NHK朝ドラ「ブラッサム」の主人公・葉野珠(石橋静河)のモデルとなった、小説家・宇野千代(1897~1996年)には「子供がいない」とされています。
ただし宇野千代が妊娠し、子供を亡くした経験や、実子がいた可能性を示唆する宇野千代本人の証言や作品は存在します。
・『わたしの宇野千代』: 6人の子供を亡くす(流産・死産・出生後の死亡の内訳は不明)
・『私と子供』: 主人公の「私(モデルは宇野千代)」が生後3日の「寵子(ちょうこ)」を亡くす
朝ドラ「ブラッサム」の6週では、珠(石橋静河)が7か月の早産で子供を亡くす場面が描かれます。
なお宇野千代は実子以外にものちに知り合う、東郷志馬・東郷たまみ・北原ミキ・藤江淳子の4人についても「我が子と同然」と考えていました。
→ 宇野千代の子供は1人いた!娘・寵子と6回の流産
→ 宇野千代 妊娠 宇野千代全集の年譜と作品を比較
→ 宇野千代 家系図 父・母・兄弟
→ 東郷志馬とは? 洋画家・東郷青児の長男
→ 東郷たまみとは? 洋画家・東郷青児の長女
→ 北原ミキとは? 小説家・北原武夫の長女
→ 藤江淳子とは? 宇野千代の秘書
→ ブラッサム 6週 あらすじ
結論|宇野千代は6人の子供を亡くしたと本人が証言
宇野千代は瀬戸内寂聴との対談で、2番目の夫・藤村忠と暮らした8年間(1916~1924年)に6人の子供を亡くしたと証言しています。
宇野千代の子供について、本人の証言や作品、関連資料から確認できる内容は以下のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本人の証言 | 藤村忠との8年間に6人の子供を亡くした |
| 実子の有無 | 出生した子供の人数は不明。流産・死産・出生後の死亡の内訳も未確認 |
| 小説『私と子供』 | 主人公の「私」が娘・寵子を生後3日で亡くす |
| 『宇野千代全集 第12巻』の年譜 | 妊娠・出産・流産・死産の記録は確認できない |
| 朝ドラ「ブラッサム」 | 6週で珠が7か月の早産により子供を亡くす |
| 養子の有無 | 法律上の養子がいたことを示す記録は未確認 |
| 我が子同然の4人 | 東郷志馬・東郷たまみ・北原ミキ・藤江淳子 |
本人の証言は、瀬戸内寂聴『わたしの宇野千代』収録の対談「おとこと文学と」(『婦人公論』1983年2月号初出)で確認できます。
宇野千代自身が6人の子供を亡くしたと語ったことは確認できますが、実際に出生した子供の人数や、寵子が実在した娘だったかどうかは確定できません。
→ 宇野千代の子供は1人いた!娘・寵子と6回の流産
→ 宇野千代 妊娠 宇野千代全集の年譜と作品を比較
→ 宇野千代 家系図 父・母・兄弟
→ ブラッサム 珠の出産と妊娠について
宇野千代本人は6人の子供を失ったと認識していた
宇野千代は生前に瀬戸内寂聴との対談において、2番目の夫である藤村忠との間に、6人の赤ん坊を亡くしたと証言しています。
宇野千代は藤村忠との間にできた赤ちゃんを亡くした
瀬戸内 先生は水子の供養をしなければいけないとおっしゃってますでしょう。それは幾人か赤ちゃんを亡くされたんですか?
宇野 六人も死なせているんです。
瀬戸内 本当でございますか。それは尾崎士郎さんのお子さんですか?
宇野 いいえ、藤村忠の子。
瀬戸内 みんな?
宇野 そう、従兄でしたからね。
引用先の『わたしの宇野千代』は『婦人公論』1983(昭和58)年2月号に掲載された対談が収録されています。
当時、85歳だった宇野千代が自分の人生を振り返って、子供を亡くしていたことを自ら明かしているのです。
宇野千代は妊娠7ヶ月前後で赤ちゃんを亡くしていた
宇野千代と瀬戸内寂聴の対談はさらにこう続きます。
瀬戸内 先生が十九歳で同棲し、二十二歳で結婚された北海道の方ですね。藤村さんとは何年くらい、ご一緒でしたの?
