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東郷青児はその後どうなった?晩年の妻との生活・画家としての活躍と最期

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画家・東郷青児(1897~1978年)は、1930年代に作家・宇野千代と同棲生活を送りましたが、1934(昭和9)年に二人の関係は終わりました。

その後は西崎盈子との交際を再開し、1939(昭和14)年に法的に結婚が成立。戦後は二科会の再建に尽力し、1961(昭和36)年には二科会会長に就任するなど、画家として活躍を続けます。

晩年まで妻・東郷盈子と夫婦生活を送りながら、国内外で制作や美術交流を続け、1976(昭和51)年には東京・西新宿に東郷青児美術館が開館しました。

そして1978(昭和53)年4月25日、二科展のため訪れていた熊本で急性心不全により80歳で亡くなっています。

この記事では、宇野千代との同棲を終えた東郷青児がその後どうなったのか、画家としての活躍、妻・東郷盈子との晩年の夫婦生活、熊本で迎えた最期、死後の家族と宇野千代との交流まで解説します。

→ 東郷青児とは?宇野千代の同棲相手
→ 東郷青児の妻は誰?結婚と女性遍歴を解説
→ 東郷盈子とは?東郷青児の妻・東郷たまみの母

目次

結論|東郷青児はその後、二科会会長となり80歳まで画家として活動

東郷青児は宇野千代との同棲を解消した後、西崎盈子と交際を再開し、1939(昭和14)年に法的に結婚しました。

戦後は二科会の再建に尽力し、1957(昭和32)年に日本芸術院賞を受賞。1961(昭和36)年には二科会会長に就任し、海外との美術交流にも力を入れています。

1976(昭和51)年には自らの名前を冠した東郷青児美術館が開館し、80歳近くになっても現役の画家として活動を続けました。

一方、家庭では妻・東郷盈子と長い夫婦生活を送りましたが、娘・東郷たまみによると、夫婦喧嘩や東郷の女性関係もあり、晩年には二人の会話が少なくなっていたといいます。

1978(昭和53)年4月25日、東郷青児は二科展のため訪れていた熊本で倒れ、急性心不全のため80歳で死去。

その死後には、かつて同棲していた宇野千代と、東郷の子供である東郷志馬・東郷たまみが交流し、3人で東郷青児の思い出を語り合っています。

→ 東郷青児と宇野千代の関係とは?
→ 東郷たまみとは?東郷青児の娘
→ 東郷志馬とは?東郷青児の長男

宇野千代との同棲解消後は東郷盈子と結婚

東郷青児は1930年代前半、作家・宇野千代と同棲生活を送っていました。

しかし1934(昭和9)年に二人の生活は終わり、その後、東郷は西崎盈子と交際を再開。1939(昭和14)年には法的に結婚が成立。

東郷青児は宇野千代との同棲中に最初の妻・永野明代との離婚を成立させるなど、複雑な女性関係をたどっています。

→ 永野明代とは?東郷青児との結婚・離婚を解説
→ 東郷青児と宇野千代の関係とは?
→ 東郷盈子とは?東郷青児の妻・東郷たまみの母

戦後は二科会の再建に尽力

東郷青児は戦前から二科会を中心に活動。

1944(昭和19)年、二科会は戦時下で解散しました。

終戦後の1945(昭和20)年、東郷は疎開先の長野県から東京へ戻り、二科会の再建に尽力しました。

翌1946(昭和21)年には再建後初めてとなる二科展が開催されています。

1957年に日本芸術院賞を受賞

戦後も東郷青児は画家として活動を続け、壁画など大規模な仕事にも取り組みました。

1956(昭和31)年には熊本の大洋デパートに大壁画「創生の歌」を制作。

この作品によって、翌1957(昭和32)年に日本芸術院賞を受賞しました。

1960(昭和35)年には日本芸術院会員となっています。

1961年に二科会会長へ就任

1961(昭和36)年、東郷青児は二科会会長に就任。

以後、1978(昭和53)年に亡くなるまで二科会を率い、海外との美術交流にも力を入れます。

1960年代以降もフランスをはじめ世界各地を訪れ、二科展の海外開催などに携わりました。

