朝ドラ「風、薫る」の18週「岐路にて」で、大家直美(上坂樹里)は「恵風看護婦会(けいふうかんごふかい)」を設立します。
恵風看護婦会は、病院だけでは十分な看護を受けられない患者のもとへ看護婦を派遣し、さらに生活に困窮した人々にも看護を届けようとする組織として描かれています。
恵風看護婦会はドラマオリジナルの派出看護婦会ですが、モデルになったと考えられる実在の派出看護婦会があります。
この記事では、恵風看護婦会のモデルと考えられる、明治時代に実在した「慈善看護婦会(東京看護婦会)」との関係、史実との共通点について分かりやすく解説します。
▼要点まとめ
・恵風看護婦会は朝ドラ「風、薫る」の18週から登場する架空の派出看護婦会
・モデルは鈴木雅が1891(明治24)年に設立した「慈善看護婦会」
・慈善看護婦会は後に「東京看護婦会」へ名称変更
・「無償の看護」という理念も史実がベース
・一ノ瀬りんのモデル・大関和も東京看護婦会の講師として活躍した
→ 風、薫る 18週 あらすじ
→ 大家直美(上坂樹里)のモデルは鈴木雅
→ 一ノ瀬りん(見上愛)のモデルは大関和
→ 派出看護婦会とは?
→ 派出看護婦とは?
結論|恵風看護婦会のモデルは鈴木雅が設立した慈善看護婦会(東京看護婦会)
・朝ドラ「風、薫る」の18週から登場する「恵風看護婦会(けいふうかんごふかい)」はドラマオリジナルの組織
・モデルは1891(明治24)年に鈴木雅が設立した「慈善看護婦会」
・慈善看護婦会は後に「東京看護婦会」へ名称変更された
・ドラマで描かれる「無償の看護」という理念も慈善看護婦会の活動がもとになっていると考えられる
・一ノ瀬りんのモデル・大関和も東京看護婦会で講師として活躍した
→ 風、薫る 18週 あらすじ
→ 大家直美(上坂樹里)のモデルは鈴木雅
→ 一ノ瀬りん(見上愛)のモデルは大関和
→ 派出看護婦会とは?
→ 派出看護婦とは?
恵風看護婦会とは?
直美が設立した派出看護婦会
朝ドラ「風、薫る」18週で、大家直美は「恵風看護婦会」を設立します。
恵風看護婦会は、病院だけでは十分な看護を受けられない患者や、自宅療養を続ける患者のもとへ看護婦を派遣する組織です。
さらに20週では、生活に困窮した人々にも平等に看護を届けることを目指し、「無償の看護」という理想を掲げて本格的な活動を始めます。
こうした描写は、日本の近代看護史において鈴木雅さんが、1891(明治24)年11月に設立した派出看護婦会の「慈善看護婦会」をモデルにしていると考えられます。
→ 風、薫る 18週 あらすじ
→ 大家直美(上坂樹里)のモデルは鈴木雅
→ 派出看護婦会とは?
恵風看護婦会はドラマオリジナルの派出看護婦会
恵風看護婦会という名称の団体は実在しません。
しかしドラマの内容を見ると、
・看護婦を患者宅へ派遣する
・庶民でも手が届く看護料金の設定
・生活困窮者には無料で看護を届ける
という特徴が描かれており、これらはいずれも鈴木雅さんが設立した「慈善看護婦会」と共通しています。
そのため、恵風看護婦会は慈善看護婦会や、その後継組織である「東京看護婦会」をモデルとして創作された組織であると考えられます。
恵風看護婦会のモデルは慈善看護婦会
モデルは鈴木雅が設立した慈善看護婦会
大家直美のモデルとなった鈴木雅さんは、東京の本郷森川町(現在の東京都文京区本郷)で日本初の個人経営による派出看護婦会「慈善看護婦会」を設立。
それ以前にも大病院が、華族や資産家など裕福な上流階級の個人宅に看護婦を派遣することはありました。
しかし、鈴木雅さんのように個人経営の派出看護婦会が、一般庶民や生活困窮者も看護の対象として看護婦を派遣するという事業は日本で初めての試みでした。
慈善看護婦会の経営方針
慈善看護婦会では、
・正規教育を受けたトレインドナースを患者宅へ派遣する
・看護婦の技量に応じて派出料金を定める
・生活に困窮した人には無料で看護を行う
という方針を掲げていました。
ドラマで直美が目指す「誰もが平等に看護を受けられる社会」という理念も、この慈善看護婦会の活動をもとに描かれている可能性が高いでしょう。
慈善看護婦会は東京看護婦会へ名称変更
設立当初、慈善看護婦会は「慈善」、つまり無償の看護を重視して設立されました。
しかし、無料で看護を提供する利用者が増えたことで経営は次第に苦しくなります。
そこで鈴木雅さんは、本郷森川町から神田猿楽町(現在の東京都千代田区神田猿楽町)へ事務所を移転するとともに、団体名を「東京看護婦会」に改称。
名称は変わりましたが、「専門教育を受けた看護婦を患者のもとへ派遣する」という理念は受け継がれ、その後の日本近代看護の発展に大きな役割を果たしました。