宇野 藤村と別れて尾崎と結婚したのが二十七歳の時ですから、八年ですね。
瀬戸内 八年間に六人――。惜しいですね。
宇野 私は骨盤が小さくてね、子供があまり大きく育たないの。大体七ヵ月まででね、その前あたりにおりてしまうの。
どうやら宇野千代は妊娠しても、胎内で赤ん坊を十分な大きさになるまで育てることが難しい体だったようです。
宇野千代本人が述べている「七ヶ月」という数字は、後述するように「ブラッサム」の珠が「7ヶ月の早産で子供を亡くす」という数字と符合します。
ただ「六人」という数字について、
・流産
・死産
・出生後の死亡
といった内訳には言及されていません。
そのため、6人すべてが出生前に亡くなったのか、出生後に亡くなった子供も含まれていたのかは、この対談だけでは明らかになっていません。
一方、宇野千代が発表した短編小説「私と子供」には、実際に生まれたのち、生後3日で亡くなった「寵子」という女の子が登場します。
この寵子が宇野千代の実体験をもとにした存在なのかについては、次に詳しく検証します。
→ 宇野千代の妊娠と出産について
→ ブラッサム 珠の妊娠とその後の出産
宇野千代の小説「私と子供」に娘・寵子が登場
宇野千代は1935(昭和10)年に雑誌『改造』三月号において短編小説「私と子供」を発表しました。
「私と子供」はのちに1938(昭和13)年に中央公論社から刊行された『月夜』に収録され、現在は「宇野千代全集 第4巻」でも読むことができます。
作品では主人公の「私」が津村という男性、その子供である「つとむ」と一緒に生活しています。
その中で「私」は、かつて寵子という女の子を出産し、その子が生後3日で亡くなったことを回想します。
また作品を読むと、寵子は津村との間に生まれた子供ではなく、「私」が別の男性との間にもうけた子供であることがわかります。
注目したいのは、この主人公の「私」に宇野千代本人との共通点が多いことです。
→ 宇野千代 妊娠 宇野千代全集の年譜と作品を比較
「私」には5人の弟妹がいる
「私と子供」の主人公には5人の弟妹がいます。
宇野千代自身の家族構成と共通する設定であり、主人公と宇野千代を結びつける要素の一つです。
「私」は継母に育てられた
作品では「私」が継母に育てられたことも書かれています。
宇野千代も幼いころに実母を亡くし、その後は継母に育てられました。
弟妹の人数だけでなく、幼少期の家庭環境にも宇野千代本人との共通点があります。
津村は東郷青児がモデルと考えられる
「私」と一緒に生活する津村は、洋画家・東郷青児をモデルにした人物と考えられます。
宇野千代は1930(昭和5)年から1934(昭和9)年ごろまで東郷青児と同棲していました。
作品に描かれる「私」と津村の関係は、実際の宇野千代と東郷青児の関係と重なります。
つとむは東郷志馬がモデルと考えられる
津村の子供として登場する「つとむ」は、東郷青児の長男・東郷志馬をモデルにした人物と考えられます。
実際の宇野千代も、東郷青児との同棲中に東郷志馬と一緒に暮らしていました。
さらに作品では、つとむが「私」を「おばさん」と呼んでいます。
宇野千代と東郷志馬も実の親子ではなく、宇野千代は志馬にとって「おばさん」という立場でした。
きぬ代は東郷志馬の実母・永野明代がモデルと考えられる
「私と子供」には、きぬ代という女性も登場します。
きぬ代は、東郷志馬の実母である永野明代(はるよ)をモデルにした人物と考えられます。
このように「私と子供」では人物名こそ変えられていますが、宇野千代の生い立ちや東郷青児をめぐる実際の人間関係と重なる設定がいくつも登場します。
寵子は宇野千代が実際に出産した娘なのか?
