日本の近代化に貢献した商人: 清水卯三郎
「瑞穂屋」の経営者
NHKの2026年前期朝ドラ「風、薫る」で主人公・一ノ瀬りん(見上愛)と大家直美(上坂樹里)のモデルは、大関和(おおぜきちか)(1858~1932年)さんと鈴木雅(すずきまさ)(1857~1940年)さんです。
大関和さんと鈴木雅さんは明治時代に「トレインドナース」となり、明治・大正期を通じて偏見の多かった看護婦という職業の確立に多大な貢献をされました。その活躍ぶりから、とりわけ大関和さんは「明治のナイチンゲール」とも呼ばれています。
その大関和さんと鈴木雅さんがトレインドナースになるために看護学生をしていた頃、東京・浅草で「瑞穂屋(みずほや)」という書店が西洋の政治思想や技術(薬の技術・花火の作り方)、歯科医学などに関する本を発刊していました。
この「瑞穂屋」を経営していた人物が、日本の近代化に貢献した商人と言われる清水卯三郎(しみずうさぶろう)(1829~1910年)でした。
清水卯三郎とは
1829(文政12)年、武蔵国埼玉郡羽生村(現在の埼玉県羽生市)で誕生。
横浜で英語を学び、1863(文久3)年に勃発した薩英戦争では英国側の通訳として和平に尽力。1867 (慶応3)年にフランスで開催されたパリ万国博覧会では、日本人唯一の商人として参加するなど、幕末の外交・貿易で活躍。
明治維新後には東京・浅草で「瑞穂屋」を開業し、欧米の技術、学問を目にした経験を生かして実業家として活動。また、かな文字論者としても知られ、「明六社」のメンバーとしてひらがなの普及を主張する。
大関和と清水卯三郎の関係について
大関和と清水卯三郎との出会い 「風、薫る」より
NHKが朝ドラ「風、薫る」の制作を発表した時のあらすじには、大山捨松に関する記述があります。
りんと直美は、鹿鳴館の華といわれた大山捨松(おおやま すてまつ)や明六社にも所属した商人・清水卯三郎(しみず うさぶろう)らと出会い、明治の新しい風を感じながら、強き者と弱き者が混在する“社会”を知り、刻々と変わり続けていく社会の中で“自分らしく幸せに生きること”を模索していく。
どうやら「風、薫る」では大関和のモデルとなった一ノ瀬りん(見上愛)と、鈴木雅のモデルとなった大家直美(上坂樹里)は、大山捨松と出会うという設定になっているようです。
風、薫る 清水卯三郎役は坂東彌十郎さん
NHKは朝ドラ「風、薫る」での清水卯三郎役として、2025年9月13日土曜日に坂東彌十郎さんの起用とその役柄を発表しています。
日本橋で舶来品などを手広く扱う『瑞穂屋』を営む。りん、直美と深く関わりを持つようになる。
「風、薫る」の原案では登場しない清水卯三郎
ただし、「風、薫る」の原案となっている「明治のナイチンゲール 大関和物語」では清水卯三郎は登場しません。
また「」や「」といった大関和さんを主人公として小説でも清水卯三郎は、登場もしなければ、名前が言及されることはありません。
「風、薫る」で大関和さんがモデルとなっている一ノ瀬りんや、鈴木雅さんがモデルとなっている大家直美が清水卯三郎と出会うというお話は、これらの小説にはないNHK朝ドラならではの「創作」であるのかもしれません。
大関和・鈴木雅と清水卯三郎の接点: 看護学・医学の洋書
史実として大関和さんと鈴木雅さんは、清水卯三郎と直接面識があったかどうかは分かりません。
ただ大関和さんと鈴木雅さんは1887(明治21)年1月から1888(明治22)年にかけて、桜井女学校(現在の女子学院)内に設立された看護婦養成所で看護学生をしていたことから、清水卯三郎が経営する「瑞穂屋」と接点があったのかもしれません。
なぜなら当時の看護学校で使われる看護学や医学のテキストは、ほとんどが日本語の翻訳さえなかった洋書を使っていたからです。
「明治のナイチンゲール 大関和物語」では、フローレンス・ナイチンゲールが書いた”Notes on Nursing”(「看護覚え書」)を、看護学生たちが英語を日本語に翻訳しながら読み進めていることが描写されています。
清水卯三郎が看護学や医学関係の洋書を仕入れたときには、ひょっとすると大関和さんや鈴木雅さんは本を購入するために「瑞穂屋」に出かけていたかもしれません。
