MENU
本ページはプロモーションが含まれています

中津井高助とは?宇野千代との関係・北海タイムスでの経歴と死因

nakatsui-takasuke
  • URLをコピーしました!

中津井高助(なかついたかすけ)(1875~1925年)は、北海道タイムス社の支配人や北海道会議員を務めた人物で、小説家・宇野千代の親族にあたります。

宇野千代の祖母・シンは高助の叔母にあたり、1920(大正9)年に宇野千代が夫・藤村忠とともに札幌へ移住した際には、就職や資金面、生活面で夫妻を支えました。

また、朝ドラ『ブラッサム』の6週に登場する木村正吾(三宅弘城)のモデルとなった可能性もあります。

この記事では、中津井高助の生い立ちや新聞社での経歴、宇野千代との関係、妻・キヨ、晩年の病気と死因について解説します。

→ 中津井キヨとは?
→ 藤村忠とは?宇野千代の2番目の夫
→ ブラッサム 木村正吾(三宅弘城)とは?
→ ブラッサム 登場人物のモデル一覧

目次

結論|中津井高助は宇野千代の親族で北海タイムスの支配人

中津井高助は、1875(明治8)年3月4日に山口県玖珂郡川越村で生まれ、北海道へ渡って北海タイムスの支配人として活躍した人物です。

1919(大正8)年には北海道会議員にも当選し、新聞経営と地方政治に携わりました。

宇野千代の祖母・シンが高助の叔母にあたり、宇野千代夫妻が札幌へ移住した際には、藤村忠の北海道拓殖銀行への就職や移転資金、住居の面で関わっています。

妻は中津井キヨで、夫妻には実子がなく、養子を迎えていました。

高助は晩年、多血症・心臓病・腎臓病などを患い、1925(大正14)年3月21日、郷里の山口県で死去。享年51歳(数え年)でした。

→ 中津井キヨとは?
→ 宇野千代とは
→ 宇野千代の家系図

中津井高助の生い立ちと家族

1875年に山口県玖珂郡川越村で生まれる

中津井高助は、1875(明治8)年3月4日、山口県玖珂郡川越村(現・岩国市周東町)で誕生。

生家は代々川越村の庄屋筋にあたり、土地を所有する家柄でした。

祖父・市右衛門は酒造業を営み、父・千代槌は分家して木炭商を始めています。

高助は川越小学校を卒業した後、伯父の中津井久右衛門や親族の家に寄寓しながら、当時の中学校に相当する高水塾や岡村塾で学びました。

その後、東京の陸軍教導団に入り、軍人としての道を歩み始めました。

妻・中津井キヨとの結婚

中津井高助の妻は中津井キヨです。

高助とキヨは夫婦として北海道へ渡り、札幌で生活基盤を築きました。

高助夫妻には実子がなく、養子を迎えていました。

宇野千代の自伝『生きて行く私』には、札幌で暮らしていた高助夫妻の生活ぶりが描かれています。

特に妻のキヨは、13年間にわたって繕いながら履き続けた足袋を宇野千代に見せた女性として知られています。

この逸話からは、北海道で財産を築いた中津井夫妻が、日々の生活では倹約を重んじていた様子がうかがえます。

→ 中津井キヨとは?
→ 宇野千代とは?