では「私と子供」に登場する寵子は、宇野千代が実際に出産した娘なのでしょうか。
現時点では、寵子が実在したとは断定できません。
「私」が宇野千代本人をモデルにした人物であったとしても、小説では実際の人物や出来事をもとにしながら、一部にフィクションを加えることがあります。
そのため、
「私=宇野千代」だから「寵子=宇野千代の実の娘」
とは言い切れません。
一方で、「私」には弟妹の人数や継母に育てられた生い立ち、津村・つとむとの生活など、宇野千代本人と重なる点がいくつもあります。
「宇野千代全集」の年譜に出産の記録はない
「宇野千代全集 第12巻」に収録された宇野千代の詳しい年譜には、子供を出産したという記録はなく、「流産」「死産」などの記述も確認できません。
したがって、全集の年譜から宇野千代に実子がいたとすることはできません。
ただし、年譜に記載がないことだけを理由に、「宇野千代は一度も子供を出産していない」と断定することも難しいでしょう。
現時点では、
・「私と子供」には女児を出産した記述がある
・主人公の「私」は宇野千代本人との共通点が多い
・しかし「私と子供」は小説である
・全集の年譜には出産の記録がない
・寵子の実在を裏付ける別の資料も確認できない
という状態です。
そのため、宇野千代に実の子供がいたのかは「不明」とするのが妥当だと考えられます。
「愛して生きて」には尾崎士郎との子を流産する場面がある
工藤美代子の「愛して生きて 宇野千代伝」には、「私と子供」とは別に宇野千代の妊娠と流産が描かれています。
作品では1924(大正13)年1月ごろ、宇野千代が尾崎士郎との間に子供を妊娠。
出産予定日は同年10月でした。
しかし2月ごろ、尾崎士郎の信奉者である医学生の国村という男性から渡された堕胎薬を飲み、その約10日後に下腹部に激しい痛みを覚えます。
そして妊娠4か月に満たない胎児を流産したと描かれています。
ただし「愛して生きて 宇野千代伝」の巻末には、
「本作は、著者の取材と資料に基づいたフィクションです。」
と記されているだけで、この妊娠・流産についての出典は明らかにされていません。
また「宇野千代全集 第12巻」の1924年の年譜にも、妊娠や流産の記録はありません。
そのため、1924年の流産についても史実だったとは断定できません。
なお、「私と子供」の寵子は実際に出生したのち3日で亡くなっています。
「愛して生きて 宇野千代伝」では妊娠4か月未満で流産しているため、両者は異なる出来事として描かれています。
ブラッサムの珠は7ヶ月の早産で子供を亡くす
ブラッサムの6週では宇野千代がモデルとなっている珠(石橋静河)は、結婚した木村保(金子大地)との間にできた子供を妊娠するも、7ヶ月の早産であったため、子供を亡くしてしまうという場面が描かれます。
次週の7週では珠はもともと子供ができにくい体であったことを医師から告げられることに。
「7ヶ月の早産」といった描写は、宇野千代自身が生前に語っていた、「大体七ヵ月まででね、その前あたりにおりてしまうの」という証言を彷彿とさせます。
→ ブラッサム 6週 あらすじ
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宇野千代に養子はいた?
宇野千代に法律上の養子がいたことを示す記録は確認できません。
一方で宇野千代は、血縁上の親子ではない人物と家族のような関係を築きました。
特に次の4人は、宇野千代にとって「我が子同然」といえる存在でした。
- 東郷志馬
- 東郷たまみ
- 北原ミキ
- 藤江淳子
この4人はいずれも宇野千代の実子ではなく、法律上の養子でもありません。
宇野千代が「我が子同然」と思った4人
東郷志馬(とうごうしま)
東郷志馬は洋画家・東郷青児の長男です。
宇野千代は1930(昭和5)年から1934(昭和9)年ごろまで東郷青児と同棲。
その間、東郷志馬も宇野千代とともに東京・世田谷区代沢(当時の淡島)の家で生活しました。
東郷志馬は宇野千代の実の息子ではありませんが、東郷青児との同棲時代に一緒に生活した「我が子同然」の人物です。
→ 東郷志馬とは? 洋画家・東郷青児の長男
→ 東郷青児の子供とは? 宇野千代から見た子供たちの印象
→ 永野明代とは?
東郷たまみ
東郷たまみ(1940~2016年)は洋画家・東郷青児の長女です。
東郷たまみは、宇野千代が東郷青児との同棲生活を解消した後、東郷盈子(旧姓・西崎)という女性の間に誕生したため、宇野千代と一緒に生活した経験はありません。
しかし宇野千代の晩年には交流を深め、お互いの自宅を行き来する関係になりました。
東郷たまみは宇野千代の実の娘ではありませんが、宇野千代が娘のように親しく接した人物の一人です。
→ 東郷たまみとは? 洋画家・東郷青児の長女
→ 東郷青児の子供とは? 宇野千代から見た子供たちの印象
→ 東郷たまみ 母・東郷盈子(旧姓・西崎)
北原ミキ
