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風、薫る 環(たまき) モデルの大関心は結核のため20才で死去

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目次

記事の概要

風、薫る 環(たまき)のネタバレと史実まとめ

  • 朝ドラ「風、薫る」のモデルとなった一ノ瀬りんの娘・環(たまき)は大関和さんの娘・大関心さんがモデルと考えられる
  • 母・大関和さんが外で働く時間が長かったため主に祖母・大関哲さんによって養育されていた
  • 女子学院を卒業したのちは看護学生として慈恵看護婦教育所に入学
  • 1900(明治33)年6月23日に結核のため死去。まだ20才の若さだった

風、薫る 環のモデル 大関心(おおぜきしん)とその役柄

環のモデルとは

NHKの2026年前期朝ドラ「風、薫る」で登場する、環(たまき)とは主人公・一ノ瀬りん(見上愛)奥田亀吉(三浦貴大)との間にできた女の子です。

環のモデルは、一ノ瀬りんのモデルである大関和さんの長女・大関心(おおぜきしん)(1880~1900年)さんがモデルになっていると考えられます。

風、薫る 環の役柄

環は誕生後、父にあたる亀吉の酒乱と失火が原因で、母・りんとともに東京へ逃げる。東京に逃れたのちは、りんが働く舶来品店・「瑞穂屋」の長屋で住むようになる。

大関心の出自とその家族たち

大関心さんの出自

環のモデル・大関心さんの父は、旧・黒羽藩の士族・渡辺福之進豊綱で母は大関和さんです。1880(明治13)年に2人の長女として誕生しました。

大関心さんの兄弟

実在した大関心さんには、1877(明治10)年に生まれた兄・大関六郎(おおぜきろくろう)(1877~1910年)さんがいます。

大関心の史実: どんな人物だったのか

心が生まれてすぐ両親が離婚

大関和さんが大関心さんの妊娠に気づいた時点で、大関和さんは夫・渡辺福之進豊綱の不貞に愛想をつかしており、ひそかに離婚を決意していました

大関和さんは大関心さんを実家に戻って出産すると渡辺福之進豊綱と離婚することを宣言。そして婚家である渡辺家には戻ることなく、大関心さん・母の大関哲(「風、薫る」の一ノ瀬美津のモデル)・妹の大関釛(「風、薫る」の一ノ瀬安のモデル)さんを伴い栃木県の黒羽から東京に移住。

こうした経緯もあり大関心さんは父・渡辺福之進豊綱の顔を覚えていなかったと考えられます。

ちなみに「風、薫る」の第4週では環が奥田家の人間によって、東京から那須に連れ去られるという場面があります。

この場面は「風、薫る」の原案となった「明治のナイチンゲール 大関和物語」において、長男の大関六郎さんの親権について大関家と渡辺家(作品中では黒田家に名称を変更)が争ったという話をモデルにしていると考えられます。

柴田家に手紙で離縁の意思を伝えると、驚いた義父母が使用人を迎えに寄越した。和は翻意する気はないと言い張り、使いを追い返す。その後、離婚が成立したが、安心したのも束の間、ある日忽然と六郎が姿を消す。柴田家の使いが大事な跡取りを取り返しにきたのである。柴田家と大関家の間で六郎の奪い合いが始まり、最終的に六郎が和のもとに落ち着くまでに、一年を要した。

田中ひかる 明治のナイチンゲール 大関和物語 (中公文庫) 23ページ

祖母の大関哲さんによって養育された大関心

上京した大関和さんは、1887(明治20)年1月に桜井女学校附属看護婦養成所(「風、薫る」の梅岡看護婦養成所のモデル)に入学し、帝国大学医科大学附属第一医院(現在の東京大学医学部附属病院)で外科看病婦取締(今でいう看護師長)として勤務することになります。

さらには1890(明治23)年には、高田女学校の舎監の職を経て、知命堂病院に看護師長兼講師として1896(明治29)年まで高田の地に留まることに。

大関和さんは現代で言うところの「シングルマザー」であり、大関家の家計を一手に支えていました。そのため六郎さんと心さんの子育ては、大関和さんの母である哲さんが担当。心さんの「育ての親」は母というよりは祖母だったのです。

