朝ドラ「ブラッサム」の主人公・葉野珠(石橋静河)のモデルとなった宇野千代には、実子も養子もいませんでした。
しかし、宇野千代は1930(昭和5)年から約4年間同棲した洋画家・東郷青児の長男・東郷志馬(とうごうしま)と暮らし、自ら「継母」と表現するほど深い愛情を注いでいます。
この記事では、東郷志馬とはどのような人物だったのか、宇野千代との親子のような関係や再会のエピソードを紹介します。
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結論|東郷志馬は宇野千代が「我が子同然」に接した東郷青児の長男
東郷志馬を簡単にまとめると次のようになります。
・洋画家・東郷青児の長男
・1930年代の幼少期に宇野千代・東郷青児と約2~3年間暮らした
・宇野千代は自著で自らを「継母」と表現している
・晩年に宇野千代と再会し、東郷青児を偲ぶ会にも出席した
・宇野千代が「我が子同然」に思っていた人物の一人
東郷志馬は宇野千代の実子でも養子でもありませんが、宇野千代の人生を語るうえで欠かせない存在です。
詳しい4人の「我が子同然」の人物については、宇野千代の子供に関する記事でまとめて紹介しています。
東郷志馬(とうごうしま)とは
東郷青児の長男
東郷志馬(とうごうしま)は、洋画家・東郷青児と最初の妻・永野明代(はるよ)の間に生まれた長男です。
1921(大正10)年に誕生し、後に株式会社日本ゴルフスクールを経営。
幼少期には、父・東郷青児と宇野千代が暮らしていた東京・世田谷区淡島(現在の東京都世田谷区代沢)の家で生活しています。
宇野千代と暮らした幼少期
宇野千代は1930(昭和5)年から1934(昭和9)年まで東郷青児と、現在の東京都世田谷区代沢(当時は淡島)で同棲。
その最初の2~3年間は、幼い東郷志馬も同居していました。
宇野千代は東郷志馬のことを「志馬(しま)ちゃん」と呼び、とてもかわいがっていたことが、自伝的随筆「生きて行く私」から伝わってきます。
宇野千代と東郷志馬の関係
宇野千代は自らを「継母」と表現した
「生きて行く私」の中で宇野千代は次のように記しています。
志馬ちゃんは私のためには継子で、私は継母であった。
宇野 千代. 生きて行く私 (角川文庫) (Function). Kindle Edition. No. 4655
宇野千代自身は、このように関係を表現しています。
しかし、東郷青児と宇野千代が正式に入籍したことを示す史料は確認されていません。
そのため、この「継母」と「継子」という表現は、法律上というよりも、宇野千代自身が感じていた家族としての距離感を表したものと考えられます。
「お母さん」ではなく「おばさん」と呼ばせた理由
宇野千代は、東郷志馬に自分を「お母さん」と呼ばせませんでした。
「生きて行く私」には、
私たちは志馬ちゃんに、私のことをお母さんとは呼ばせず、おばさんと呼ばせた。
宇野 千代. 生きて行く私 (角川文庫) (Function). Kindle Edition. No. 4655
と書かれています。
東郷志馬には実母・永野明代がおり、その存在を大切にしたいという宇野千代の配慮があったのでしょう。
宇野千代らしい細やかな思いやりが感じられるエピソードです。
晩年に再会した東郷志馬
東郷青児を偲ぶ会で再会
宇野千代が東郷志馬と再会したのは、1978(昭和53)年に東郷青児が亡くなり、その三回忌に開かれた「東郷青児を偲ぶ会」でした。
久しぶりに会った東郷志馬の姿を見た宇野千代は、
「顔立ちは父親そっくりだが、目元には優しさがある」
という印象を受けたと回想しています。
「親子の証」と感じた時間
その後、宇野千代は東郷たまみの自宅を訪問し、東郷志馬・東郷たまみとともに東郷青児の思い出を語り合いました。
その場で三人とも東郷青児の絵を一枚も持っていないことに気づきます。
普通なら寂しい出来事ですが、宇野千代はその時間を共有できたこと自体に家族としての絆を感じたようです。
「生きて行く私」では、
私たちは一瞬、しゅんとした気持ちになった。三人の中の誰ひとり、彼の画を持っていないとは、どう言うことか。それは誰の罪なのか考えることさえ出来ないのであった。しかし、このしゅんとした気持ちの中でも、確かに共通の思いがあって、私たちが二人の子供とその母親である、と言うようなおかしな思いに駆られたのである。と言うようなおかしな思いに駆られたのである。
宇野 千代. 生きて行く私 (角川文庫) (Function). Kindle Edition. No. 4655
と回想しています。
生物学的にも法律的にも親子ではなくても、宇野千代にとって東郷志馬は「我が子同然」の存在だったことがうかがえます。
よくある質問(FAQ)
Q. 東郷志馬は宇野千代の実の息子ですか?
A. いいえ。
東郷志馬は洋画家・東郷青児の長男であり、宇野千代との血縁関係はありません。
Q. 宇野千代と東郷志馬は法律上の親子だったのでしょうか?
A. 宇野千代と東郷青児が養子縁組した事実はありません。
そのため、2人は法律上の親子関係にもありません
Q. 宇野千代はなぜ東郷志馬を「継子」と呼んだのですか?
A. 宇野千代自身が「生きて行く私」の中で「志馬ちゃんは私のためには継子で、私は継母であった」と記しているためです。
これは法律上というより、宇野千代が家族として感じていた関係を表した言葉と考えられます。
Q. 宇野千代には実の息子がいましたか?
A. いいえ。
宇野千代には実子も養子もいませんでした。
東郷志馬は東郷青児の長男であり、宇野千代が「我が子同然」にかわいがった人物の一人です。
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