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風、薫る バーンズは誰?モデルのアグネス・ヴェッチと役割・結末を解説

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「バーンズ モデル」と検索すると銃(モデルガン)の情報が多く表示されますが、本記事で扱うのは朝ドラ『風、薫る』に登場する看護師バーンズの実在モデルです。

結論から言うと、バーンズのモデルは、明治時代に来日し桜井女学校附属看護婦養成所において、看護学の教授を行ったスコットランド人のアグネス・ヴェッチ(1842–1942)である可能性が高い人物です。

桜井女学校附属看護婦養成所がモデルの看護学校 風、薫るの梅岡女学校付属看護婦養成所とは?

目次

結論:バーンズは誰?

朝ドラ「風、薫る」の第6週から登場するバーンズとは、主人公であるりん直美ら看護学生たちにの看護学を教え、看護実習の師指導も担当する、梅岡女学校看護婦養成所のスコットランド人教師のことです。

バーンズが学生たちに教授する看護学とは、最新式の「ナイチンゲール方式」の看護教育に基づきます。

「風、薫る」バーンズ役 エマ・ハワードさん 人物像と役柄を解説
→「風、薫る」のバーンズはどうなる?【結末とその後のネタバレ】

バーンズは誰?(人物像を簡単に解説)

バーンズとは(「風、薫る」での役柄)

朝ドラ「風、薫る」の公式ガイドブックに掲載されている「あらすじ」によると、バーンズは日本語が堪能であるものの、授業はすべて英語で行う看護学担当のスコットランド人教師として描かれています。

看護学の教師としての役割

看護学の教師としての役割は、りん・直美ら看護学生たちに「ナイチンゲール方式」による看護教育を行うことです。「ナイチンゲール方式」の看護を簡単に説明すると、以下の3点に集約されます。

  1. 病院での実地訓練(実習中心)
  2. 生活態度・礼儀の教育(規律と人格の重視)
  3. 衛生・環境の重視(科学的看護)

これらは全て、りんや直美の看護学生時代にあたる1880年代当時の日本にはなかった、最新式の看護概念でした。

看護実習指導者としての役割

「風、薫る」の第7週からは帝都医科大学病院での看護実習の様子が詳しく描かれます。バーンズはその看護実習にも帯同し、病院当局と看護学生たちの間に立って、どの学生がどの入院患者を担当するかなどの調整役となります。

「風、薫る」の帝都医科大学とはドラマ上の大学病院のこと
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バーンズ役エマ・ハワードについて

イギリス出身。ロンドンの演劇学校で学んだのち多くの舞台作品に出演。NHKでは「負けて、勝つ」などに出演。

「風、薫る」バーンズ役 エマ・ハワードさんの詳しいプロフィール

バーンズのモデルはアグネス・ヴェッチ

モデルはアグネス・ヴェッチ

「風、薫る」のバーンズのモデルは、実在したアグネス・ヴェッチ(1842~1942年)がモデルになっていると考えられます。

モデルとされる理由

「風、薫る」のバーンズのモデルは、梅岡女学校付属看護婦養成所で、りんや直美ら看護学生たちに看護学を教授する教師という設定です。

実在したアグネス・ヴェッチも梅岡女学校付属看護婦養成所のモデルと考えられる、桜井女学校附属看護婦養成所において、りんと直美のモデルである大関和さんと鈴木雅さんに、1887(明治20)年10月から1888(明治21)年10月26日まで、看護学の教授を担当していました。

こうした史実から「風、薫る」のバーンズはアグネス・ヴェッチであると考えられます。

看護教育との関係

アグネス・ヴェッチが来日した当初、日本の看護教育において「ナイチンゲール方式」の看護教育はほとんど普及していませんでした。

そのためヴェッチが行う「ナイチンゲール方式」に基づく看護教育は、そのまま黎明期にあった近代看護教育の礎になったと考えられます。

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今後の役割(看護教育の中心人物)

「風、薫る」のバーンズは、梅岡女学校付属看護婦養成所における看護教育の中心人物です。

第6週以降、りん・直美・多江を始めとした学生たちにはバーンズが中心になって、西洋式の看護学の教授や、病院実習での指導がなされます。

りん・直美との関係

バーンズは特に直美との関係が密接になります。バーンズの授業は英語でかつ早口で行われ、内容についていけるのは直美だけで、バーンズの通訳は直美が務めることになるからです。

結末はどうなる?(現時点のまとめ)

  • 看護学の教師として第6週から第12週まで看護学生たちを中心的に指導
  • 梅岡女学校付属看護婦養成所の閉鎖に伴い第12週でスコットランドに帰国
  • その後の展開は未公表

アグネス・ヴェッチとはどんな人物だったのか

アグネス・ヴェッチとは: 来日の経緯

アグネス・ヴェッチは1842(天保13)年、イギリスの構成国の1つであるスコットランド・エジンバラで誕生。

エジンバラに王立診療所ができたのち、1873(明治6)年には「ナイチンゲール方式」の看護学校も設立され、ヴェッチはその学校で10ヶ月の「レディ看護婦」としての訓練を受けることに。

