小説家・宇野千代(1897~1996年)には、父・宇野俊次と継母・宇野リュウとの間に生まれた4人の弟と1人の妹がいました。
宇野千代の兄弟たちは、その後どのような人生を歩んだのでしょうか。
長弟・宇野薫と四弟・宇野文雄は、宇野千代が経営した出版社・スタイル社で働き、次弟・宇野鴻と三弟・宇野光雄は、1940年代に病気で亡くなっています。
また、唯一の妹・宇野勝子は結婚後も姉と交流を続け、スタイル社の倒産後には宇野千代を自宅に迎えました。
この記事では、宇野千代の5人の弟妹について、成人後の仕事・結婚・子供・死因などを『宇野千代全集』や『人事興信録』をもとに解説します。
→ 宇野千代の兄弟とは?異母の弟4人・妹1人との関係
→ 宇野千代の弟・宇野薫とは?姉の片腕を自認した弟
→ 宇野千代の次弟・宇野鴻とは?姉との関係や若い頃のエピソード
→ 宇野千代の妹・宇野勝子(七原勝子)とは?結婚後の生活と姉妹関係
→ 宇野千代の三弟・宇野光雄とは?東郷青児との同居生活から病死まで
→ 宇野千代の四弟・宇野文雄とは?幼少期の思い出と姉弟関係
結論|宇野千代の兄弟5人はその後どうなった?
宇野千代の4人の弟と1人の妹は、成人後、それぞれ異なる人生を歩みました。
| 名前 | 生年月日 | その後 |
|---|---|---|
| 長弟・宇野薫 | 1901年6月19日 | スタイル社の専務となり、結婚して5人の娘をもうけた |
| 次弟・宇野鴻 | 1904年1月10日 | 鉄道員として働き、1945年9月18日に41歳で病死 |
| 妹・宇野勝子 | 1906年6月4日 | 小説家・筒井敏雄と結婚し、戦後も姉と交流 |
| 三弟・宇野光雄 | 1908年10月1日 | 読売新聞社に勤務し、1941年6月8日に32歳で病死 |
| 四弟・宇野文雄 | 1911年2月25日 | 船員を経てスタイル社の編集長となり、江口千里と結婚 |
宇野薫と宇野文雄は、姉・宇野千代が経営するスタイル社で仕事をするようになり、それぞれ専務と編集長を務めました。
一方、宇野鴻は1945(昭和20)年、宇野光雄は1941(昭和16)年に病死し、宇野千代よりも早く亡くなっています。
唯一の妹・宇野勝子は、小説家・筒井敏雄と結婚。1959(昭和34)年には、スタイル社の倒産によって住まいを失った宇野千代を青山の自宅に迎えました。
ただし、宇野薫・宇野勝子・宇野文雄の正確な没年や死因については、確認できていません。
→ 宇野千代の兄弟とは?異母の弟4人・妹1人との関係
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→ 宇野千代の三弟・宇野光雄とは?東郷青児との同居生活から病死まで
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長弟・宇野薫のその後|スタイル社の専務となり5人の娘をもうけた
スタイル社の専務として姉・宇野千代を支えた
宇野千代の長弟・宇野薫(うのかおる)は、成人後に出版関係の仕事に携わり、のちに姉が経営するスタイル社の専務となりました。
『人事興信録』に掲載された経歴によると、薫は日本大学文学科を中退した後、1927(昭和2)年に『支那事情』の編集部長となり、『満蒙時報』の編集部長を歴任。
1936(昭和11)年にはスタイル社に入り、専務として経営に携わりました。
スタイル社は、宇野千代が女性向けファッション雑誌『スタイル』を発行するために設立した出版社です。
宇野千代が作家・編集者として活動する一方、薫は会社の経営を支える立場となりました。
幼い頃から姉を支え、自ら「姉の片腕」と称していた薫は、成人後も仕事を通じて宇野千代と関わっていたことになります。
→ 宇野千代の弟・宇野薫とは?姉の片腕を自認した弟
→ 宇野千代とスタイル
宇野薫の妻と5人の娘
宇野薫は、蔵野芦介の長女・アヤノと結婚。
