小説家・宇野千代(1897~1996年)が、その人生の中で実際に妊娠したことがあるのかは不明です。
宇野千代の81年間(当時)の人生を記した『宇野千代全集 第12巻』(1978年)の年譜には妊娠や出産の記録はありません。
しかし宇野千代の人生を題材にした、NHK朝ドラの「ブラッサム」、伝記、さらには宇野千代自身が書いた小説作品には妊娠を思わせる記述があります。
▼要点まとめ
・小説家・宇野千代(1897~1996年)が妊娠したかどうかは不明
・宇野千代の人生を題材にした作品で「妊娠」に関する記述がいくつかある
・宇野千代の短編小説『私と子供』に「寵子(ちょうこ)」という子供が紹介される
この記事では、宇野千代の妊娠について『宇野千代全集 第12巻』に収録されている年譜と、3つの作品で描かれる記述を比較・検証します。
→ 宇野千代の子供は1人いた!娘・寵子と6回の流産
→ 宇野千代 子供|実子はいた?小説「私と子供」の娘・寵子も解説
→ ブラッサム 6週 あらすじ
→ ブラッサム 珠 出産とその後の妊娠について
結論|宇野千代が妊娠したかどうかは不明
小説家・宇野千代(1897~1996年)が、その人生の中で実際に妊娠したことがあるのかは不明です。
中央公論社が1978(昭和53)年に出版した『宇野千代全集 第12巻』の年譜には
・「妊娠」
・「流産」
・「出産」
といった記述を確認することはできません。
一方、宇野千代の人生を題材にした伝記や小説、NHKの朝ドラ「ブラッサム」の6週のあらすじでは妊娠や出産を思わせる描写があります。
特に1977(昭和52)年に出版された『宇野千代全集 第4巻』に収録されている『私と子供』には、宇野千代自身をモチーフとした主人公の「私」にはかつて「寵子(ちょうこ)」という子供がいたという設定になっています。
そのため、宇野千代が妊娠したとも、一度も妊娠しなかったとも断定できません。
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『宇野千代全集 第12巻』とは?
宇野千代が妊娠した事実があるかどうか、1978(昭和53)年6月20日に中央公論社(現在の中央公論新社)が出版した、『宇野千代全集 第12巻』の記述を基準とします。
『宇野千代全集 第12巻』の巻末には1897(明治30)年に誕生した宇野千代が、1978(昭和53)年4月の81歳(当時)になるまでの年譜が事細かに記されています。
年譜の信用性|宇野千代と関係の深い中央公論社が刊行
この年譜には宇野千代がそれまで生きてきた81年(1978年4月当時)の人生のほぼ各年において、
・家族の出来事
・作家たちとの交際関係
・発表した作品
などが大変詳細に記述されています。
また『宇野千代全集 第12巻』を出版した中央公論社という出版社についても特筆すべき点があります。
中央公論社は総合文芸雑誌の『中央公論』を発行する老舗の大手出版社です。
1922(大正11)年の『中央公論』五月号において、「名物編集長」として知られた滝田樗陰(たきたちょいん)が、まだ新人作家だった宇野千代の長編小説『墓を発く』の掲載を決定。
それ以来、中央公論社は宇野千代の作品や書籍を、数十年にわたって数多く世に送り出しました。
こうした点から、『宇野千代全集 第12巻』の年譜は、宇野千代の生涯を確認するうえで重要な基礎資料の一つです。
→ 宇野千代と滝田樗陰の関係
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年譜には「妊娠」「流産」「出産」の記述がない
一方、宇野千代は生涯において4人の夫と1人の同棲相手を持っていたことでも有名です。
宇野千代は1911(明治44)年、14歳のときに父・宇野俊次の命令で藤村亮一と結婚。
その後、1964(昭和39)年に北原武夫と離婚するまで、4度の結婚と東郷青児との同棲を経験しました。
この1911(明治44)年から1964(昭和39)年までの53年間について、『宇野千代全集 第12巻』の年譜を確認すると、それぞれの男性との出会いや結婚、離婚などが詳しく記されています。
一方で、
・妊娠
・流産
・出産
についての記述は確認できません。
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宇野千代の妊娠に関する3つの記述
ただし、年譜に記載がないことは「宇野千代が一度も妊娠しなかった」ことを意味するものではありません。
そこで『宇野千代全集 第12巻』の年譜を基準として、宇野千代の妊娠を思わせるドラマ・伝記・小説の3つの記述を比較していきましょう。
1. 「ブラッサム」6週|珠が保との子供を妊娠
朝ドラ「ブラッサム」の6週では、宇野千代がモデルとなっている葉野珠(石橋静河)が、夫・木村保(金子大地)との間にできた子供を妊娠。
