結論:看護学校のモデルと現在のつながり
「梅岡女学校付属看護婦養成所(ドラマ)→桜井女学校(モデル)→女子学院(現在)」という関係です。
風、薫るの看護学校(梅岡女学校付属看護婦養成所)とは
梅岡女学校付属看護婦養成所の役割
「風、薫る」に登場する梅岡女学校付属看護婦養成所は主人公の一ノ瀬りんと大家直美がトレインドナース(現在の看護師のこと)となるために入学する明治時代の看護学校です。
登場時期とストーリー上の位置
梅岡女学校付属看護婦養成所が「風、薫る」の重要な舞台として登場するのは第4週の終わり頃で、第5週から学生たちに座学を提供する場所として描かれます。
モデルは桜井女学校附属看護婦養成所
実在した看護学校・桜井女学校附属看護婦養成所の概要
「風、薫る」の梅岡女学校付属看護婦養成所のモデルは、1887(明治20)年1月から1888(明治21)年10月26日まで実在した桜井女学校附属看護婦養成所です。
桜井女学校附属看護婦養成所の母体は、女子のための中等教育を提供する桜井女学校でした。
設立背景と特徴
桜井女学校附属看護婦養成所は、桜井女学校の経営者であるマリア・T・ツルー(「風、薫る」のメアリーのモデル)の数年来の願いによるものです。
桜井女学校附属看護婦養成所は、ツルーが「小さく始める」という考えに基づいて開校されたため、看護実習に必要な病院施設を持っていませんでした。
女子学院との関係
桜井女学校から女子学院への流れ
1890(明治23)年9月9日、桜井女学校と新栄女学校が合併するに伴い女子学院という女学校が新しく誕生しました。
現在の学校法人 女子学院とのつながり
女子学院が誕生したとき、院長として矢嶋楫子(「風、薫る」の梶原敏子のモデル)が就任。
現在の「学校法人 女子学院」はこの矢嶋楫子をもって初代院長としているため、現在の学校法人は1890(明治23)年に合併した時にできた女子学院が始まりとも言えるでしょう。
なぜ名称が違うのか(ドラマ設定)
架空名称が使われる理由
NHKの朝ドラでは、実在の学校や団体をモデルにしていても、名称はそのまま使用せず架空の名前に変更されることが一般的です。
これは、特定の実在機関とドラマの内容を直接結びつけないためや、創作上の自由度を確保するためと考えられます。
NHKドラマでの一般的手法
実在の人物や施設をモデルにしつつ、名前や細部の設定を変えるのはNHKドラマでよく見られる手法です。
「風、薫る」の梅岡女学校付属看護婦養成所も、実在した桜井女学校附属看護婦養成所をベースにしながら、ドラマ独自の設定として名称が変更されています。
帝都医科大学病院との関係
看護学校から大学病院での実習
「風、薫る」に登場する梅岡女学校付属看護婦養成所で学ぶ看護学生たちは、第7週から第12週までの間、帝都医科大学附属病院で看護実習を行うことになります。
卒業生たちの就職先
その後、学生たちのうち、りん・直美・多江・トメが帝都医科大学附属病院にトレインドナースとして就職することになります。
まとめ
看護学校の全体像の整理
「風、薫る」に登場する看護学校は、ドラマ内では梅岡女学校付属看護婦養成所として描かれていますが、実際には桜井女学校附属看護婦養成所がモデルです。
さらに、この桜井女学校は後に女子学院へとつながっており、ドラマの設定は実在する教育機関の歴史をもとに構成されています。
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風、薫るのネタバレ・あらすじを知りたい方へ
「風、薫る」の舞台が梅岡女学校付属看護婦養成所から帝都医科大学附属病院へと移ることで、物語は大きく展開していきます。全体のストーリーや結末を知りたい方は、以下の記事も参考にしてください。
最終回までのネタバレはこちら
→ 1分で分かる「風、薫る」のネタバレ・最終回・登場人物の結末
全話あらすじはこちら
→「風、薫る」の全体あらすじのまとめや前半・ストーリーの流れはどうなる?
風、薫る 看護学校はどこ? 参考文献
風、薫る 看護学校はどこ? 参考文献
なお今回の記事を作成するにあたって、下記の4冊の文献を参考にしています。これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」はNHKの朝ドラ「風、薫る」の原案となっている本です。