晩年になっても活動は衰えず、アフリカや中東、南米などを訪れ、旅先で目にした風景や人々を作品にも取り入れています。

1974(昭和49)年にはアルジェリアのタッシリを訪問。

晩年まで海外との美術交流を続けた

東郷青児は海外との文化交流でも評価されています。

1969(昭和44)年にはフランス政府から芸術文化勲章を受章しました。

さらに1976(昭和51)年には勲二等旭日重光章を受章しています。

若い頃にフランスへ留学し、西洋美術から大きな影響を受けた東郷は、晩年には日本の洋画を海外へ紹介する立場としても活動するようになりました。

1976年に東郷青児美術館が開館

1976(昭和51)年、東京・西新宿の安田火災海上本社ビル42階に「東郷青児美術館」が開館しました。

現在のSOMPO美術館につながる美術館です。

美術館は東郷青児本人の協力を得て開設され、初期から当時までの東郷作品が展示されました。

東郷は自らの名前を冠した美術館の開館を、生前に見届けたことになります。

80歳近くになっても現役の画家だった

美術館が開館した時点で東郷青児は79歳でした。

しかし、画家として引退したわけではありません。

二科展への出品や海外との美術交流を続け、1977(昭和52)年には日伯美術展に出席するためブラジルを訪問。

翌1978(昭和53)年4月にも銀座二科展へ作品を出品しており、亡くなる直前まで現役の画家として活動していました。

晩年の東郷青児と妻・東郷盈子の夫婦生活

画家として社会的な地位を高めていった東郷青児は、家庭では妻・東郷盈子と長い夫婦生活を送りました。

澤地久枝『完本 昭和史のおんな(上)』には、娘・東郷たまみと盈子本人の証言を通して、晩年の東郷夫妻の姿が描かれています。

→ 東郷たまみとは?東郷青児の娘

娘・東郷たまみは両親の夫婦喧嘩を見ていた

東郷たまみによると、母・盈子は気性の激しい女性で、たまみは子供の頃に両親の派手な夫婦喧嘩を見たことがあったと語っています。

そのため、たまみ自身も両親をいわゆる「おしどり夫婦」とは見ていませんでした。

父・東郷青児には浮気もあったと考えており、東郷が若い女性を可愛がれば、母の自尊心が傷つけられることもあったのではないかと振り返っています。

一方で、若い頃の東郷夫妻には別の一面もありました。

油絵だけでは十分なお金にならなかった時代にも、二人は愚痴を言わずに暮らしていたといいます。

現金がなくてもつけの利くハイヤーを利用するような東郷の大胆な生き方に、盈子もついていきました。

年齢を重ねると夫婦の対話は少なくなった

長い年月を一緒に過ごした東郷夫妻でしたが、年齢を重ねても若い頃と同じ関係が続いていたわけではありません。

東郷たまみは、両親の対話が少なくなり、なぜ二人は一緒にいるのだろうと思ったこともあったと振り返っています。

激しい恋愛から始まった二人の関係も、長い夫婦生活の中で変化していったことがうかがえます。

盈子は東郷青児を「純粋」な人だったと振り返った

東郷青児の死後、澤地久枝氏は入院生活を続けていた盈子からも話を聞いています。

盈子は夫・東郷青児について「純粋」なところがあったと振り返りました。

一方、二人の間では、一定の限度をわきまえるのであれば、結婚後にほかの異性と付き合うことも認めるという考え方になっていたといいます。

しかし、自由にされるとかえって相手から束縛してほしい気持ちにもなったと盈子は語っています。

東郷夫妻の関係は、夫の女性関係だけでは説明できない複雑なものでした。

子供が生まれてから家庭的になった

盈子の証言によると、東郷青児には家庭的な一面もありました。

若い頃の盈子自身は男性の友人たちと麻雀などをして遊ぶことも楽しんでいましたが、子供が生まれてから東郷は家へ帰るようになったといいます。

娘・東郷たまみも、父について女性と器用に遊ぶ人物というより、恋愛のたびに本気になってしまう「純粋な情熱家」と捉えていました。

東郷青児の女性遍歴は華やかですが、家族から見た人物像は、単純な「遊び人」というイメージとは少し異なっていたようです。

東郷青児は1978年に熊本で死去

1978(昭和53)年4月、東郷青児は熊本県立美術館で開催される二科展に出席するため熊本を訪れました。