中津井高助の北海道タイムス社での経歴

北海道へ渡り新聞事業に携わる

中津井高助は、山口県から北海道へ渡り、新聞事業に携わるようになりました。

高助が経営に関わった北海道タイムス社は、明治時代から大正時代にかけて北海道で新聞を発行していた新聞社です。

当時の北海道では、開拓や産業の発展とともに人口が増加し、政治・経済・社会に関する情報を伝える新聞の役割も大きくなっていました。

高助は北海道タイムス社で新聞の経営や営業活動に携わり、やがて支配人を務めるようになります。

北海道タイムス社の支配人として活躍

中津井高助は、北海道タイムス社の支配人として新聞社の経営に携わりました。

新聞社の支配人は、記事の執筆や編集を中心とする記者とは異なり、会社の経営や営業、資金管理などを担う立場です。

高助も新聞の発行を支える経営実務に携わり、北海道タイムス社の運営に重要な役割を果たしました。

北海道で事業に成功した高助は、札幌に邸宅を構え、妻のキヨとともに暮らしていました。

部下に厳しく、人情味もある人物だった

高助の人物像については、北海道タイムス社の関係者による回想が残されています。

高助は仕事に対して厳格で、部下にも規律を求める人物でした。

一方で、部下の生活や家庭にも気を配る人情味のある一面を持っていたとされています。

新聞社の経営を担う立場から、仕事に対する厳しさと部下への思いやりを併せ持っていたことがうかがえます。

新聞人・山口喜一が語る中津井高助

中津井高助の仕事ぶりを伝える人物の一人が、新聞人の山口喜一です。

山口喜一は、後に北海道旭川新聞の主筆や東武新聞の編集長を務めました。

山口は北海道タイムス社に在職していた頃の高助について回想を残しています。

その記録からは、高助が新聞社の経営だけでなく、社員の指導や人材育成にも関心を持っていたことがわかります。

中津井高助の政治活動と北海道会議員

1919年に北海道会議員に当選

中津井高助は、新聞経営だけでなく地方政治にも関わりました。

1919(大正8)年には北海道会議員に当選しています。

北海道会は、現在の北海道議会につながる地方議会で、当時の北海道の行政や地域社会に関わる議論が行われていました。

高助は新聞社の支配人として活動する一方、地方議員としても北海道の政治に携わるようになりました。

新聞経営者と政治家という二つの立場

明治時代から大正時代にかけて、新聞は政治や社会問題を伝える重要な情報媒体でした。

新聞社の経営者は、地域の政治家や実業家とも関係を持つ立場にありました。

高助も北海道タイムス社の経営を通じて地域社会とのつながりを築き、政治活動に取り組んだと考えられます。

ただし、高助が北海道会でどのような政策を主張し、どのような議会活動を行ったのかについては、議事録などの追加調査が必要です。

中津井高助と宇野千代の関係

宇野千代の祖母・シンは中津井高助の叔母

中津井高助は、小説家・宇野千代の親族にあたります。

宇野千代の祖母・シン(宇野茂吉の妻)は、中津井高助の叔母にあたる人物です。

つまり、高助と宇野千代には血縁関係がありますが、実際の続柄では高助は宇野千代の伯父ではありません。

それでも宇野千代は、自伝『生きて行く私』などで高助を「伯父さん」、その妻・キヨを「伯母さん」と呼んでいます。

宇野千代にとって中津井夫妻は、故郷の山口県から遠く離れた札幌で頼ることのできる親族でした。

→ 宇野千代の家系図

1920年に宇野千代と藤村忠が札幌へ移住

1920(大正9)年3月、宇野千代の夫・藤村忠は東京帝国大学法学部を卒業。

実は藤村忠は卒業後の進路として、大蔵省と北海道拓殖銀行の2つの選択肢がありました。

しかし北海タイムスの支配人で、北海道拓殖銀行に強い繋がりがある中津井高助の勧めもあって、同銀行に就職することを決意。

藤村忠は札幌支店に赴任することになり、同年9月、宇野千代も夫とともに札幌へ移住しています。

札幌へ到着した宇野千代夫妻が最初に身を寄せたのが、中津井高助の邸宅でした。

高助の邸宅は札幌の南三条にあり、宇野千代夫妻は半月ほど寄寓しています。

その後、夫妻は南一条通りの裏手で間借り生活を始め、さらに北一条東一丁目十二番地に古い家を購入して転居。

→ 藤村忠とは?宇野千代の2番目の夫

宇野千代夫妻の札幌移転費用を支援

宇野千代夫妻が東京から札幌へ移住する際には、経済的な問題もありました。

夫妻は東京での生活中に借金を重ねており、札幌への移転には旅費だけでなく、借金の整理や新生活を始めるための資金が必要でした。

