ブラッサムの主人公・葉野珠について
ブラッサム 葉野珠のモデルは宇野千代
NHKの2026年後期朝ドラ「ブラッサム」の主人公は石橋静河さんが演じる葉野珠(はのたま)です。
葉野珠のモデルとなっているのは、「色ざんげ(1935年)」・「おはん(1957年)」・「生きて行く私(1982年)」などの代表作がある小説家で、明治・大正・昭和・平成の4つの時代を生きた宇野千代(1897~1996年)さんです。
ブラッサム 葉野珠 役 石橋静河さん プロフィール
1994年生まれ。東京都出身。2015年に俳優デビュー。
2017年に初主演作『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』でブルーリボン賞ほか多数の新人賞受賞。以降、『東京ラブストーリー』(フジテレビ)、『大豆田とわ子と三人の元夫』(フジテレビ)、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK)などの話題作に抜擢される。
近年では、『前科者』、『DEATH DAYS』、KAAT『近松心中物語』など、舞台や映画でも幅広く活躍。昨年のドラマ10「燕は戻ってこない」(NHK)では、生活苦から代理出産を引き受ける主人公を演じ、東京ドラマアウォード2024で主演女優賞を受賞。
連続テレビ小説への出演は、2018年の『半分、青い。』以来二回目。
葉野珠のモデル・宇野千代について
宇野千代とは
1921(大正10)年に「脂粉の顔」が「時事新報」の懸賞短編小説の一等に選ばれて小説家としてデビュー。それ以来、「色ざんげ(1935年)」・「おはん(1957年)」・「生きて行く私(1982年)」などの代表作を刊行。
編集者・実業家としては1936(昭和11)年にスタイル社を創業し、日本初のファッション専門誌「スタイル」を創刊。また1949(昭和24)年には「宇野千代きもの研究所」を設立。1974(昭和49)年、勲三等瑞宝章を受賞。
宇野千代は何をした人か
職業人としての宇野千代さんには「著述家」の他にも戦前に「スタイル」誌を立ち上げた「編集者及び実業家」、大振袖「千代桜」をデザインした「着物デザイナー」としての3つの顔があります。
また宇野千代さんはプライベートにおいて4人の男性(藤村亮一・藤村忠・尾崎士郎・北原武夫)と結婚・離婚を繰り返し、それら以外にも洋画家の東郷青児と同棲したことなどで有名です。
自伝的小説「生きて行く私」において、宇野千代さんは「泥棒と人殺しのほかは何でもした」と冗談半分に豪語されているほど波瀾万丈で多彩な人生を送られました。
宇野千代の年表
| 西暦(和暦) | 年齢 | できごと |
|---|---|---|
| 1897(明治30)年 | 0才 | 山口県玖珂郡横山村(現在の岩国市)で父・宇野俊次と母・トモの長女として誕生 |
| 1899(明治32)年 | 2才 | 母・宇野トモが死去 |
| 1900(明治33)年 | 3才 | 父・宇野俊次が佐伯リュウと再婚 |
| 1910(明治43)年 | 13才 | 岩国尋常小学校を卒業。岩国高等女学校(現在の山口県立岩国高等学校)に入学 |
| 1911(明治44)年 | 14才 | 従兄の藤村亮一と結婚(1回目の結婚)をするが10日ほどで実家に戻り離婚(1回目の離婚) |
| 1913(大正2)年 | 16才 | 父・宇野俊次が死去 |
| 1914(大正3)年 | 17才 | 川上村の小学校で代用教員となる |
| 1915(大正4)年 | 18才 | 同僚教師との恋愛が破綻し小学校を退職。京城(現在のソウル)に渡る |
| 1917(大正6)年 | 20才 | 従兄の藤村忠とともに上京。食堂の給仕などを経験 |
| 1919(大正8)年 | 22才 | 藤村忠と結婚(2回目の結婚)。札幌に移住 |
| 1921(大正10)年 | 24才 | 「脂粉の顔」が「時事新報」の懸賞短編小説の一等に選ばれて小説家デビュー |
| 1922(大正11)年 | 25才 | 上京中に尾崎士郎と出会う |
| 1923(大正12)年 | 26才 | 馬込村(現在の東京都大田区)で尾崎士郎と同棲を開始 |
| 1924(大正13)年 | 27才 | 藤村忠と離婚(2回目の離婚) |
| 1926(大正15)年 | 29才 | 尾崎士郎と結婚(3回目の結婚) |
| 1927(昭和2)年 | 30才 | 川端康成に誘われて伊豆湯ヶ島に逗留。梶井基次郎たちと交流 |