「レディ看護婦」とは「看護婦の管理者もしくはマネージャー」になることを前提とした看護婦のことです。

アグネス・ヴェッチは来日前の数年間、中国においてキリスト教伝道の一環として看護活動に従事していたと考えられていますが、日本でナイチンゲール方式の看護学が広められる機会を見つけて来日することを希望。

彼女の姪にあたるE・M・ヴェッチによれば、「日本では欧化の風潮が高まり、皇后の希望でまたとないチャンスが訪れ、アグネス・ヴェッチは黎明期の日本でナイチンゲールシステムによる看護を伝えるため、派遣されました」とあるのみである(The Pelicand Nurse League Journal of the Royal Infumary Edimburgh Scool of Nursing in 1972. ‘Agnes Vetch’)。
もしこの記述が正しいとすれば、ヴェッチは何らかの意図で日本に看護教育を行うために中国からやって来たことになる。

亀山美知子 「女たちの約束: M.T.ツル-と日本最初の看護婦学校」ドメス出版 137ページから138ページまで

同じころ、ヨーロッパの医療制度や事情を研究していた帝国大学医科大学学長(現在の東京大学医学部の学部長に相当)の三宅秀(みやけひいづ/すぐる)は、看護婦の有用性を認めて、優秀な指導者を求めていました。

そんなとき桜井女学校附属看護婦養成所の経営者である、マリア・T・ツルー(「風、薫る」のメアリーのモデル)が教授としてアグネス・ヴェッチを招聘したことを聞きつけ、三宅秀は1887(明治21)年10月27日付で帝国大学医科大学第一医院における看護学教授の「お雇い外国人」として契約するに至りました。

アグネス・ヴェッチの年表

アグネス・ヴェッチの年表は以下の通りです。

アグネス・ヴェッチは、1887(明治20)年10月下旬から1888(明治21)年10月下旬の約1年間、桜井女学校附属看護婦養成所と帝国大学医科大学第一医院看護法講習科の2つの看護学校において、看護学の教鞭を執っていたことが分かっています。

スクロールできます
西暦(和暦)年齢(満年齢)できごと
1842(天保13)年0才スコットランドのエジンバラで誕生
1874(明治7)年32才地元の王立診療所が運営する看護学校を特待生として卒業
1881(明治14)年39才伝道活動のため中国に赴任
1887(明治21)年1月45才大関和・鈴木雅らが桜井女学校附属看護婦養成所に入学
1887(明治21)年10月27日45才お雇い外国人」として帝国大学医科大学第一医院(現在の東京大学医学部附属病院)の看護学教授として赴任。契約期間は6ヶ月
1888(明治22)年4月26日46才「お雇い外国人」としての契約が6ヶ月間延長される
1888(明治22)年10月26日46才帝大第一医院看護法講習科と桜井女学校附属看護婦養成所による合同の看護学生修了式に臨席
1888(明治22)年11月46才任期満了につきスコットランドへ帰国
1942(昭和17)年100才死去

アグネス・ヴェッチによる看護教育

看護学生たちとの関係

実在した桜井女学校附属看護婦養成所は1887(明治20)年1月に開校していますが、ヴェッチが教鞭を執ったのは、1887(明治20)年10月からです。

ヴェッチは同校の看護学生だった大関和さん・鈴木雅さん・桜川里以「風、薫る」の玉田多江のモデル)らに看護学の教授を担当。

「ナイチンゲール方式」の看護教育には「指導者と学生が生活を共にする」という考え方もあったため、ヴェッチは寄宿生活をする大関和さん・鈴木雅さんらと同じ寮で寝食を共にしていました。

鈴木雅との関係

ヴェッチはスコットランド生まれであり、日本に赴任する前は中国に赴任していました。

そのため複雑な日本語はほとんど話せなかったと考えられます。そこで授業中はフェリス・セミナリー(現在のフェリス女学院)と日本婦女英学校(現在の横浜共立学園)を卒業し、英語が堪能だった鈴木雅さんがヴェッチに常に寄り添って、通訳をしていました。

看護実習はヴェッチが紹介した帝大医院

実在した桜井女学校附属看護婦養成所は病院付属の看護学校ではなかったため、看護学生たちの実習を受け入れてくれる病院探しが難航。

そんなとき実習先を紹介してくれたのがヴェッチでした。実はヴェッチは「お雇い外国人」として帝国大学医科大学第一医院の看病法講習科でも看護学の教授を担当していたのです。

その伝手で桜井女学校附属看護婦養成所の看護学生たちも、帝大医院で看護実習をできることになったのです。

風、薫るのネタバレ最終回と全話あらすじ

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風、薫る バーンズは誰? 関連記事と参考文献

風、薫る バーンズは誰? 関連記事

「風、薫る」に登場する人物の中にはアグネス・ヴェッチがモデルと考えられるバーンズ以外にも、実在した人物がモデルとなっている登場人物がいます。その「モデル一覧」については下記の記事が参考になるでしょう。

風、薫る バーンズは誰? 参考文献

今回の記事は下記の書籍を参考文献としています。これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」は朝ドラ「風、薫る」の原案にもなっています。

NHK出版
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著:田中ひかる
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