神埜氏は『女流作家の誕生 宇野千代の札幌時代』において、宇野千代の複数の回想を検討し、移転費用について考察しています。

神埜氏によると、札幌への移転費用は、中津井高助が東京に置いていた金と、藤村忠の初任給を合わせたものだったと考えられます。

また、この金は単なる東京から札幌への旅費ではなく、東京時代に累積した借金を整理し、札幌で借家生活を始めるための資金でもありました。

つまり、高助は宇野千代夫妻の札幌移住に際して、資金面でも重要な役割を果たしていたことになります。

宇野千代が見た中津井高助夫妻の生活

宇野千代は、自伝『生きて行く私』で、札幌に暮らしていた中津井夫妻の生活について回想しています。

高助は北海道で新聞事業に成功し、札幌に邸宅を構えるほどの財産を築いていました。

一方、妻のキヨは倹約を重んじ、長年にわたって同じ足袋を繕いながら履き続けていました。

宇野千代はキヨから13年間履いた足袋を見せられ、その丁寧な繕い方に強い印象を受けています。

宇野千代は、こうした日々の倹約の積み重ねが、中津井夫妻の財産につながったのだと受け止めました。

ただし、これは宇野千代自身の回想に基づくものであり、中津井家の財産形成の過程を直接証明するものではありません。

中津井高助の晩年と死因

1923年に札幌を離れ郷里の山口県へ戻る

中津井高助は晩年、病気を患うようになりました。

1923(大正12)年の大晦日、高助は妻のキヨとともに札幌を離れ、郷里の山口県玖珂郡川越村へ戻りました。

高助は北海道タイムス社の経営や政治活動に携わっていましたが、病気のため郷里で療養生活を送ることになりました。

多血症・心臓病・腎臓病を患う

中津井高助は晩年、多血症や心臓病、腎臓病などを併発していたとされています。

これらの病気を患いながら、山口県の生家で療養生活を続けました。

ただし、複数の病気が記録されているため、どの病気が直接の死因となったのかについては、慎重に扱う必要があります。

1925年3月21日に51歳で死去

中津井高助は、1925(大正14)年3月21日、山口県玖珂郡川越村の生家で亡くなりました。

享年51歳でした。

高助の死去については、同年3月23日付の『北海道タイムス』に死亡広告が掲載されています。

死亡広告には、高助が郷里で病気療養中に亡くなったことが記されていました。

また、遺骨を札幌へ持ち帰り、本葬を営む予定であることも告知されています。

郷里と札幌で葬儀が営まれる

高助の死後、郷里の山口県で仮葬儀が営まれ、その後、札幌でも本葬儀が行われました。

北海道タイムス社の経営に携わり、北海道会議員としても活動した高助は、北海道の新聞界や地域社会に関わった人物でした。

そのため、故郷だけでなく、長年活動した札幌でも葬儀が営まれたのです。

中津井高助の功績と故郷への貢献

故郷の川越村へ奨学資金1万円を寄付

中津井高助は、北海道で事業に携わる一方、故郷の山口県川越村との関係も大切にしていました。

高助は生前、郷里の教育を支援するため、川越村に奨学資金として1万円を寄付しています。

当時の1万円は大きな金額であり、高助が故郷の教育に強い関心を寄せていたことがうかがえます。

この寄付は、経済的な事情で進学が難しい若者たちを支援するためのものでした。

中津井高助頌徳碑が建立される

中津井高助の死後、川越村では高助の功績をたたえるため、「中津井高助頌徳碑」が建立されました。

頌徳碑とは、人物の功績や徳を後世に伝えるために建てられる石碑です。

高助は北海道タイムス社の支配人や北海道会議員として活動しただけでなく、故郷の教育を支援した人物としても記憶されることになりました。

中津井高助はブラッサム 木村正吾のモデルか

朝ドラ『ブラッサム』の6週から始まる北海道編には、三宅弘城さんが演じる木村正吾が登場します。

木村正吾は、主人公・珠(石橋静河)の夫・木村保(金子大地)の親戚で、札幌拓殖銀行に勤める人物です。

NHKは木村正吾のモデルを公表していません。

しかし、史実では宇野千代が夫・藤村忠とともに札幌へ移住した際、親族の中津井高助が夫妻を迎え、生活面で関わっていました。

この「札幌で暮らす親族」という立場は、木村正吾と共通しています。

→ ブラッサム 木村正吾(三宅弘城)とは?
→ ブラッサム 木村保(金子大地)とは?
→ ブラッサム 木村珠(石橋静河)とは?
→ ブラッサム キャスト 相関図 北海道の人たち
→ ブラッサム 登場人物のモデル一覧
→ ブラッサム 6週 あらすじ
→ 札幌拓殖銀行とは?

