれた大山捨松(おおやま すてまつ)や明六社にも所属した商人・清水卯三郎(しみず うさぶろう)らと出会い、明治の新しい風を感じながら、強き者と弱き者が混在する“社会”を知り、刻々と変わり続けていく社会の中で“自分らしく幸せに生きること”を模索していく。

2026年度前期 連続テレビ小説「風、薫る」制作のお知らせ | NHKドラマブログ

どうやら「風、薫る」では大関和のモデルとなった一ノ瀬りん見上愛)と、鈴木雅のモデルとなった大家直美上坂樹里)は、大山捨松と出会うという設定になっているようです。

大関和と大山捨松との出会い 「明治のナイチンゲール 大関和物語」より

NHK朝ドラ「風、薫る」の原案となっている「明治のナイチンゲール 大関和物語」を読むと、大関和は鹿鳴館で開かれる「婦人慈善市(チャリティーバザー)」をきっかけとして、大山捨松と出会うことになります。

陳列中にも、新たな品物が次々と持ち込まれる。外国人からの持ち込みがあると、英語とフランス語が話せる捨松が対応した。それがどういう品物なのかを聞き取り、良し悪しを定め、だいたいの値段を決めなければならないからだ。しかし、全体の指揮を取らなければならない捨松がたびたび持ち場を離れると、作業が滞る。そこで和は、思い切って捨松に声をかけた。 「少しですが英語が話せます。英語の対応は私に任せてください」  捨松は一瞬意外な顔をしたが、「That would be great.Thanks.(それはありがたいです)」と言って微笑んだ。和は俄然張り切り、以後外国人の対応はすべて引き受けた。

田中ひかる. 明治のナイチンゲール 大関和物語 (pp. 41-42). (Function). Kindle Edition.

「風、薫る」で一ノ瀬りんと大家直美が出会うという設定は、「明治のナイチンゲール 大関和物語」の内容に倣った可能性があります。

大関和と大山捨松との出会い 「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」

ただ「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」を読むと、故郷・黒羽から東京に上京して桜井女学校内の看護婦養成所に入学するまでの大関和さんの消息は、あまりはっきりしないとしています。

その一方で洋装に身を包んだ若き日の大関和の写真が、現在にまで伝わっています。そのことから「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」では「大関和は鹿鳴館に出入りをしていたかもしれない」という表現にとどめ、大関和さんが大山捨松との出会いがあったかどうかは不明です。

大関和は黒羽藩の家老の娘 大山捨松は会津藩の家老の娘

ただ、大関和さんは大山捨松さんのことを全く知らなかったということはないでしょう。

大山捨松が当時「鹿鳴館の華」と言われたほどの女性であったこともありますが、大山捨松は旧・会津藩の家老の娘でもありました。

大関和さんの父・大関弾右衛門(朝ドラ「風、薫る」の一ノ瀬信右衛門のモデル)が仕える黒羽藩は、明治維新の戊辰戦争が始まるまでは、会津藩と友好関係にあった佐幕の藩でしたが、会津戦争の際には官軍に味方し、新政府軍と共に会津藩の攻撃に参加しています。

つまり会津藩にしてみれば、黒羽藩は「裏切りの藩」であったとも言えるのです。

大関和さんも家老の娘であり、こうした事実は知っていたと考えられますので、同じく家老の娘であった大山捨松とは因縁浅からぬ関係であったと言えるでしょう。

著:田中ひかる
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