大関和・鈴木雅と女子学院
大関和・鈴木雅が通った桜井女学校内の看護婦養成所
NHKの2026年前期朝ドラ「風、薫る」で主人公・一ノ瀬りん(見上愛)と大家直美(上坂樹里)のモデルは、それぞれ大関和(おおぜきちか)(1858~1932年)さんと鈴木雅(すずきまさ)(1857~1940年)さんです。
大関和さんと鈴木雅さんは明治時代に「トレインドナース」となり、明治・大正期を通じて偏見の多かった看護婦という職業の確立に多大な貢献をされました。
その大関和さんと鈴木雅さんがトレインドナースとなるために通った看護学校は、桜井女学校附属看護婦養成所(桜井看護学校)でした。
女子学院の前身: 桜井女学校とは
桜井女学校とは現在、東京都千代田区一番町に所在し、女子のための中高一貫教育を提供する女子学院の前身にあたる学校です。
桜井女学校は1876(明治9)年に、桜井ちかが私塾として開設。しかし桜井ちかは函館女子師範学校の教師として赴任したことにより、マリア・T・ツルー(トゥルー)がアメリカの伝道協会から資金を調達しながら学校の運営を続けます。
桜井女学校付属看護婦養成所(桜井看護学校)の設立
桜井女学校の経営者であるマリア・T・ツルーは、日本における看護婦養成は急務であると考えていました。
そのためにフィラデルフィア女性外国伝道協会とニューヨーク女性伝道協会を通して、看護学校設立のための資金を集めていましたが、米国長老派教会の医療伝道宣教師であるジェームス・カーティス・ヘボンの反対に遭い協力を得られません。
ヘボンによると、当時の日本は女性が看護婦になれるほど社会が成熟していないという見解でした。そこでツルーは最初の看護学校は小規模に始めることを考え、自身が経営している桜井女学校内に看護学校を設立することにします。
女子学院誕生までの年表
| 西暦(和暦) | 説明 |
|---|---|
| 1870(明治3)年 | ジュリア・カルロゾスが東京・築地の居留地にA六番女学校を設立 |
| 1874(明治7)年 | ケイト・M・ヤングマンらによってA六番女学校が引き継がれB六番女学校が設立される |
| 1876(明治9)年 | 桜井ちかが東京市麹町区に桜井女学校を設立。B六番女学校は新栄町に移転し、新栄女学校と改称 |
| 1878年(明治11)年 | 矢嶋楫子が新栄女学校の校長に就任 |
| 1881(明治14)年 | 桜井ちかが函館へ転居するに伴い桜井女学校の経営権が桜井ちかからマリア・T・ツルーに移る。矢嶋楫子が新栄女学校の校長から桜井女学校の校長代理に転じる |
| 1884(明治17)年 | このころから桜井女学校に看護婦学校を設立するための動きが見られるようになる |
| 1885(明治18)年 | 医療宣教師のJ.C.ヘボンが看護婦学校の設立に反対したため、非公式ながらツルーが桜井女学校内に看護学校を設立することを決意 |
| 1887(明治20)年 | 1月に桜井女学校内に看護婦学校が開校。大関和・鈴木雅・桜川里以・広瀬うめ・池田子尾・小池民らが入学 |
| 1888(明治21)年 | 10月26日、看護学生たちの修了式が行われるものの看護婦学校は閉鎖される |
| 1890(明治23)年 | 9月9日、新栄女学校と桜井女学校が正式に合併し女子学院と改称。 |
桜井女学校附属看護婦養成所の教育
桜井女学校付属看護婦養成所の一期生たち
1887(明治20)年1月に桜井女学校の敷地内にできた看護婦養成所には7~8人の女性が一期生として入学。そのうちの6名が、1888(明治21)年10月の卒業まで専門的な看護を学ぶことになります。その6人とは次の女性たちです。
- 大関和(おおぜきちか)
- 鈴木雅(すずきまさ)
- 桜川里以(さくらかわりい)
- 広瀬うめ(ひろせうめ)
- 池田子尾(いけだねお)
- 小池民(こいけたみ)
桜井女学校付属看護婦養成所とナイチンゲール看護学校
看護婦養成所では座学の教授には、マリア・T・ツルーの他に桜井女学校の校長である矢嶋楫子(「風、薫る」の梶原敏子のモデル)、峯尾ゑい(みねおえい)(「風、薫る」の松井エイのモデル)が担当し、実習の教授はスコットランド・エジンバラ王立診療所附属看護婦学校卒業生のアグネス・ヴェッチが担当。
アグネス・ヴェッチが学んだエジンバラの看護婦学校は、ナイチンゲール看護婦学校(現在のFlorence Nightingale Faculty of Nursing, Midwifery & Palliative Care)出身者によって開設された学校で、ナイチンゲール方式によって教育が行われていました。
アグネス・ヴェッチは寮生活をする学生たちと同じ寮で寝食をともにしますが、これにはナイチンゲール看護婦学校の伝統を継ぐ意味があったと考えられます。
看護婦は一期生しか輩出できなかった桜井女学校
1888(明治21)年10月に看護婦養成所の修了式が執り行われ、6人のうち大関和さん・鈴木雅さん・桜川里以さんの3名が帝国大学医科大学第一医院(現在の東京大学医学部附属病院)の看病婦取締(現在の看護師長に相当)に就任することになります。
しかし桜井女学校の看護婦養成所が看護婦を送り出したのは、この年限りのことでした。大関和さんや鈴木雅さんたちの修了式が行われたその日に、ツルーのもとにはアメリカの長老教会から看護学校の閉鎖通知決定書が届いていたからです。
この後、桜井女学校とその後に学校の名称を変えた女子学院からは、看護婦を輩出することはありませんでした。
ただ大関和さんの娘である大関心(おおぜきしん)さんは、女子学院を卒業したのち、慈恵看護婦教育所(現在の慈恵看護専門学校)の看護学生となります。
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NHKの2026年朝ドラ「風、薫る」では、主人公・一ノ瀬りん(見上愛)と大家直美(上坂樹里)の二人がトレインドナースとなるために通うこととなる看護学校として、梅岡看護婦養成所(うめおかかんごふようせいじょ)が登場します。
この梅岡看護婦養成所のモデルは、「風、薫る」の主人公たちのモデルとなった大関和(1858~1932年)さんと鈴木雅(1857~1940年)さんが、1887(明治21)年1月から1888(明治21)年10月までの間に通っていた、東京市麹町区(現在の東京都千代田区)にあった桜井女学校附属看護婦養成所であると考えられます。
現在の女子学院がどのような経緯を経て誕生したのか、なぜ女学校の中に看護学校ができたのかその理由などについては下記の記事が参考になるでしょう。
風、薫る 女子学院 参考文献
なお今回の「風、薫る 女子学院 大関和 鈴木雅が入学した看護婦養成所」という記事を作成するにあたって、下記の3冊の文献を参考にしています。
これらのうち「明治のナイチンゲール 大関和物語」はNHKの朝ドラ「風、薫る」の原案となっている本です。
