記事の要約
風、薫る りんのネタバレ まとめ
- 朝ドラ「風、薫る」の一ノ瀬りんのモデルとなった大関和さんは1932(昭和7)年5月22日に老衰で死去。享年75
- 1932(昭和7)年5月24日付の「東京朝日新聞」は大関和さんの死に関する記事を訃報欄で掲載
- 大関和さんの死を悼む花輪や香典の数は膨大な数に上った
風、薫る りんのモデル大関和の最期
大関和の死因は老衰
NHKの2026年前期朝ドラ「風、薫る」の主人公・一ノ瀬りん(見上愛)は、「明治のナイチンゲール」とも言われた大関和(おおぜきちか)(1858~1932年)さんがモデルとなっています。
その大関和さんの死因は老衰であったと考えられます。亡くなったのは1932(昭和7)年5月22日のことで、大関和さんが75才のときのことでした。
晩年の大関和さんは脳溢血のため半身不随となり、妹・川原釛(大関釛)(「風、薫る」の一ノ瀬安のモデル)が食事などの介護をしていたようです。
大関和死去のニュースはラジオ・新聞でも報道された
大関和さんが亡くなった際、ラジオや新聞がその死を報道。1932(昭和7)年5月24日付の「東京朝日新聞」の訃報欄には、大関和さんの死と故人の業績に関する記事が掲載されています。
大関ちか子女史 日本最初の看護婦
日本最初の看護婦で本郷弓町一ノ二六大関看護婦会会長大関ちか子女史は一昨年来脳溢血のため臥床中であつたが二十二日午後十一時二十分七十五歳の高齢で死去した
日本に始めて看護婦養成所が桜井女学校内に出来たのが明治十六年その時「娘としてははしたない仕事」といふ世評を一蹴して女史は一年の教育を受け直に帝大付属病院に勤務、職業婦人の先べんをつけたわけである。後同四十三年大関看護婦会を開いて現在に及んだ
告別式は二十五日午後二時から牛込見附富士見教会で行わはるはず
なお「東京朝日新聞」は「看護婦養成所が桜井女学校内に出来たのが明治十六年」としていますが、明治16(1883)年ではなく明治21(1883)年です。
また「女史は一年の教育を受け」としていますが、大関和さんがトレインドナースとなるために看護教育を受けた期間は、1年ではなく1年10ヶ月です。記事を訂正する根拠については下記の記事が参考になるでしょう。
なお「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」は訃報欄の記事をそのまま引用していますが、「東京朝日新聞」が事実誤認している箇所については「ママ」と記して訂正をしています。
大関和 葬儀の様子
大関和さんの葬儀は「東京朝日新聞」で報道された通り、富士見町教会で行われました。
大関和さんの葬儀にはその死を悼むために届けられた夥しい数の花輪の数が。さらに弔問客から遺族に渡された香典は帛紗では包むことができず、風呂敷に包まれたそうです。香典の額は総額で1,800円(現在の貨幣価値にして約600万円)もの大金に上ったと言われています。
このエピソードは、大関和さんがトレインドナースとして生前、政界・財界・官界などで要職を経験した人物(後藤象二郎・相馬愛蔵・長田銈太郎など)の看護を担当したことに加え、身寄りがなかったり貧窮した患者には身銭を切って看護に尽くしていたことの表れでもありました。
風、薫る 全話あらすじと最終回までのネタバレ
風、薫る 全話あらすじ
朝ドラ「風、薫る」のあらすじ全話まとめ・登場人物とキャスト・モデル人物・相関図を知りたい方は、下記の記事が参考になるでしょう。
風、薫る 最終回までのネタバレ
また「風、薫る」の最終回までのネタバレ・史実解説・家系図・結末などを知りたい方は下記の記事を参考にしてください。
風、薫る りん どうなる 関連記事と参考文献
風、薫る りん どうなる 関連記事
朝ドラ「風、薫る」の主人公・一ノ瀬りん(見上愛)のモデルとなった、大関和さんの死因や亡くなったときの様子などについては下記の記事でも紹介しています。
風、薫る りん どうなる 参考文献
なお今回の記事を作成するにあたって、下記の文献を参考にしています。これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」はNHKの朝ドラ「風、薫る」の原案となっている本です。
