小説家・宇野千代(1897~1996年)は、生涯で4度結婚(藤村亮一・藤村忠・尾崎士郎・北原武夫)し、洋画家・東郷青児とも同棲生活を送ったことで知られています。
しかし自伝『生きて行く私』によると、宇野千代の男性遍歴はこれら5人以外にも
・北村(村長の惣領息子)
・佐伯正夫(代用教員時代の同僚教員)
・梶井基次郎(小説家)
・村田社長(株屋や鉱山の経営者)
といった4人の男性たちとも関係があったことを匂わせる記述があります。
この記事では、『生きて行く私』や『宇野千代全集 第12巻』などをもとに、宇野千代の男性遍歴について、本人が認めている関係と否定している関係を分けながら紹介します。
→ 宇野千代とは?何をした人?
→ 宇野千代の夫は誰?4度の結婚と東郷青児との関係
→ 宇野千代はなぜモテる 梶井基次郎との関係
→ 宇野千代の人間関係
結論|宇野千代の男性遍歴は4人の夫と東郷青児だけではない
宇野千代は、藤村亮一・藤村忠・尾崎士郎・北原武夫の4人と結婚し、尾崎士郎との結婚生活が破綻した後には東郷青児と同棲したことで有名です。
その一方で、『生きて行く私』や『宇野千代全集 第12巻』など、宇野千代本人が書いた著作によると
・北村(村長の惣領息子)
・佐伯正夫(代用教員時代の同僚教員)
・梶井基次郎(小説家)
・村田社長(株屋)
といった4人の男性たちとも関係があったことを仄めかす記述があります。
以下の文章では、宇野千代の男性遍歴について、4度の結婚や同棲だけでなく、本人が認めた関係、周囲から疑われながら本人が否定した関係などに分けて考察します。
→ 宇野千代の夫は誰?4度の結婚と東郷青児との関係
→ 宇野千代と梶井基次郎の関係
宇野千代の男性遍歴|4度の結婚・東郷青児だけではない
宇野千代が1983(昭和58)年に刊行した自伝『生きて行く私』を読むと、宇野千代は自ら「親密な仲」になったことがある男性の名を挙げています。
宇野千代は生涯で4度結婚し、さらに洋画家・東郷青児とも同棲生活を送りましたが、それ以外にも男性との関係について自ら振り返っています。
ただし『生きて行く私』に登場する人物の一部には仮名が使われています。
そのため、以下で挙げる男性は梶井基次郎を除き、仮名である可能性があります。
北村|代用教員時代に関係を持った男性
宇野千代は岩国の尋常小学校で代用教員として働いていた時期に、北村という男性と関係を持ったことがあります。
北村は吉野村の村長の惣領息子で、宇野千代が岩国で開かれた教員の講習会に参加した際に、宇野千代を見そめたようです。
当時、宇野千代は勤務する尋常小学校の近くにあった百姓家で一人暮らしをしていました。
『生きて行く私』によると、宇野千代が断っても断っても、北村は何度も宇野千代が住む家を訪ねてきたといいます。
やがて宇野千代と北村は親密な関係となりました。
佐伯正夫|代用教員時代に関係を持った男性
北村という男性と関係を持ってから半年ほど過ぎた頃、宇野千代が勤務する尋常小学校に、師範学校を卒業した訓導(正規の教員のこと)である、佐伯正夫という男性が赴任してきました。
佐伯正夫と宇野千代は、ともに2年生の学級を担任することになります。
やがて2人は親密な仲になり、宇野千代は同僚である佐伯正夫の家に一晩泊まりました。
しかし、そのことはすぐに村中に知れ渡ります。
その結果、宇野千代は勤務していた尋常小学校を退職させられ、佐伯正夫との関係も終わることになりました。
「佐伯正夫」がモデルか?ブラッサム 島村辰彦(工藤阿須加)
なお、朝ドラ「ブラッサム」の3週に登場する島村辰彦(工藤阿須加)は、『生きて行く私』に登場する佐伯正夫をモデルにしていると考えられます。
→ ブラッサム 3週 あらすじ
→ ブラッサム 島村辰彦(工藤阿須加)とは?
→ ブラッサム 小学校とは?