『人事興信録』第19版には、薫の妻と5人の娘の名前が掲載されています。
| 続柄 | 名前 | 生年 |
|---|---|---|
| 妻 | 宇野アヤノ | ― |
| 長女 | 宇野智恵子 | 1926年 |
| 次女 | 宇野秀子 | 1927年 |
| 三女 | 宇野敏子 | 1930年 |
| 四女 | 宇野信子 | 1934年 |
| 五女 | 宇野宏子 | 1935年 |
宇野千代にとって、薫の5人の娘は姪にあたります。
次弟・宇野鴻のその後|1945年に41歳で病死
鉄道員として働いた
宇野千代の次弟・宇野鴻(うのひろし)は、成長後に鉄道員として働いたと伝えられています。
幼い頃には、兄・薫とともに荷車を引き、宇野千代の引っ越しを手伝ったことが自伝『生きて行く私』に記されています。
ただし、鉄道員としての詳しい勤務先や経歴については、確認できる情報が限られています。
1945年9月18日に千駄ヶ谷で病死
宇野鴻は、1945(昭和20)年9月18日、41歳で病死しました。
『宇野千代全集』第12巻の年譜288ページには、同日、東京・千駄ヶ谷で弟の鴻が病死したことが記録されています。
→ 宇野千代の次弟・宇野鴻とは?姉との関係や若い頃のエピソード
妹・宇野勝子のその後|筒井敏雄と結婚し、戦後も姉を支えた
宇野千代の唯一の妹・宇野勝子(うのかつこ)は、小説家・筒井敏雄(本名・七原敏雄)と結婚し、七原勝子となりました。
1959(昭和34)年には、スタイル社の倒産によって住まいを失った宇野千代を青山の自宅に迎えています。
→ 宇野千代の妹・宇野勝子(七原勝子)とは?結婚後の生活と姉妹関係
三弟・宇野光雄のその後|1941年に32歳で病死
宇野千代の三弟・宇野光雄(うのみつお)は、小樽高等商業学校を卒業後、読売新聞社に勤務。
しかし、以前から患っていた呼吸器の病気が悪化し、1941(昭和16)年6月8日に32歳で病死。宇野千代は、4番目の夫・北原武夫との旅行中に北京で弟の危篤を知らされ、急いで帰国しています。
→ 宇野千代の三弟・宇野光雄とは?東郷青児との同居生活から病死まで
→ 北原武夫とは?宇野千代の4番目の夫
四弟・宇野文雄のその後|船員からスタイル社の編集長となり結婚
船員を経てスタイル社の編集に携わった
宇野千代の四弟・宇野文雄(うのふみお)は、成長後に船員として働き、その後、姉が経営するスタイル社で出版の仕事に携わりました。
『人事興信録』第16版には「スタイル社編輯部長」、第19版には「スタイル編集長」として文雄の名前が掲載されています。
スタイル社では長弟・宇野薫が専務を務めており、末弟・文雄も編集部門で姉の仕事を支えていたことになります。
幼い頃、宇野千代が帰郷した際に人力車の乗り方を知らず、家族を笑わせた末弟は、成人後には雑誌の編集を担当するようになりました。
→ 宇野千代の四弟・宇野文雄とは?幼少期の思い出と姉弟関係
→ 宇野千代とスタイル
江口重国の長女・千里と結婚
宇野文雄は、江口重国の長女・江口千里と結婚しました。
『人事興信録』第16版・第25版には、江口重国の長女・千里が宇野文雄に嫁いだ旨の記載があります。
千里は1925(大正14)年8月28日生まれで、青山学院家政科を卒業しています。
宇野千代の兄弟の死因・没年はどこまで分かっている?
宇野千代の弟妹5人について、死亡年月日や死因が判明している範囲をまとめると、次のようになります。
| 名前 | 没年・死亡年月日 | 死因 |
|---|---|---|
| 宇野薫 | 不明 | 不明 |
| 宇野鴻 | 1945年9月18日(41歳) | 病死・病名不明 |
| 宇野勝子 | 不明 | 不明 |
| 宇野光雄 | 1941年6月8日(32歳) | 呼吸器の病気 |
| 宇野文雄 | 不明 | 不明 |
宇野鴻と宇野光雄については、『宇野千代全集』第12巻の年譜から死亡年月日を確認できます。
ブラッサム きょうだいたちは珠の人生にどう関わるのか?
