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尾崎士郎と本間巷一郎の関係とは?『人生劇場』を早くから評価した門下生第一号

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小説家・尾崎士郎には、本間巷一郎という「門下生第一号」とされる人物がいました。

本間巷一郎は1920年代から1930年代にかけて文学作品や評論を発表し、プロレタリア文学の雑誌『文芸戦線』などにも寄稿した人物です。

さらに本間は、尾崎士郎の代表作『人生劇場』がまだ広く評価されていなかった1934(昭和9)年の段階で、作品の可能性に注目していました。

その後、『人生劇場』は川端康成から高く評価されたことをきっかけに注目を集め、尾崎士郎を代表する作品となっていきます。

この記事では、尾崎士郎と本間巷一郎の関係や、本間が『人生劇場』を早くから評価していたこと、当時のプロレタリア文学をめぐる時代背景について紹介します。

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目次

結論|本間巷一郎は尾崎士郎の「門下生第一号」

本間巷一郎は、尾崎士郎の「門下生第一号」とされる人物です。

詳しい弟子入りの経緯は分かっていませんが、『実説人生劇場』では「門下生一号の本間巷一郎」と紹介されています。

また、本間は1934(昭和9)年の『文芸首都』で、まだ単行本として出版される前だった『人生劇場』に注目し、尾崎文学の今後につながる作品として評価していました。

『人生劇場』が広く知られる大きな契機となったのは、その後の川端康成による高い評価でした。

つまり本間巷一郎は、川端康成によって『人生劇場』が注目される以前から、その作品を評価していた尾崎士郎の門下生だったのです。

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尾崎士郎と本間巷一郎の関係|「門下生第一号」とされた人物

本間巷一郎は、大正から昭和にかけて文学作品や評論などを発表した人物です。

現在確認できる資料は多くありませんが、尾崎士郎や代表作『人生劇場』について論じた『実説人生劇場』では、本間について「門下生一号」と記されています。

つまり、本間は尾崎士郎の門下生の中でも早い時期から尾崎のもとで学んだ人物だったと考えられます。

ただし、本間がいつ、どのような経緯で尾崎と知り合い、門下生となったのか、詳細は不明です。

尾崎士郎の長女・尾崎一枝による『父 尾崎士郎』や、尾崎と『人生劇場』ゆかりの人々について取り上げた『人生劇場のふるさと』にも、本間についての詳しい記述は見当たりません。

そのため、本間と尾崎の師弟関係について確認できる史料は限られています。

しかし、本間は単に「尾崎士郎の門下生だった」というだけの人物ではありません。

尾崎の代表作となる『人生劇場』がまだ広く評価されていなかった時期から、その作品に注目していた人物でもありました。

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→ 尾崎一枝とは?尾崎士郎の長女(準備中)

本間巷一郎はプロレタリア文学の周辺でも活動した

本間巷一郎は、1920年代から1930年代にかけて文芸雑誌などに作品や評論を発表しています。

プロレタリア文学の代表的な雑誌の一つである『文芸戦線』にも寄稿し、当時登場していた新しい芸術運動や思想について論じていました。

プロレタリア文学とは?

プロレタリア文学とは、労働者や農民などの生活、貧困、労働問題、階級対立などを題材とし、社会主義・共産主義思想や労働運動とも関係しながら発展した文学運動です。

日本では1920年代から1930年代初頭にかけて大きな勢力となり、小林多喜二『蟹工船』などが代表的な作品として知られています。

文学を個人の感情や人生だけを描くものとしてではなく、社会や政治、階級の問題と結びつけて考える傾向が強かったことも特徴です。

尾崎士郎自身も若いころには社会主義運動や労働運動に関わった経験があり、尾崎と本間が活動した時代の文学界を理解するうえで、プロレタリア文学は無視できない存在でした。

本間巷一郎は『人生劇場』を早くから評価していた

尾崎士郎の代表作『人生劇場』は、後に大きな人気を獲得しましたが、都新聞(現在の東京新聞の前身の1つ)に連載された当初から高く評価されていたわけではありません。

『実説人生劇場』では、1935(昭和10)年3月に『人生劇場』が単行本として出版される以前、この作品をある程度評価していた人物として「門下生一号の本間巷一郎」を挙げています。

1934年の『文芸首都』で尾崎士郎を評価

本間は1934(昭和9)年8月号の『文芸首都』に掲載された「人としての尾崎士郎」という小特集で、尾崎の作品について論考を発表。

尾崎氏の作品 – 一般的には「悪太郎」、「酒場物」が代表作とされてゐるやうである。だが尾崎氏の持つほんとうのものは「人生劇場」「蜜柑の皮」から発展して行くべきもののやうに思ふ。