北原ミキは、宇野千代の4人目の夫・北原武夫と前妻・美保子との間に生まれた長女です。
北原武夫と宇野千代が結婚したことで、ミキと宇野千代は継母と継子のような関係になりました。
しかし北原ミキは宇野千代との生活になじめないまま、結核性脳膜炎を患い、わずか7歳で亡くなりました。
藤江淳子(ふじえあつこ)
藤江淳子(ふじえあつこ)は1960(昭和35)年に初めて宇野千代と知り合い、秘書として長年にわたり身近で支え続けた人物です。
宇野千代の自伝的小説「生きて行く私」では、藤江淳子のことを指して「うちの淳子」という表現がたびたび使われています。
晩年には公私ともに宇野千代を支え、最も信頼された存在となりました。
藤江淳子も宇野千代の実の娘や養女ではありませんが、晩年の宇野千代にとって家族同然の存在でした。
→ 藤江淳子とは? 宇野千代の秘書
→ 藤江淳子に子供はいたのか?夫・藤江廣や宇野千代との関係
宇野千代 子供 関連記事
東郷青児 子供
東郷青児には、東郷志馬と東郷たまみと言う2人の実子がいました。
宇野千代は2人とも面識があり、彼らに接する態度から子供に対する並々ならぬ思いを感じることができます。
東郷志馬|東郷青児の長男
東郷志馬は、洋画家・東郷青児と永野明代(はるよ)の間に生まれた長男です。
宇野千代の実子ではありませんが、東郷青児との同棲中に宇野千代と一緒に暮らしました。
東郷たまみ|東郷青児の長女
東郷たまみは、洋画家・東郷青児と東郷盈子(みつこ)の間に生まれた長女です。
宇野千代の実の娘ではありませんが、晩年の宇野千代と深い交流を続けました。
→ 東郷たまみとは? 洋画家・東郷青児の長女
→ 東郷たまみ 母・東郷盈子(旧姓・西崎)
東郷青児 その後
宇野千代との同棲解消後、東郷青児は画家としてどのような人生を送ったのでしょうか。戦後の二科会での活躍や妻・東郷盈子との晩年の生活、1978年に熊本で迎えた最期、死後の家族と宇野千代との交流まで解説しています。
→ 東郷青児はその後どうなった?晩年の妻との生活・画家としての活躍と最期
北原ミキ|北原武夫の長女
北原ミキは、北原武夫と前妻・美保子との間に生まれた長女です。
宇野千代の実の娘ではありませんが、北原武夫との結婚によって宇野千代と継母・継子のような関係になりました。
藤江淳子|宇野千代の秘書
藤江淳子は宇野千代の秘書として長年にわたり身近で支えた人物です。
実の親子ではありませんが、宇野千代にとって家族同然の存在となりました。
→ 藤江淳子とは? 宇野千代の秘書
→ 藤江淳子に子供はいたのか?夫・藤江廣や宇野千代との関係
藤江桂子さんと宇野千代の関係
藤江桂子さんは、宇野千代の秘書を約36年間務めた藤江淳子の義理の妹にあたる人物です。
藤江桂子さん自身も宇野千代と交流があり、2026(令和8)年の朝ドラ「ブラッサム」では「資料提供」としてクレジットされています。
→ 藤江桂子さんとは?宇野千代との関係やブラッサムの資料提供を解説
ブラッサム モデル 宇野千代 関連記事
宇野千代とは
「ブラッサム」の主人公・葉野珠(石橋静河)のモデルとなった宇野千代の人物像やプロフィールを紹介します。
宇野千代 家系図
宇野千代の父・母・兄弟・夫など、家族構成を家系図とともに紹介します。
→ 宇野千代の家系図
宇野千代 家族
宇野千代の両親や兄弟、夫など家族について紹介します。
宇野千代 夫
生涯で4回の結婚と1度の同棲を経験した宇野千代の夫たちや男性関係について紹介します。
宇野千代 妊娠
宇野千代はその生涯のうち妊娠したことがあるのでしょうか?
中央公論社が1978(昭和53)年に出版した「宇野千代全集 第12巻」の巻末に収録されている年譜と、宇野千代の人生を取り扱った、ドラマ・伝記・小説の描写と比べて、宇野千代が妊娠したことがあるかどうか検証します。
宇野千代には実の娘・寵子がいた 6回の流産と本人証言
宇野千代には「寵子(ちょうこ)」という実の娘が1人いましたが、早産で生まれ、生後間もなく亡くなりました。
宇野千代は瀬戸内寂聴との対談で寵子の名前を明かしており、神埜努氏の研究書にも女児の出生について記述があります。
宇野千代が子供を失った経験を、本人証言・研究書・文学作品の3つの資料から詳しく解説しています。
ブラッサム 作品紹介・あらすじ・ネタバレ 最終回
ブラッサム 作品紹介
宇野千代の生涯をモデルとする朝ドラ「ブラッサム」の作品情報を紹介します。
ブラッサム 6週 あらすじ
ブラッサムの6週では宇野千代がモデルとなっている珠(石橋静河)が妊娠するも、7ヶ月の早産であったため、子供を亡くしてしまうという場面が描かれます。
ブラッサム あらすじ
朝ドラ「ブラッサム」の最新週から1週までのあらすじを随時更新します。
ブラッサム ネタバレ 最終回まで
朝ドラ「ブラッサム」の最終回までのネタバレや結末予想を紹介します。
参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考としています。