梶井基次郎|男女関係を疑われたが本人は否定
宇野千代は3番目の夫・尾崎士郎と結婚生活を送っていた1927(昭和2)年頃、伊豆湯ヶ島温泉で川端康成の紹介により、小説家・梶井基次郎と知り合います。
宇野千代は『生きて行く私』の中で、梶井基次郎の文学的才能に惚れ込んだことは認めています。
一方、梶井基次郎と男女関係にあったことについては否定。それでも当時の文士仲間の間では、宇野千代と梶井基次郎の関係を「怪しい」と見る人たちがいたようです。
その理由の一つと考えられるのが、伊豆湯ヶ島温泉での2人の交流です。
梶井基次郎は、湯ヶ島に逗留していた宇野千代の部屋をしばしば訪れては長時間話し込み、帰るのが夜明けになることもありました。
宇野千代は『生きて行く私』の中で、梶井基次郎を「長っ尻(ながっちり)」だったと表現し、旅館の女中たちが困っていたという趣旨の回想をしています。
→ 尾崎士郎とは?宇野千代の3番目の夫
→ 宇野千代と川端康成の関係
→ 宇野千代と梶井基次郎の関係
梶井基次郎がモデルか?ブラッサム 梶矢基一郎(佐藤緋美)
朝ドラ「ブラッサム」の11週では、小説『柘榴』を発表した梶矢基一郎(佐藤緋美)の名前が登場。
この梶矢基一郎は、小説『檸檬』の作品で知られる、小説家・梶井基次郎をモデルにしている可能性があります。
→ ブラッサム 11週 あらすじ
→ ブラッサム 梶矢基一郎(佐藤緋美)とは?
村田社長|東郷青児との同棲時代に親しくなった男性
宇野千代が洋画家・東郷青児と同棲していた時期、東郷青児は画家として不遇の境地にありました。
そこで宇野千代は東郷青児が描いた絵を携え、関西方面へ売り歩くことがありました。
その絵を購入した客の中に、大阪で村田株式店を経営する村田社長という人物がいました。
村田株式店は鉱山も経営しており、あるとき宇野千代は村田社長から「銀の鉱脈を見に行きませんか?」と誘われます。
その言葉に興味を持った宇野千代は、村田社長の一行と「嬉野」という山へ出かけました。
ところが現地には宿が一軒しかなく、しかも多くの客が泊まっていました。そのため宇野千代は、村田社長と同じ布団で寝ることになります。
翌朝、宇野千代が村田株式店に戻ってみると、そこには東郷青児の姿が。その後、大阪から神戸へ移動する道すがら、東郷青児と宇野千代は、
「あの男と寝た」
「いや、寝ていない」
という押し問答をすることになります。
ただし『生きて行く私』では、同じ布団で寝たという出来事は語られているものの、宇野千代自身が村田社長との男女関係を明言しているわけではありません。
宇野千代は4度結婚|夫と東郷青児
宇野千代は生涯で4度結婚しています。
最初の結婚相手は従兄の藤村亮一、2番目は藤村忠、3番目は小説家・尾崎士郎、4番目は10歳年下の小説家・北原武夫です。
また尾崎士郎との結婚生活が破綻した後には、洋画家・東郷青児と同棲生活を送っています。
宇野千代の4人の夫や結婚・離婚の経緯、東郷青児との関係については、以下の記事で詳しく紹介しています。
宇野千代自身が語った男性遍歴
宇野千代の男性遍歴について特徴的なのは、後世の伝記や周囲の人々だけでなく、宇野千代自身が過去の男性との関係について語っていることです。
とくに自伝『生きて行く私』では、結婚した男性だけでなく、若い頃に親密な関係となった男性や、周囲から男女関係を疑われた男性についても振り返っています。
『生きて行く私』で過去の男性関係を回想
『生きて行く私』は、宇野千代が自身の人生を振り返った自伝です。
宇野千代は幼少期や代用教員時代から、結婚、離婚、作家としての活動、さらに晩年に至るまでの出来事を、自身の体験として語っています。
その中では、藤村忠や尾崎士郎、東郷青児、北原武夫といったよく知られた男性だけでなく、代用教員時代の北村や佐伯正夫、伊豆湯ヶ島温泉で交流した梶井基次郎、大阪で知り合った村田社長などについても触れています。
宇野千代の男性遍歴をたどるうえで、『生きて行く私』は、本人がそれぞれの男性との関係をどのように記憶し、語っていたのかを確認できる重要な資料です。
男女関係を認めた男性と否定した男性がいる
ただし『生きて行く私』に男性の名前が登場するからといって、すべての男性と男女関係があったわけではありません。
宇野千代自身が親密な関係になったことを認めている男性がいる一方、梶井基次郎については、その文学的才能に惚れ込んでいたことを語りながらも、男女関係については否定しています。
また村田社長についても、同じ布団で寝たという出来事や、それを知った東郷青児とのやり取りについては回想していますが、実際に男女関係があったとまでは明言していません。
そのため宇野千代の男性遍歴については、後世の噂だけで一括りにするのではなく、本人が認めている関係と否定している関係を分けて考える必要があるでしょう。
宇野千代は自身の恋愛や結婚を作品にした
宇野千代は自身が経験した恋愛や結婚について、小説や随筆の題材にもしています。