トレインドナースの母を目標に看護学校に入学

大関和さんは大関心さんの子育てにあまり関わることはありませんでしたが、それでも心さんは将来の職業を、母親の大関和さんと同じ看護婦に定めます。

大関心さん桜井女学校の後身である女子学院(現在の女子学院中学校・高等学校)を卒業したのち、慈恵看護婦教育所(現在の慈恵看護専門学校)に看護学生として通うようになりました。

ちなみに、大関心さんが入学した慈恵看護婦教育所とは、「風、薫る」に登場する大山捨松(多部未華子)らが、1884(明治17)年6月に行った「鹿鳴館慈善バザー」であげた収益の寄付金に基づいて設立された、有志共立東京病院看護婦教育所から発展した看護学校です。

大関心の最期: 若すぎる死

大関心は結核のため20才の若さで死去

1900(明治33)年6月23日、大関心さんは結核のために20才という若さで亡くなります。

慈恵看護教育所で座学を受けているときに、風邪の症状を訴えて病院を受診したところ結核と診断され、その4ヶ月後には亡くなるというあっけないものでした。

そのシンが六月二三日に他界した。和はいつも忙しく、人の世話ばかりに追われて働き続けてきた。その間、ずっと母の哲が何くれとなく二人の子どもの世話を引き受けてくれてはいたものの、シンにすればやはり心寂しいものあったには違いなかった。

亀山美知子 大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語 ドメス出版 124ページ

大関心さんの葬儀において、大関和さんは父親の顔も見ることがなかった心さんに不憫な思いをさせてしまったと、溢れる涙が止まらなかったそうです。

祖母・大関哲にとってもショックだった大関心の死

大関心さんの早すぎる死がショックだったのは母の大関和さんだけではありません。「育ての親」である祖母の大関哲にとっても大きなショックだったようです。

前述した「明治のナイチンゲール 大関和物語」では、大関心さんの葬儀が行われていたときの大関哲の様子についてこのように描写しています。

自ら養育した孫が自分よりも先に亡くなったショックのため、孫との大切な思い出を忘れてしまったようです。

和に代わり、心を育てた哲の心痛も深かった。少し前から物忘れが目立つようになっていたが、心の死を境に一気に悪化する。葬儀のとき六郎が「祭壇に心が好きだったパン・ペルデュを供えてやりたい。おばあ様、作ってよ」と言うと、しばらく考えてから哲が発した言葉は「それは何ですか」であった。
パン・ペルデュの作り方を鄭永慶から教わったのは和だったが、それを幾度となく子どもたちには作ってやったのは哲である。

田中ひかる 「明治のナイチンゲール 大関和物語」中央公論新社 229ページ

風、薫る 全話あらすじと最終回までのネタバレ

風、薫る 全話あらすじ

朝ドラ「風、薫る」のあらすじ全話まとめ・登場人物とキャスト・モデル人物・相関図を知りたい方は、下記の記事が参考になるでしょう。

風、薫る 最終回までのネタバレ

また「風、薫る」の最終回までのネタバレ・史実解説・家系図・結末などを知りたい方は下記の記事を参考にしてください。

風、薫る 環(たまき) モデル 関連記事と参考文献

風、薫る 環(たまき) モデル 関連記事

朝ドラ「風、薫る」に登場する一ノ瀬りんの娘・環のモデルと考えられる大関心さんについては下記の記事でも言及しています。

また今回の記事では大関和さんと大関釛さんの父母だけではなく、兄弟姉妹や親戚たちについても説明が及んでいます。大関和さんを中心とした家系図については下記の記事が参考になるでしょう。

風、薫る 環(たまき) モデル 参考文献

今回の記事は下記の書籍を参考文献としています。これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」は朝ドラ「風、薫る」の原案になっています。

NHK出版
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著:田中ひかる
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