都筑久義 実説人生劇場―尾崎士郎の生涯 白馬出版 195ページ

本間は『人生劇場』『蜜柑の皮』といった作品から「尾崎文学の重要な部分が始まる」と指摘しています。

『人生劇場』が都新聞に連載されたのは、1933(昭和8)年3月18日から6月30日まで。

本間による評価は新聞連載終了から約1年後であり、竹村書房から単行本が出版されるよりも前のことでした。

『人生劇場』は連載当初ほとんど評価されなかった

現在では尾崎士郎の代表作として知られる『人生劇場』ですが、都新聞での連載当時は大きな反響を呼んだ作品ではありませんでした。

『実説人生劇場』では、連載中や連載直後にも文壇からほとんど評価されず、読者からの反響も強くなかったと説明されています。

1935(昭和10)年に竹村書房から単行本として出版された後も、本の販売は苦戦していたようです。

そのような時期に『人生劇場』にいち早く注目していた人物こそ、本間巷一郎です。

後に作品が有名になってから評価したのではなく、まだ『人生劇場』の評価が定まっていなかった時期から作品の可能性を認めていた点に、本間の評価の特徴があります。

『人生劇場』が発表された時代とプロレタリア文学

『人生劇場』が発表された1930年代前半は、日本の文学界そのものが大きく変化していた時期でもありました。

『実説人生劇場』では、『人生劇場』がもっと早い昭和初期に発表されていたなら、後のような大衆的な評価を得られたかどうか分からないという趣旨の分析がされています。

プロレタリア文学から文学界が変化した時代

1920年代後半から1930年代初頭には、プロレタリア文学が文学界で大きな影響力を持っていました。

当時は文学作品についても、社会問題や政治、階級、時代との関係から評価する傾向が強い時期でした。

しかし、1930年代に入るとプロレタリア文学運動に対する弾圧が強まり、運動から離れる「転向」も相次ぎます。

文学界を取り巻く状況も次第に変化し、プロレタリア文学とは異なる作品が広く読まれる環境が生まれていきました。

『実説人生劇場』では、このような時代の変化も『人生劇場』が大衆的な人気を獲得した背景の一つとして考察。

本間巷一郎自身もプロレタリア文学の周辺で活動した経験を持つ人物だったと考えられます。

その本間が、文学界の変化する時期に『人生劇場』を早くから評価していたことは、尾崎士郎との関係を考えるうえでも興味深い点です。

『人生劇場』を批判した間宮茂輔

一方、当時の文学者がそろって『人生劇場』を評価していたわけではありません。

作家・間宮茂輔は『人生劇場』に対して批判的な立場を取りました。

間宮茂輔は『人生劇場』を「骨折って読んだ」

間宮は『人生劇場』について、読むのに苦労したという趣旨の感想を述べ、作品に描かれた青春や人物像などについて批判的に論じています。

『実説人生劇場』では、本間巷一郎らによる評価とは対照的な意見として間宮の批評を取り上げています。

間宮の存在からも、『人生劇場』が最初から誰もが認める名作として受け入れられたわけではなく、作品に対する評価が分かれていたことが分かります。

その意味でも、まだ評価の定まっていなかった段階で『人生劇場』に注目していた本間巷一郎の存在は注目されます。

川端康成の評価で『人生劇場』が広く知られるように

『人生劇場』の評価が大きく変化するきっかけとなった人物の一人が、後にノーベル文学賞を受賞する川端康成です。

1935(昭和10)年に竹村書房から単行本が出版された当初、『人生劇場』の売れ行きは芳しいものではありませんでした。

しかし、川端康成が『人生劇場』を高く評価したことで作品への注目が高まり、その後の人気につながっていきます。

川端康成より前に『人生劇場』を評価した本間巷一郎

ここで改めて注目したいのが、本間巷一郎が『人生劇場』を評価した時期です。

本間が『文芸首都』で『人生劇場』に注目したのは1934(昭和9)年。

まだ単行本が出版される前であり、川端康成による高い評価によって作品が広く知られるようになる以前でした。

つまり、『人生劇場』をめぐっては、

1933(昭和8)年:都新聞で連載
↓
1934(昭和9)年:本間巷一郎が『文芸首都』で評価
↓
1935(昭和10)年:竹村書房から単行本を出版
↓
当初は大きな売れ行きにはつながらず
↓
川端康成が『人生劇場』を高く評価
↓
作品への評価と人気が高まる

という流れを見ることができます。

『人生劇場』を早くから評価した本間巷一郎の先見性

本間巷一郎と川端康成では、尾崎士郎との関係も文学界での立場も異なります。

本間は尾崎士郎の「門下生一号」とされた人物であり、まだ『人生劇場』の評価が定まっていない段階から作品に可能性を見いだしていました。

一方の川端康成による高い評価は、『人生劇場』がより広く注目される大きな契機となりました。

尾崎士郎の門下生だった本間巷一郎は、『人生劇場』が後に代表作として知られるようになる前から、その作品を評価していた人物の一人だったのです。

→ 宇野千代と川端康成の関係

ブラッサム 田島風太郎のモデルは本間巷一郎?

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西尾一路のモデルが尾崎士郎であることや、本間巷一郎が尾崎の「門下生第一号」とされていることから、田島風太郎のモデルには本間巷一郎の要素が取り入れられている可能性があります。

田島風太郎の人物設定や本間巷一郎との共通点については、関連記事で詳しく紹介しています。

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参考文献

今回の記事は以下の書籍を参考としています。

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