風、薫る 丸山忠蔵のモデル 相馬愛蔵
風、薫るの丸山忠蔵とは
NHKの2026年前期朝ドラ「風、薫る」で若林時英さんが演じる丸山忠蔵(まるやまちゅうぞう)とは、主人公の一ノ瀬りん(見上愛)と大家直美(上坂樹里)がトレインドナースになるための看護実習をする、帝都医大病院で出会う入院患者の一人です。
この丸山忠蔵のモデルは、実在した相馬愛蔵(そうまあいぞう)(1870~1954年)がモデルになっていると考えられます。
相馬愛蔵とは実業家として、1901(明治34)年に和洋菓子やパンの製造販売で有名な「新宿中村屋」を創業した人物として知られています。
風、薫る 丸山忠蔵の役柄
NHKは朝ドラ「風、薫る」に登場する丸山忠蔵について以下のように説明しています。
直美が実習で受け持つ患者。入院生活を経て、食に興味をもつようになる。
【風、薫る】新たな出演者発表 第7弾【NHK朝ドラ公式】 – 連続テレビ小説「風、薫る」 見どころ – 風、薫る – NHK
風、薫る 丸山忠蔵 役 若林時英さん プロフィール
1999年生まれ、神奈川県出身。NHKの朝ドラには初出演。
相馬愛蔵とはどんな人物だったのか
相馬愛蔵とは
相馬愛蔵は1870(明治3)年に信濃国安曇郡白金村(現在の長野県安曇野市穂高)の豪農の家に誕生。1897(明治30)年、のちに相馬黒光(そうまこっこう)と呼ばれる星良(ほしりょう)と結婚。
1901(明治34)年、妻・相馬黒光の体調の都合により、東京帝国大学がある本郷にてパン屋の中村屋を開業。
1904(明治37)年にクリームパンとクリームワッフルの商品開発や、1909(明治42)年には新宿に本店を開設するなどパンや和菓子などの製造販売の事業を拡大していきます。
一方、禁酒運動や廃娼運動にも理解があり、さらにはインドの独立運動家ラス・ビハリ・ボースやロシアの詩人ヴァスィリー・エロシェンコを保護、援助したことも有名です。
相馬愛蔵の年表
| 西暦(和暦) | 年齢(満年齢) | できごと |
|---|---|---|
| 1870(明治3)年 | 0才 | 信濃国安曇郡白金村で誕生 |
| 1884(明治17)年 | 14才 | 長野県中学校松本支校(現在の長野県立松本深志高等学校)に入学 |
| 1885(明治18)年 | 15才 | このころ中学校で木下尚江と親交を結ぶ |
| 1887(明治20)年 | 17才 | 上京して東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学 |
| 1889(明治22)年 | 18才 | 疥癬を患い帝大第一医院に入院。大関和の看護を受ける |
| 1890(明治23)年 | 19才 | 東京専門学校を卒業。北海道に渡り養蚕を学ぶ |
| 1891(明治24)年 | 21才 | 長野に帰郷し東穂高禁酒会を設立 |
| 1897(明治30)年 | 27才 | 星良(相馬黒光)と結婚 |
| 1898(明治31)年 | 28才 | 長女・俊子が誕生。12月、大関和と木下尚江の結婚に反対の意見を表明する |
| 1900(明治33)年 | 30才 | 長男・安雄が誕生 |
| 1901(明治34)年 | 31才 | 東京の本郷にて中村屋を創業 |
| 1904(明治37)年 | 34才 | クリームパン・クリームワッフルを商品開発し販売を始める |
| 1907(明治40)年 | 37才 | 新宿に支店を開設 |
| 1909(明治42)年 | 39才 | 新宿の支店を移転し本店とする。和菓子の販売を始める |
| 1915(大正4)年 | 45才 | インド独立運動の志士 ラス・ビハリ・ボースを中村屋内にかくまう |
| 1916(大正5)年 | 46才 | ロシアの盲目の詩人 ワシリー・エロシェンコをアトリエに住まわせて援助 |
| 1918(大正7)年 | 48才 | ラス・ビハリ・ボースと俊子が結婚 |
| 1923(大正12)年 | 53才 | 株式会社組織に改組、商号を株式会社中村屋とする |
| 1927(昭和2)年 | 57才 | 喫茶部(レストラン)を開設、「カリーライス」を発売 |
| 1932(昭和7)年 | 62才 | 5月22日に大関和が死去 |
| 1934(昭和9)年 | 64才 | 日本で初めてとなる水羊羹缶詰を発売 |
| 1937(昭和12)年 | 67才 | 中村不折揮亳「中村屋」の文字を商標登録 |
| 1938(昭和13)年 | 68才 | 「一商人として」を出版 |
| 1945(昭和20)年 | 75才 | 東京大空襲により本店、寄宿舎、工場など焼失 |
| 1948(昭和23)年 | 78才 | 売店と喫茶室の営業を本格的に再開 |
| 1953(昭和28)年 | 83才 | 百貨店に進出。伊勢丹に直売店を出店し多店舗展開へ |