その代表例が、東郷青児との関係から生まれた『色ざんげ』(1935年)と、自身の恋愛や結婚を振り返った『自伝的恋愛論』(1973年)です。
東郷青児との関係から生まれた『色ざんげ』
宇野千代の男性関係と文学との結びつきを考えるうえで、重要な作品の一つが1935(昭和10)年に刊行された小説『色ざんげ』です。
宇野千代は尾崎士郎との結婚生活が破綻した後、洋画家・東郷青児と同棲生活を送っています。
『色ざんげ』は、東郷青児から聞いた女性関係などをもとに、宇野千代が執筆した小説です。
宇野千代自身が東郷青児と同棲生活を送る一方、その東郷青児から過去の恋愛について聞き、それを小説へと発展させたことになります。
宇野千代にとって身近な男性との関係や、その男性から聞いた恋愛経験は、小説を書くための題材にもなっていました。
『自伝的恋愛論』で自身の恋愛や結婚を描く
『色ざんげ』の発表から38年後となる1973(昭和48)年、宇野千代は自身の恋愛や結婚について振り返った随筆『自伝的恋愛論』を発表しています。
『宇野千代全集 第12巻』に収録されている『自伝的恋愛論』では、実名をそのまま使わず、男性たちを仮名などで登場させています。
たとえば「新しい良人」として描かれている男性は、宇野千代の3番目の夫となった尾崎士郎です。
また「Kさん」として登場する男性は梶井基次郎、「Tさん」は宇野千代が同棲した東郷青児にあたります。
登場人物の名前は伏せられていますが、宇野千代の経歴やそれぞれの男性との関係を知っていれば、実在する人物と結びつけることができるでしょう。
若い頃の宇野千代は、東郷青児から聞いた恋愛経験を『色ざんげ』という小説へ発展させました。
そして後年になると、『自伝的恋愛論』で自身の恋愛や結婚そのものを振り返り、随筆作品の題材としています。
宇野千代にとって恋愛や結婚は私生活だけで完結するものではなく、長年にわたって文学作品とも深く結びついていたといえます。
→ 尾崎士郎とは?宇野千代の3番目の夫
→ 宇野千代と梶井基次郎の関係
→ 東郷青児とは?宇野千代の同棲相手
宇野千代 男性遍歴 関連記事
宇野千代の結婚や恋愛、それぞれの男性との関係については、以下の記事でも詳しく紹介しています。
宇野千代 夫
宇野千代は生涯で4度結婚しています。また、3番目の夫・尾崎士郎との結婚生活が破綻した後には、洋画家・東郷青児と同棲しました。
4人の夫との出会いや結婚・離婚、東郷青児との関係を時系列で紹介しています。
藤村亮一
藤村亮一は、宇野千代が最初に結婚した男性です。
宇野千代とは従兄にあたり、宇野千代がまだ若い頃に結婚しましたが、その結婚生活は長く続きませんでした。
藤村忠
藤村忠は、宇野千代の2番目の夫です。
宇野千代は藤村忠とともに北海道へ渡り、札幌で暮らした経験が、その後の人生や作家活動にもつながっていきます。
尾崎士郎
小説家・尾崎士郎は、宇野千代の3番目の夫です。
宇野千代と尾崎士郎は東京で生活をともにし、馬込文士村の作家たちとも交流しましたが、後に結婚生活は破綻します。
東郷青児
洋画家・東郷青児は宇野千代の夫ではありませんが、尾崎士郎との結婚生活が破綻した後、宇野千代と同棲生活を送りました。
東郷青児から聞いた女性関係は、宇野千代の小説『色ざんげ』の題材にもなっています。
北原武夫
小説家・北原武夫は、宇野千代の4番目の夫です。
宇野千代より10歳年下で、結婚後は文学活動だけでなく、雑誌『スタイル』の事業にも関わりました。
宇野千代 なぜ モテた
4度の結婚や東郷青児との同棲など、宇野千代は生涯を通じてさまざまな男性と出会っています。
宇野千代自身の言葉や周囲の人物との関係から、なぜ宇野千代が男性を惹きつけたのかを紹介しています。
ブラッサム モデル 宇野千代 関連記事
朝ドラ「ブラッサム」の主人公・葉野珠は、小説家・宇野千代をモデルとしています。宇野千代の生涯や人間関係については、以下の記事でも詳しく紹介しています。
宇野千代とは?
宇野千代は、明治・大正・昭和・平成を生きた小説家・実業家です。
4度の結婚や数多くの文化人との交流だけでなく、小説家としての活動や雑誌『スタイル』の創刊など、その生涯と経歴を紹介しています。
宇野千代 人間関係
宇野千代は、川端康成や梶井基次郎、萩原朔太郎など、数多くの作家・芸術家と交流しました。
宇野千代を取り巻いた人物を整理し、それぞれどのような関係にあったのかを紹介しています。
ブラッサム 作品紹介
朝ドラ「ブラッサム」とは?
作品概要やキャスト、主人公・葉野珠のモデルとなった宇野千代について紹介します。
ブラッサム あらすじ
朝ドラ「ブラッサム」の最新週から1週までのあらすじを随時更新します。
ブラッサム ネタバレ最終回まで
朝ドラ「ブラッサム」の最終回までの展開や主要人物の結末について紹介します。
参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考としています。