中津井高助 関連記事

中津井高助の生涯や宇野千代との関係をさらに詳しく知りたい方は、藤村忠と中津井キヨの記事もご覧ください。

藤村忠とは?宇野千代の2番目の夫

藤村忠は、宇野千代の2番目の夫で、東京帝国大学を卒業後、北海道拓殖銀行に就職した人物です。

中津井高助の勧めもあって北海道拓殖銀行への就職を選び、宇野千代とともに札幌へ移住しました。

→ 藤村忠とは?宇野千代の2番目の夫

中津井キヨとは?

中津井キヨは、中津井高助の妻で、札幌で宇野千代夫妻を迎えた人物です。

宇野千代の自伝『生きて行く私』には、13年間履き続けた足袋を繕って使うなど、倹約を重んじた生活ぶりが描かれています。

→ 中津井キヨとは?

ブラッサム モデル一覧

朝ドラ「ブラッサム」には中津井高助をモデルにしていると考えられる木村正吾以外にも、実在した人物をモデルにしたキャラクターが登場します。

その一覧について、下記の記事でまとめています。

→ ブラッサム 登場人物のモデル一覧

ブラッサム モデル 宇野千代 関連記事

朝ドラ『ブラッサム』の主人公・葉野珠のモデルは、小説家の宇野千代です。

宇野千代の生涯や家族関係については、以下の記事で詳しく解説しています。

宇野千代とは?

宇野千代(1897~1996年)は、『色ざんげ』『おはん』などの作品で知られる小説家です。

山口県に生まれ、東京や札幌などで生活した後、小説家として活躍しました。

→ 宇野千代とは?

宇野千代の家系図

宇野千代の父母や祖父母、親族との関係を家系図で紹介しています。

中津井高助は、宇野千代の祖母・シンを叔母とする親族で、宇野千代夫妻の札幌移住にも関わりました。

→ 宇野千代の家系図

宇野千代の夫

宇野千代は生涯で4度結婚しました。

2番目の夫・藤村忠とは札幌で暮らし、北海道拓殖銀行への就職や札幌への移住には、中津井高助も関わっています。

→ 宇野千代の夫は誰?4人の夫と結婚・離婚の経緯

宇野千代の子供

宇野千代に子供がいたのか、結婚生活や自伝、年譜などの資料をもとに解説しています。

→ 宇野千代に子供はいた?結婚歴と家族関係

ブラッサム 作品紹介・あらすじ・ネタバレ 最終回

ブラッサム 作品紹介

宇野千代の生涯をモデルとした朝ドラ「ブラッサム」の作品紹介です。

→ NHK2026年後期朝ドラ「ブラッサム」とは?

ブラッサム 木村正吾(三宅弘城)とは?

朝ドラ『ブラッサム』に登場する木村正吾(三宅弘城)は、主人公・葉野珠(石橋静河)の夫・木村保(金子大地)の親戚で、札幌拓殖銀行に勤める人物です。

史実では、宇野千代夫妻が札幌へ移住した際、中津井高助が住居や資金面で支援しており、木村正吾のモデルとなった可能性があります。

→ ブラッサム 木村正吾(三宅弘城)とは?

ブラッサム 札幌拓殖銀行とは?

朝ドラ『ブラッサム』に登場する札幌拓殖銀行は、1900(明治33)年に設立された北海道拓殖銀行がモデルと考えられます。

史実では、中津井高助の勧めもあって藤村忠が北海道拓殖銀行に就職し、宇野千代とともに札幌へ移住しました。

→ ブラッサム 札幌拓殖銀行とは?モデルは北海道拓殖銀行か

ブラッサム あらすじ

朝ドラ「ブラッサム」の最新週から1週までのあらすじを随時更新します。

→ ブラッサム あらすじ 最新週から1週まで

ブラッサム ネタバレ 最終回まで

朝ドラ「ブラッサム」の最終回までのネタバレや結末予想を紹介します。

→ ブラッサム ネタバレ最終回まで 主な登場人物の結末

参考文献

今回の記事は以下の書籍を参考としています。

nakatsui-takasuke

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次