| 1930(昭和5)年 | 33才 | 東郷青児と同棲を始める。尾崎士郎と離婚(3回目の離婚) |
| 1934(昭和9)年 | 37才 | 東郷青児と別れる |
| 1935(昭和10)年 | 38才 | 「色ざんげ」を刊行 |
| 1936(昭和11)年 | 39才 | スタイル社を設立し日本初のファッション専門雑誌「スタイル」を創刊 |
| 1939(昭和14)年 | 42才 | 北原武夫と結婚(4回目の結婚) |
| 1941(昭和16)年 | 44才 | 弟・光雄が亡くなる |
| 1942(昭和17)年 | 45才 | 「人形師天狗屋久吉」を発表 |
| 1944(昭和19)年 | 47才 | 戦況の悪化に伴い「スタイル」が休刊 |
| 1946(昭和21)年 | 49才 | 「スタイル」が復刊 |
| 1947(昭和22)年 | 50才 | 「おはん」の連載開始 |
| 1949(昭和24)年 | 52才 | 「宇野千代きもの研究所」を設立 |
| 1951(昭和26)年 | 54才 | 継母・宇野リュウが死去 |
| 1952(昭和27)年 | 55才 | スタイル社の脱税が明るみになり経営難に陥る |
| 1957(昭和32)年 | 60才 | 「おはん」を刊行。第5回野間文芸賞を受賞 |
| 1959(昭和34)年 | 62才 | スタイル社が倒産し多額の借金を背負う |
| 1964(昭和39)年 | 67才 | 借金を全額返済。北原武夫と離婚(4回目の離婚) |
| 1967(昭和42)年 | 70才 | 株式会社宇野千代を設立 |
| 1972(昭和47)年 | 75才 | 第28回芸術院賞を受賞 |
| 1974(昭和49)年 | 77才 | 勲三等瑞宝章を受賞 |
| 1975(昭和50)年 | 77才 | 「薄墨の桜」を刊行 |
| 1977(昭和52)年 | 80才 | 「宇野千代全集」の刊行が始まる |
| 1982(昭和57)年 | 85才 | 第30回菊池寛賞を受賞。「生きて行く私」の連載が始まる |
| 1990(平成2)年 | 93才 | 文化功労者として顕彰される |
| 1996(平成8)年 | 98才 | 6月10日に急性肺炎のため東京・虎の門病院で死去 |
ブラッサム あらすじ
ブラッサムのあらすじ
NHKが2025年5月29日にドラマ制作を発表したときの「ブラッサム」のあらすじは以下の通りです。
明治三十年(1897年)、主人公・葉野珠(はの・たま)は山口県の岩国に生まれました。実母は珠が2歳の時に亡くなり、父と後妻である継母によって育てられました。女学校を卒業後、代用教員として働き始めますが解雇され、故郷の岩国を追われることになります。親戚を頼って上京したことで、珠は幼き日の夢を強く意識し、小説の懸賞応募から、作家の道を切り開きます。
しかし、世の中は価値観が大きく揺れ動く時代。
大正から昭和にかけて、関東大震災と戦争、結婚と離婚、倒産そして借金…と、珠は、さまざまな困難にのみ込まれながらも、作家として生きることに向き合います。そうした中で、小説家として花を咲かせるのです。時には敵を作り誤解され、傷つけ傷つきながらも、自由を求めて生きることに正直であり続けた珠は、小説に思いを忍ばせることで、読む人に「幸せ」を運んでいくのです。
朝ドラ「ブラッサム」のあらすじについては「ブラッサム あらすじ 明治・大正・昭和・平成 宇野千代の人生
」という記事でも言及し、その内容について解説しています。合わせて参考にしてください。
ブラッサム たま モデル 関連記事と参考文献
ブラッサム たま モデル 関連記事
「ブラッサム」の主人公・葉野珠のモデルである宇野千代さんが何をした人で、またどんな人物であったかについては下記の記事が参考になるでしょう。
- 宇野千代 年表(年譜) 朝ドラ ブラッサム 葉野珠のモデル
- 宇野千代 どんな人 4つの特徴を紹介 ブラッサム 葉野珠 モデル
- 宇野千代 エピソード 4回の結婚 1回の同棲 尾崎士郎 東郷青児など
- 宇野千代 晩年 「私は死なない気がした」90代のエピソード
- 宇野千代 死因 急性肺炎のため虎の門病院で死去 98才の大往生
また宇野千代さんの家族関係については以下の記事が参考になります。
ブラッサム たま モデル 参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考としています。
