記事の要約
風、薫る 直美のネタバレと史実まとめ
- 朝ドラ「風、薫る」の大家直美(上坂樹里)のモデルとなった鈴木雅さんは、1901(明治34)年8月に「東京看護婦会」の経営を大関和(「風、薫る」の一ノ瀬りんのモデル)さんに引き継ぐことを決断
- 1922(大正11)年、鈴木雅さんと大関和は今生の別れをすることに
- 1940(昭和15)年6月、鈴木雅さんが死去。享年83。
鈴木雅 後半生の史実とエピソード
1901(明治34)年に東京看護婦会の経営権を大関和に譲る
NHKの2026年前期朝ドラ「風、薫る」の主人公・大家直美(上坂樹里)のモデルとなった鈴木雅さんは、1901(明治24)年8月にそれまで経営していた派出看護婦会の「東京看護婦会」の経営を大関和(「風、薫る」)さんに引き継ぎます。
鈴木雅さんが会の経営を大関和さんに引き継ぐ直前、「東京看護婦会」は会の運営方針を巡り、内部で「大関派」と「反大関派」に分裂していました。
当時、「東京看護婦会」に附属している看護学校の「東京看護婦講習所」で講師をしていた大関和さんは、キリスト教の教えの1つである「奉仕の精神」を全面に押し出して看護を行うという考えでしたが、その考えについていける看護婦たちとそうでない看護婦たちの間で意見が対立していたのです。
大関和さん自身は「東京看護婦会」が2つに割れてしまったことに責任を感じ、持病であったリウマチの療養も兼ねて箱根湯本の温泉に引きこもってしまいます。
しかし、経営責任者であった鈴木雅さんは、あえて大関和さんのもとに電報を打って東京に呼び戻し、大関和さんに経営を全面的に任せることを決断。
あれほど経営者の鈴木雅や大関和の方針に露骨な批判を繰り返していた看護婦も、いざ指導者を失ってみると脆いものだ。誰も経営を譲り受けられるだけの権利金も、運転資金も出せないばかりか、顧客への対応もままならないありさまだった。大関和が帰ってきたのを知ると、皆、和に善後策を頼みこむだけだった。和は教え子や信仰をともにする看護婦たちと相談のうえ、自分が鈴木に代わって東京看護婦会の経営を引き継ぐことにした(『婦人新報』第五三号、明治三四年九月二五日)。
ちなみにこの「東京看護婦会」は、8年後の1909(明治42)年に、キリスト教の精神に則った「大関看護婦会」と改称。「大関看護婦会」は代表の大関和さんをはじめとし、クリスチャンの看護婦だけで構成されていました。
1922(大正11)年に大関和と今生の別れ
鈴木雅さんは「東京看護婦会」の経営を大関和さんに譲ったのちは、顧問のような形で大関和さんから持ち込まれる経営の相談相手となったり、外国から輸入された看護書の翻訳の仕事をしていたようです。
しかし、1922(大正11)年には東京から京都への移住を決意。鈴木雅さんは、「桜井女学校附属看護婦養成所(「風、薫る」の梅岡看護婦養成所のモデル)」以来の盟友であった大関和さんと今生の別れをすることに。
朝ドラ「風、薫る」の原案である「明治のナイチンゲール 大関和物語」、東京の新橋駅のプラットフォームにて2人が手をとって別れを惜しむ様子が描写されています。
駅員が笛の音で発車時刻であることを告げる。和は混乱し、遠くへ行ってしまう雅に何を伝えたらよいのかわからない。ふと気がついて、クリームパンが詰め込まれている紙袋を「雅さん、これを」と手渡す。その思いつめた声に雅が吹き出した。
座席につき、窓から顔を出した雅は、和に「長い間、お世話になりましたね」と言いながら両手を差し出す。和が両手で握り返す。世話になったのは自分の方だ。しかし、嗚咽が込み上げ、言葉にならない。汽車はゆっくりと動き出す。これが二人の今生の別れとなった。
鈴木雅 晩年の史実とエピソード
余生を長女の鈴木みつ・長男の鈴木良一・孫の鈴木康夫と暮らす
鈴木雅さん京都では伏見の稲荷山に住まいを構えますが、その4年後には、娘の鈴木みつさんと孫の鈴木康夫さんが暮らす静岡県の沼津に転居しています。
「明治のナイチンゲール 大関和物語」で描かれる鈴木雅さんは仕事のことに関しては饒舌に話しますが、話が自分のプライベートなことに及ぶと途端に口数が少なくなるという印象です。
同書のエピローグでは鈴木康夫さんから見た祖母・鈴木雅さんの印象がこのように紹介されています。
「祖母は昔話などあまりしない人で、母を通じて『おばあさんは、予定どおりアメリカに行っておれば、ナイチンゲールのように、胸像の一つも立つような仕事をしていたかも知れない』といったことが記憶に残っている」
鈴木雅さんは昔語りをすることはあまりなかったようですが、もしアメリカに留学していればナイチンゲールのように胸像の1つも立ったかもしれないということは孫の康夫さんに言っていました。
鈴木雅の死因と死去
鈴木雅さんの孫である鈴木康夫さんは、1940(昭和15)年3月に徴兵で陸軍に入隊することとなり、入隊前に最後に交わした言葉は「気をつけて行っておいで」の一言だけでした。
鈴木雅さんは康夫さんに向かって愚痴めいたこと言うことは一切なかったようです。その3ヶ月後、同年6月に鈴木雅さんは死去。享年83。
なお鈴木雅さんの死因については、今回の記事を書くにあたって参考とした「明治のナイチンゲール 大関和物語」・「大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語」のどちらも、鈴木雅さんの死因を明らかにしていません。
風、薫る 全話あらすじと最終回までのネタバレ
風、薫る 全話あらすじ
朝ドラ「風、薫る」のあらすじ全話まとめ・登場人物とキャスト・モデル人物・相関図を知りたい方は、下記の記事が参考になるでしょう。
風、薫る 最終回までのネタバレ
また「風、薫る」の最終回までのネタバレ・史実解説・家系図・結末などを知りたい方は下記の記事を参考にしてください。
風、薫る 直美 どうなる 関連記事と参考文献
風、薫る 直美 どうなる 関連記事
朝ドラ「風、薫る」の主人公・大家直美(上坂樹里)のモデルとなった、鈴木雅さんの死因や晩年の様子などについては下記の記事でも紹介しています。
風、薫る 直美 どうなる 参考文献
なお今回の記事を作成するにあたって、下記の文献を参考にしています。これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」はNHKの朝ドラ「風、薫る」の原案となっている本です。