朝ドラ「ブラッサム」では、実在した宇野千代の5人の異母の弟妹たちをモデルとしたと考えられる、主人公・葉野珠(石橋静河)の3人の弟妹たちが登場します。
- 葉野守(日向亘)
- 葉野俊子(伊東蒼)
- 葉野英男(藤原大祐)
「ブラッサム」では、幼少期から描かれてきた珠の弟妹たちが、成長後に珠の人生へどのように関わっていくのかも見どころの1つでしょう。
→ ブラッサム きょうだいとは?
→ ブラッサム 葉野守(日向亘)とは?
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宇野千代 兄弟
宇野千代には、父・宇野俊次と継母・宇野リュウとの間に生まれた異母の弟4人と妹1人がいました。5人の名前や生い立ち、宇野千代との姉弟関係を紹介します。
宇野薫
宇野薫は、宇野千代より約5歳年下の長弟です。幼い頃から姉を慕い、自ら「姉の片腕」と称していた薫と宇野千代の関係を解説します。
宇野鴻
宇野鴻は、宇野千代より約7歳年下の次弟です。姉が代用教員として赴任する際、兄・薫とともに荷車を引いて引っ越しを手伝ったエピソードなどを紹介します。
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宇野勝子(七原勝子)
宇野勝子は、宇野千代の唯一の妹です。小説家・筒井敏雄との結婚、宇野千代との同居生活、戦後の交流などを解説します。
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宇野光雄
宇野光雄は、宇野千代より約11歳年下の三弟です。画家・東郷青児と宇野千代が同居していた頃の生活や、病気による死去までを紹介します。
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宇野文雄
宇野文雄は、宇野千代より約14歳年下の末弟です。幼い頃、人力車の乗り方が分からず家族を笑わせたエピソードなど、宇野千代の自伝に残る思い出を紹介します。
ブラッサム モデル一覧
朝ドラ「ブラッサム」は、小説家・宇野千代の人生をモデルとした作品です。葉野珠をはじめ、ドラマの登場人物と実在したモデル候補を一覧で紹介します。
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宇野千代とは
宇野千代は、明治・大正・昭和・平成の4つの時代を生きた小説家です。生い立ちや代表作、4度の結婚、ファッション雑誌『スタイル』の創刊など、その生涯を解説します。
宇野千代 家系図
宇野千代の家族関係を家系図で整理します。父・宇野俊次、実母・宇野トモ、継母・宇野リュウ、5人の弟妹など、宇野家の人々を紹介します。
宇野千代 父
宇野千代の父・宇野俊次は、山口県岩国で暮らしていた人物です。宇野千代の幼少期や家庭環境に影響を与えた父親の人物像を解説します。
宇野千代 実母
宇野千代の実母・宇野トモは、千代が幼い頃に亡くなりました。実母の生涯や死去、宇野千代の幼少期に与えた影響を紹介します。
宇野千代 継母
宇野千代の継母・宇野リュウは、薫・鴻・勝子・光雄・文雄の5人を産んだ女性です。千代を実子たちと分け隔てなく育てたリュウの人物像や、宇野家の家族関係を解説します。
宇野千代 スタイル
小説家・宇野千代は、1936(昭和11)年に女性向けファッション雑誌『スタイル』を創刊し、出版事業にも進出しました。
スタイル社では、長弟・宇野薫が専務、四弟・宇野文雄が編集長を務めるなど、弟たちも姉の事業を支えていました。
雑誌『スタイル』の創刊から出版事業の発展、1959(昭和34)年の倒産までを解説します。
ブラッサム 作品紹介・あらすじ・ネタバレ 最終回
ブラッサム 作品紹介
宇野千代をモデルとした朝ドラ「ブラッサム」の作品紹介です。
ブラッサム きょうだい
朝ドラ「ブラッサム」に登場するきょうだいたちと関連する人物を一覧で紹介します。
→ ブラッサムのきょうだいとは?主人公・葉野珠と宇野千代の兄弟姉妹を紹介
ブラッサム あらすじ
朝ドラ「ブラッサム」の最新週から1週までのあらすじを随時更新します。
ブラッサム ネタバレ 最終回まで
朝ドラ「ブラッサム」の最終回までのネタバレや結末予想を紹介します。
参考文献
今回の記事は以下の書籍を参考としています。
- 宇野千代・小林庸浩 宇野千代 女の一生 新潮社
- 宇野千代 生きて行く私 (角川文庫)
- 宇野千代 宇野千代全集 第12巻 随筆 中央公論新社
- 人事興信録〈第16版〉 (1951年)
- 人事興信録〈第19版〉 (1957年)
