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北原ミキとは?北原武夫の子供(娘)|母・美保子や宇野千代との関係を解説【ブラッサム】

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北原ミキは、小説家・北原武夫と最初の妻・美保子との間に生まれた娘です。

北原武夫の子供として知られている人物で、1939(昭和14)年4月に父・北原武夫が宇野千代と結婚したことで、宇野千代の継娘となりました。

宇野千代に実子がいたのかは現在のところ不明ですが、北原ミキが宇野千代の実子ではないことは明らかです。

北原ミキは幼い頃から腰椎カリエスを患っており、宇野千代と北原武夫が結婚してから約3か月後、わずか7才で死去。

この記事では、北原武夫の子供・北原ミキとはどのような人物だったのか、母・美保子や宇野千代との関係、幼くして死去した経緯などを紹介します。

→ 北原武夫とは?宇野千代の4人目の夫
→ 宇野千代に子供はいた?実子の有無を解説
→ 東郷青児の子供は?息子・東郷志馬と娘・東郷たまみ
→ 東郷志馬とは?
→ 東郷たまみとは?
→ 藤江淳子とは?

目次

結論|北原武夫の子供は長女・北原ミキ

小説家・北原武夫には、最初の妻・美保子との間の子供として、長女の北原ミキがいました。

北原ミキについて簡単にまとめると次のようになります。

・北原武夫と最初の妻・美保子の娘
・宇野千代との血縁関係はない
・宇野千代と北原武夫の結婚により継母・継娘の関係になった
・幼い頃から腰椎カリエスを患っていた
・結核性脳膜炎のため7才で死去

北原ミキは宇野千代の実子でも養子でもありません。

1939(昭和14)年4月に宇野千代と北原武夫が結婚したことで、宇野千代と北原ミキは継母・継娘の関係になりました。

ただし、2人の間で法律上の養子縁組が行われたことを示す史料は確認されていません。

また、宇野千代と北原武夫の結婚から約3か月後に北原ミキが亡くなったため、継母と継娘として過ごした時間は非常に短いものでした。

なお、宇野千代自身に実の子供がいたのかについては、本人の短編小説「私と子供」に娘・寵子を出産した記述があり、現在のところ不明です。

→ 北原武夫とは?宇野千代の4人目の夫
→ 宇野千代に子供はいた?実子の有無を解説

北原ミキとは

北原武夫の子供(長女)

北原ミキは、小説家・北原武夫の長女です。

北原武夫は1907(明治40)年生まれの小説家・編集者で、後に宇野千代の4人目で最後の夫となりました。

しかし北原ミキが生まれたのは宇野千代との結婚前です。

北原武夫は宇野千代と出会う以前に美保子という女性と結婚しており、2人の間に北原ミキが誕生しました。

そのため北原ミキは、北原武夫と宇野千代の間に生まれた子供ではありません。

→ 北原武夫とは?宇野千代の4人目の夫

母親は北原武夫の最初の妻・美保子

北原ミキの母親は、北原武夫の最初の妻・美保子です。

しかし美保子は病気のため、1937(昭和12)年3月に亡くなりました。

その翌月の1937(昭和12)年4月、当時「都新聞」の記者だった北原武夫は、取材をきっかけに宇野千代と出会います。

その後、北原武夫は宇野千代が創刊したファッション雑誌「スタイル」の編集にも加わり、1939(昭和14)年4月1日に2人は結婚しました。

この結婚によって、北原ミキにとって宇野千代は新しい継母となりました。

→ 北原武夫とは?宇野千代の4人目の夫
→ 宇野千代と「スタイル」とは?