「無償の看護」という理念も史実がモデル
20週では、直美が「無償の看護」を理想として掲げる姿が描かれます。
これは慈善看護婦会の会則で、「生活に困窮した人には無料で看護を行う」と定められていた史実を反映した演出であると考えられます。
一方で、慈善活動を重視した結果、慈善看護婦会は経営難に直面しました。
ドラマでも直美の理想と現実との間で葛藤が描かれるとすれば、この史実が大きなモチーフになっている可能性があります。
一ノ瀬りんとの関係
大関和も東京看護婦会で近代看護の発展に貢献
一ノ瀬りんのモデルとなった大関和さんは、新潟県高田の知命堂病院での看護長(現在の看護師長のこと)としての勤務を終えたあと東京へ戻り、鈴木雅さんが運営する「東京看護婦会」で活動するようになります。
当時、派出看護に対する需要は急速に高まっていましたが、それに見合うだけの熟練した看護婦が不足していました。
そこで鈴木雅さんは、自ら看護婦を養成するため「東京看護婦講習所」を設立。その講師として桜井女学校附属看護婦養成所で同期生だった大関和さんを迎えます。
ドラマでも、りんが東京へ戻って直美と再び近代看護の発展に取り組む展開は、この史実をもとに描かれていると考えられます。
→ 一ノ瀬りん(見上愛)のモデルは大関和
→ 大関和と鈴木雅の関係とは?
恵風看護婦会と派出看護婦会の違い
恵風看護婦会は派出看護婦会をモデルにしたドラマオリジナル組織
「派出看護婦会」は、患者の自宅や病院へ看護婦を派遣する組織全体を指す一般的な名称です。
一方、「恵風看護婦会」は朝ドラ「風、薫る」のために創作された団体名であり、鈴木雅さんの「慈善看護婦会」や「東京看護婦会」をモデルとして描かれています。
つまり、
・派出看護婦会=実在した制度・組織の総称
・慈善看護婦会=鈴木雅が設立した実在の団体
・東京看護婦会=慈善看護婦会の後継組織。実在の団体
・恵風看護婦会=それらをもとに創作されたドラマオリジナルの団体
という関係になります。
派出看護婦会や派出看護婦について詳しく知りたい方は、下記の記事をご覧ください。
恵風看護婦会に関するよくある質問
Q. 恵風看護婦会は実在しますか?
A. いいえ。
恵風看護婦会という名称の団体は実在せず、朝ドラ「風、薫る」のために創作された架空の組織です。
Q. 恵風看護婦会のモデルは何ですか?
A. 大家直美のモデル・鈴木雅さんが1891(明治24)年に設立した「慈善看護婦会」がモデルになったと考えられます。
Q. 東京看護婦会との関係は?
A. 慈善看護婦会は無償看護を重視した結果、経営難となり、1893(明治26)年に「東京看護婦会」へ名称変更されました。
ドラマの恵風看護婦会には、この慈善看護婦会から東京看護婦会へ至る歴史が反映されていると考えられます。
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風、薫る 18週 あらすじ
大家直美が設立する「恵風看護婦会」は、「風、薫る」の18週から登場します。
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派出看護婦会とは看護のために個人宅へ看護婦を派遣する団体のことです。
明治時代中期から昭和時代初期にかけての日本では、病気や怪我の看護をするために看護婦を個人宅に派遣するうサービスに対して大変な需要がありました。
派出看護婦とは
派出看護婦とは病院や派出看護婦会から個人宅に派遣される看護婦のことです。
→ 派出看護婦とは?
鈴木雅とは: 慈善看護婦会(東京看護婦会)の設立者
「風、薫る」の大家直美のモデルとなった鈴木雅さんは、日本で最初に個人経営の派出看護婦会の「慈善看護婦会」を設立した人物として知られています。
大関和とは: 東京看護婦講習所の講師
「風、薫る」の一ノ瀬りんのモデルとなった大関和さんは、「慈善看護婦会」が「東京看護婦会」と会の名称を変更したのち、同会に付属する看護学校(東京看護婦講習所)で看護学の講師として教鞭を執ることになります。
風、薫る 全話あらすじと最終回までのネタバレ
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参考文献
なお今回の記事を作成するにあたって、下記の文献を参考にしています。これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」はNHKの朝ドラ「風、薫る」の原案となっている本です。