当時80歳でしたが、二科会会長として活動を続けていました。

しかし熊本到着の翌日、突然倒れます。

ホテルで倒れ熊本大学医学部附属病院へ搬送

東郷青児は4月24日に熊本へ入りました。

翌25日、滞在先で倒れて呼吸困難となり、熊本大学医学部附属病院へ搬送されました。

治療を受けましたが、同日午後2時8分、急性心不全のため亡くなりました。

享年80。

若い頃から深く関わってきた二科会の仕事で地方を訪れ、その旅先で生涯を終えたことになります。

妻・東郷盈子は入院中だった

東郷青児が熊本で亡くなったとき、妻・盈子も入院していました。

澤地久枝氏によると、夫の死を知らされた盈子は病院から帰宅し、東郷青児の死顔をじっと見続けていたといいます。

若い頃の激しい恋愛から始まり、夫婦喧嘩や東郷の女性関係、生活の変化などを経験しながら長い年月をともにした二人にとって、それが最後の対面となりました。

東郷青児の死後はどうなった?

東郷青児が亡くなった後も、その作品や画業は美術館や家族によって受け継がれました。

また、東郷を中心としてつながっていた人々の関係も、本人の死後まで続いています。

遺族が東郷青児美術館に作品を寄贈

東郷青児が亡くなった1978(昭和53)年、遺族から東郷青児美術館へ美術作品345点が寄贈されました。

このうち156点が東郷青児自身の作品です。

これらの作品は現在のSOMPO美術館へと受け継がれ、同館は初期から晩年までの東郷作品や関連資料を所蔵しています。

生前に自らの名前を冠した美術館の開館を見届け、死後にはまとまった作品が遺族から寄贈されたことで、東郷青児の画業を後世へ伝える基盤が形成されました。

死後にブラジル移民70周年記念の大壁画が完成

東郷青児には、亡くなった時点で完成を目前にしていた仕事もありました。

ブラジル移民70周年を記念する大壁画は、東郷が約1年をかけて制作していた作品です。

東郷の死後となる1978(昭和53)年6月に完成・設置され、記念式典には娘・東郷たまみが亡き父に代わって出席。

熊本で亡くなる直前まで、東郷青児が現役の画家として仕事を続けていたことが分かります。

東郷青児の死後に宇野千代・東郷志馬・東郷たまみが交流

東郷青児の死によって、かつて東郷と同棲生活を送った宇野千代と、東郷の子供たちとの関係まで途切れたわけではありませんでした。

東郷青児の死後、宇野千代は東郷志馬・東郷たまみと交流しています。

→ 東郷志馬とは?東郷青児の長男

「東郷青児を偲ぶ会」で宇野千代と東郷たまみが再会

東郷青児が亡くなった後、三回忌には「東郷青児を偲ぶ会」が開かれました。

宇野千代と東郷たまみもこの会に出席しています。

これをきっかけとして、宇野千代は東京・杉並にあった東郷たまみの自宅を訪れました。

たまみの家には東郷青児が祀られており、かつて東郷と生活をともにした宇野千代は、長い年月を経て東郷青児の仏前に線香をあげることになります。

3人で東郷青児の思い出を語った

東郷たまみの自宅には、異母兄の東郷志馬もいました。

宇野千代・東郷志馬・東郷たまみの3人は、亡くなった東郷青児について思い出を語り合います。

そのなかで、3人とも東郷青児の絵を一枚も持っていないことに気づきました。

宇野千代は東郷青児と暮らしていた頃、生活のために東郷の絵を売ったことがあり、実の子供である志馬とたまみも父の作品を所有していませんでした。

宇野千代は後に『生きて行く私』で、このとき自分が志馬とたまみという二人の子供の母親になったような、不思議な感覚を抱いたことを振り返っています。

宇野千代と東郷青児の男女としての関係は1930年代に終わりました。

しかし東郷青児の死後、かつての恋人と二人の子供が集まり、一人の男性について思い出を語り合う関係が生まれていました。

→ 東郷たまみとは?宇野千代が「我が子同然」に交流した東郷青児の長女
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参考文献

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