宇野千代との養子縁組をした記録はない

北原ミキは宇野千代の継娘となりましたが、2人が法律上の養子縁組をしたことを示す史料は確認されていません。

また、宇野千代に養子縁組の意思があったかどうかも分かっていません。

宇野千代と北原武夫が1939(昭和14)年4月に結婚し、北原ミキは同年7月に亡くなりました。

そのため、宇野千代と北原ミキが継母・継娘として過ごした期間は、わずか数か月でした。

宇野千代と北原ミキの関係

新しい母娘としての生活

北原ミキについては、宇野千代の著作である「生きて行く私」や「宇野千代全集(12巻)」ではほとんど語られていません。

一方、工藤美代子氏が著した宇野千代の伝記小説「愛して生きて」では、当時の様子が詳しく紹介されています。

ただし「愛して生きて」は、著者の取材と資料に基づいたフィクションであり、以下の描写をそのまま史実として確認できるわけではありません。

新しい母となった宇野千代に対し、北原ミキはなかなか心を開かなかったようです。

千代の勘はあたっていた。ミキは難しい娘だ。

工藤美代子 愛して生きて-宇野千代伝 (中公文庫 く 16-9) 292ページ

また、

「おばちゃんの顔に、ソバカスがはえている。お母ちゃまみたい」

工藤美代子 愛して生きて-宇野千代伝 (中公文庫 く 16-9) 292ページ

という北原ミキの何気ない一言に、宇野千代がどう受け止めればよいのか戸惑った様子も描かれています。

実母を失った幼い少女にとって、新しい母親を受け入れることは簡単ではなかったと考えられます。

宇野千代もまた、継母としてどのように接するべきか悩みながら生活していた様子が描かれています。

わずか数か月で訪れた別れ

しかし、継母・継娘として暮らした時間は長く続きませんでした。

1939(昭和14)年7月頃、もともと患っていた腰椎カリエスの結核菌が脳へ達し、北原ミキは結核性脳膜炎を発症します。

当時はストレプトマイシンなどの結核に有効な抗生物質はまだ実用化されておらず、北原武夫も宇野千代も、苦しむ北原ミキを見守ることしかできませんでした。

そして北原ミキは、わずか7才で死去。

宇野千代は北原武夫と結婚したことによって、北原ミキと継母・継娘の関係になりましたが、家族として過ごした時間はあまりにも短いものでした。

→ 宇野千代に子供はいた?実子の有無を解説

北原ミキの死と宇野千代

宇野千代は、北原武夫の子供である北原ミキの幼い死をどのように受け止めたのでしょうか?

・『生きて行く私』
・『日露の戦聞書』(『宇野千代全集 第5巻』収録)
・『私の文学的回想記』(『宇野千代全集 第12巻』収録)

などには北原武夫の家族や、その結婚生活について紹介されていますが、残念ながら宇野千代が北原ミキの死をどのように受け止めたのか、その心境を記した文章は確認できません。

もっとも、『生きて行く私』によると、宇野千代は、戦後に妹・勝子がまだ幼い養子を迎えた際、その子を「天からの授かりもの」と受け止め、自らの孫であるかのようにかわいがりました。

宇野千代にとって、家族への愛情は必ずしも血縁だけによって決まるものではなかったことがうかがえます。

北原ミキについても、宇野千代と血のつながりはなかったとはいえ、夫・北原武夫の7才の娘であり、短い期間ながら同じ家族として暮らした子供です。

北原ミキの死について宇野千代自身が心境を記した文章は確認できませんが、まだ7才だった継娘との別れを、まったくの他人事として受け止めていたとは考えにくいでしょう。

→ 宇野千代 子供 娘の「寵子」の存在について
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よくある質問(FAQ)

Q. 北原武夫に子供はいましたか?

A. はい。

北原武夫には、最初の妻・美保子との間に長女・北原ミキがいました。

北原ミキは1939(昭和14)年に父・北原武夫が宇野千代と再婚したことで、宇野千代の継娘となりました。

→ 北原武夫とは?宇野千代の4人目の夫

Q. 北原ミキの母親は誰ですか?

A. 北原ミキの母親は、北原武夫の最初の妻・美保子です。

美保子は1937(昭和12)年3月に亡くなり、その後、北原武夫は宇野千代と再婚しました。

Q. 北原ミキは宇野千代の実の娘ですか?

A. いいえ。

北原ミキは北原武夫と最初の妻・美保子との娘であり、宇野千代との血縁関係はありません。

Q. 北原ミキは宇野千代の養女ですか?

A. いいえ。

現在確認できる史料では、宇野千代と北原ミキが養子縁組をしたことは確認されていません。

宇野千代が北原武夫と結婚したことで、継母・継娘という関係になりました。

Q. 北原ミキは何才で亡くなりましたか?

A. 北原ミキは結核性脳膜炎のため、7才で亡くなりました。

Q. 宇野千代と北原ミキの関係は良かったのでしょうか?

A. はっきりとは分かりません。

工藤美代子著「愛して生きて」では、北原ミキが新しい母親となった宇野千代にすぐには心を開かず、宇野千代も接し方に悩む様子が描かれています。

ただし「愛して生きて」は取材と資料に基づいたフィクションであるため、この描写をそのまま史実とすることはできません。

また、宇野千代と北原ミキが継母・継娘として暮らした期間は数か月と非常に短く、その関係を深める前に北原ミキは病気で亡くなりました。

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参考文献

今回の記事は以下の書籍を参考としています。

著:宇野 千代, 著:小林庸浩 ほか, 著:小林庸浩 ほか
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KADOKAWA
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著:工藤美代子
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