しかし珠は妊娠7ヶ月で早産し、生まれた子供は亡くなってしまいます。
さらに7週では、珠がもともと元気な子供を産むことが難しい体質であることを医師から告げられます。
「ブラッサム」の6週における時代設定は、1918(大正7)から1919(大正8)年ごろであり、珠は21歳から22歳という設定です。
『宇野千代全集 第12巻』の年譜で、「ブラッサム」の6週に相当する期間を調べると、2番目の夫である藤村忠と正式に結婚したことなどについては言及されていますが、「妊娠」「出産」といった単語は見つけられません。
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2. 『愛して生きて』|尾崎士郎との子供を妊娠
2020(令和3)年2月に出版された、工藤美代子の『愛して生きて 宇野千代伝』には、1924(大正13)年1月ごろ、宇野千代が尾崎士郎との間にできた子供を妊娠したという記述があります。
出産予定日は同年10月でしたが、宇野千代はある医学生から渡された堕胎薬を飲み、その後、妊娠4ヶ月に満たない胎児を流産したと描かれています。
ただし同書は「著者の取材と資料に基づいたフィクション」とされており、この妊娠・流産についての個別の出典は明らかにされていません。
また『宇野千代全集 第12巻』の1924年の年譜にも、妊娠や流産についての記述はありません。
そのため、尾崎士郎との子供を実際に妊娠したと断定することは困難です。
3. 『私と子供』|「寵子」を出産した記述
宇野千代が1935(昭和10)年に発表した短編小説『私と子供』には、主人公の「私」が「寵子(ちょうこ)」という女の子を出産し、生後3日で亡くしたという記述があります。
主人公の「私」には宇野千代本人と共通する点が多くありますが、『私と子供』は小説であり、寵子が実在した娘だったことを裏付ける記録も確認できません。
ただ『私と子供』の作品について興味深いところは、作者が宇野千代自身で、この作品も中央公論社が1977(昭和52)年11月20日に出版した『宇野千代全集 第4巻』に収録されているという点です。
さらに宇野千代は『宇野千代全集 第4巻』の「あとがき」において、自身の気持ちをこう述べています。
その他、幼い子供の出て来る小品にも心が惹かれる。懐かしくもあるが慄然ともする作品集である。
宇野千代 宇野千代全集 第4巻 小説 中央公論新社 313ページ
引用した文中にある「幼い子供の出て来る小品」とは『私と子供』のことでしょう。
読み手の解釈によっては「ひょっとすると…」と思わせる書きぶりです。
なお、『私と子供』の中で「寵子」と呼ばれる子供の存在や、宇野千代に実子がいたどうかについては、以下の記事で詳しく紹介しています。
宇野千代の妊娠に関するFAQ
Q. 宇野千代は妊娠したことがありますか?
A. 宇野千代が実際に妊娠したことがあるのかは不明です。
『宇野千代全集 第12巻』に収録されている詳細な年譜には、「妊娠」「流産」「出産」についての記述は確認できません。
一方、工藤美代子の『愛して生きて 宇野千代伝』や宇野千代自身の小説『私と子供』には、妊娠や出産を思わせる記述があります。
そのため、宇野千代が妊娠したとも、一度も妊娠しなかったとも断定できません。
Q. 宇野千代は尾崎士郎との子供を妊娠しましたか?
A. 『愛して生きて 宇野千代伝』では、1924(大正13)年ごろ、宇野千代が尾崎士郎との子供を妊娠したと描かれています。
しかし同書は「著者の取材と資料に基づいたフィクション」とされており、『宇野千代全集 第12巻』の年譜にも妊娠の記述はありません。
そのため、実際に尾崎士郎との子供を妊娠したとは断定できません。
Q. 宇野千代は子供を出産しましたか?
A. 宇野千代が実際に子供を出産したのかは確認できません。
短編小説『私と子供』では、主人公の「私」が寵子という女の子を出産し、生後3日で亡くしたことが描かれています。
ただし『私と子供』は小説であり、寵子が宇野千代の実在した娘だったとは断定できません。
宇野千代の実子や寵子については、以下の記事で詳しく紹介しています。
→ 宇野千代 子供|実子はいた?小説「私と子供」の娘・寵子も解説
Q. 「ブラッサム」の珠の妊娠は宇野千代の実話ですか?
A. 「ブラッサム」の6週では、宇野千代をモデルとする葉野珠が夫・木村保との子供を妊娠し、妊娠7ヶ月で早産します。
しかし「ブラッサム」は宇野千代の生涯をそのまま描いた伝記ではありません。
『宇野千代全集 第12巻』の年譜にも同様の妊娠・早産の記録は確認できないため、珠の妊娠をそのまま宇野千代の実話と考えることはできません。
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