| 1954(昭和29)年 | 83才 | 死去 |
風、薫る 丸山忠蔵のモデル 相馬愛蔵と大関和 史実エピソード
相馬愛蔵は帝国大学医科大学第一医院に入院したときに知り合った
朝ドラ「風、薫る」の丸山忠蔵は帝都大医院の患者として大家直美と知り合うことになりますが、実在した相馬愛蔵は1889(明治22)年に帝国大学医科大学第一医院(現在の東京大学医学部附属病院)に入院したことで大関和さんと知り合いになりました。
当時、相馬愛蔵は信州から東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学するために上京したての頃でしたが、中学校の先輩から疥癬をうつされてしまい、帝大の皮膚科にかかることになったのです。
この時代の疥癬治療は患部に硫黄を含有した軟膏を塗ることでした。ただしこの硫黄製剤の欠点は、硫黄特有の強烈な腐卵臭を放つこと。そのため患者本人はもちろんのこと、看護の訓練を受けたはずのトレインドナースさえ、硫黄軟膏の匂いに悩まされることになります。
しかし、疥癬の治療が長引いて入学が遅れることを危惧した相馬愛蔵は、外科の看病婦取締(看護師長のこと)であった大関和さんにお願いし、1日に1回薬を塗るところを、1日に3回塗ってもらうことに。
おかげで相馬愛蔵はわずか1週間で治療を終え、退院することができました。
相馬愛蔵は大関和と結婚しようとする木下尚江に反対の意見を表明
大関和さんと相馬愛蔵のエピソードで最も有名なものが、大関和さんが、社会運動家の木下尚江(きのしたなおえ)と再婚することを阻止したことです。
1898(明治31)年、木下尚江は、10才年上の大関和さんにプロポーズをしようとします。しかし長野県中学校松本支校で木下尚江の後輩であった相馬愛蔵はこの結婚話に猛反対。
相馬愛蔵が大関和さんと木下尚江の結婚に反対した理由は、木下尚江の不行状をよく知っていたからです。木下は廃娼運動に参加する一方で、自ら遊女を囲っていたり、恋愛の対象となる女性が何人もいたのです。
大関和さんはこれらの「不行状」については全く知らず、相馬愛蔵は同じ中学の先輩・後輩の間柄であったため知り得ていました。
相馬愛蔵は、木下尚江の無軌道な愛は、純粋な性格な持ち主である大関和さんを必ず傷つけてしまうと考え、木下に結婚を諦めるよう説得。
木下は相馬愛蔵の只事ならぬ雰囲気に圧倒されて、やむなく大関和さんとの結婚を断念することになります。
大関和と新宿中村屋のクリームパン
朝ドラ「風、薫る」の原案となった「明治のナイチンゲール 大関和物語」においても、大関和さんが新宿中村屋のクリームパンを購入している描写があります。
「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」によると、大関和さんは1901(明治34)年に相馬愛蔵が東京帝国大学の赤門前で中村屋を居抜きで譲り受けて新装開業すると、すぐにパンを買いに駆けつけてくれてだけでなく、帝大病院でも中村屋のパンが販売できるよう便宜を図ってくれたそうです。
愛蔵は赤門前で営業している「中村屋」というパン屋を七〇〇円で譲り受けて商売を始めることになった。一二月三〇日、愛蔵と黒光は馴れないパン屋稼業を開始した(『相馬愛蔵・黒光のあゆみ』一〇頁)。和はさっそく二人の激励に駆けつけた。小さなパン屋の店先で、おぼつかげな二人がいる。和は知り合いの帝大病院の婦長に頼んで、病院の中でもパンが売れるように取りはからった(川原貞氏談)。三〇を過ぎたばかりの愛蔵は、和の変わらぬ思いやりに感謝したものである。
風、薫る 丸山忠蔵 モデル 関連記事と参考文献
風、薫る 丸山忠蔵 モデル 関連記事
朝ドラ「風、薫る」に登場する丸山忠蔵のモデルとなった相馬愛蔵については下記の記事で詳しく紹介しています。
また「風、薫る」に登場する人物の中には今回の記事で紹介した、若林時英さんが演じる丸山忠蔵以外にも、モデルとなった人物たちがいます。
「風、薫る」に登場する人物たちの「モデル一覧」については、下記の記事が参考になるでしょう。
風、薫る 丸山忠蔵 モデル 参考文献
なお今回の記事を作成するにあたって、下記の文献を参考にしています。これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」はNHKの朝ドラ「風、薫る」の原案となっている本です。
- 田中ひかる 「明治のナイチンゲール 大関和物語」中央公論新社
- 吉瀬智子・田中ひかる 連続テレビ小説 風、薫る Part1 (1) (NHKドラマ・ガイド) NHK出版
- 亀山美知子 「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」 ドメス出版
- 亀山美知子 「女たちの約束: M.T.ツル-と日本最初の看護婦学校」ドメス出版
- 相馬愛蔵 「一商人として」 青空文庫
