小説家・宇野千代(1897~1996年)は、長い作家人生を通じて多くの作家・編集者・芸術家たちと交流しました。
20代の頃には東京・本郷の西洋料理店「燕楽軒」で働いたことをきっかけに、滝田樗陰や芥川龍之介らと接点を持ち、その後、小説家として活躍するなかで吉屋信子や梶井基次郎など多くの文学者と親交を深めています。
さらに40代以降も、藤田嗣治や谷崎潤一郎、小林秀雄、青山二郎など文学・芸術界の人々との交流が続きました。
この記事では、宇野千代と交流した主な作家・編集者・芸術家と、それぞれの人物との関係を紹介します。
→ 宇野千代とは?何をした人?
→ 宇野千代の年表
→ ブラッサム モデル一覧
結論|宇野千代は多くの作家・芸術家と交流した
宇野千代は20代から晩年に至るまで、日本の文学・出版・芸術界で活躍した多くの人物と交流しました。
若い頃には、編集者の滝田樗陰や作家の芥川龍之介と東京・本郷の「燕楽軒」を通じて接点を持ち、小説家となってからは吉屋信子、梶井基次郎、川端康成、萩原朔太郎、広津和郎らとも交流しています。
40代以降も交友関係は広がり、藤田嗣治、谷崎潤一郎、小林秀雄、青山二郎など、文学だけでなく美術や出版に関わる人々とも親交を深めました。
こうした人間関係の一部は、宇野千代をモデルとする主人公・葉野珠が登場する朝ドラ「ブラッサム」にも反映され、宇野千代と交流した実在の作家をモデルとみられる登場人物も描かれています。
→ 宇野千代の年表
→ 宇野千代と滝田樗陰の関係
→ 宇野千代と芥川龍之介の関係
→ 宇野千代と吉屋信子の関係
→ 宇野千代と梶井基次郎の関係
→ ブラッサム モデル一覧
宇野千代が20〜30代の頃に交流した作家・編集者たち
宇野千代は20〜30代の頃、作家として活動するなかで、多くの作家や編集者たちと交流しました。
滝田樗陰や芥川龍之介とは東京・本郷の燕楽軒を通じて接点を持ち、その後は吉屋信子、梶井基次郎、川端康成、萩原朔太郎、広津和郎らとも交流しています。
→ 宇野千代の年表
滝田樗陰
滝田樗陰(たきたちょいん)(1882~1925年)は、雑誌『中央公論』の編集長を務めた編集者・評論家です。
宇野千代との最初の接点は、宇野千代が東京・本郷の西洋料理店「燕楽軒」で給仕として働いていた1917(大正6)年頃までさかのぼります。
その後、滝田樗陰は宇野千代が書いた長編小説『墓を発く』を1922(大正11)年の『中央公論』5月号に掲載。
宇野千代が小説家として本格的に文壇へ進出するきっかけを作った重要な編集者となりました。
芥川龍之介
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)(1892~1927年)は、『羅生門』『鼻』『地獄変』などの作品で知られる大正時代を代表する小説家です。
宇野千代が「燕楽軒」で働いていた頃、滝田樗陰は芥川龍之介や久米正雄、菊池寛、今東光ら若い文学者たちを店へ連れてきており、宇野千代はそこで芥川龍之介を目にしています。
また芥川龍之介の短編小説『葱』には、燕楽軒で働いていた宇野千代と今東光のエピソードが題材として取り入れられた可能性があり、宇野千代自身も後年そのことについて回想しています。
吉屋信子
吉屋信子(よしやのぶこ)(1896~1973年)は、『花物語』『安宅家の人々』などで知られる小説家です。
宇野千代とは同時代に活躍した女性作家で、1920年代から交流がありました。
1939(昭和14)年に宇野千代が北原武夫と4回目の結婚をした際には、帝国ホテルで開かれた披露宴で藤田嗣治とともに仲人を務めています。
梶井基次郎
梶井基次郎(かじいもとじろう)(1901~1932年)は、短編小説『檸檬』などで知られる小説家です。
宇野千代と梶井基次郎は、1927(昭和2)年に静岡県の伊豆・湯ヶ島で交流。
当時、宇野千代は夫・尾崎士郎と湯ヶ島に滞在しており、同じ土地で療養生活を送っていた梶井基次郎や川端康成らと親交を深めています。
梶井基次郎は宇野千代に好意を寄せていたことでも知られ、宇野千代自身も後年、梶井との交流について回想しています。
宇野千代が40代以降に交流した作家・芸術家たち
40代以降の宇野千代は、作家だけでなく、画家や美術評論家など文学・芸術界の幅広い人物と交流しました。
→ 宇野千代の年表
藤田嗣治
藤田嗣治(ふじたつぐはる)(1886〜1968年)は日本生まれのフランスの画家・彫刻家です。
第一次世界大戦前よりフランスのパリで活動。
1939(昭和14)年4月1日に宇野千代が北原武夫と4回目の結婚をした際、帝国ホテルで開かれた披露宴では、吉屋信子とともに仲人を務めています。
→ 北原武夫とは?宇野千代の4番目の夫
→ 宇野千代と吉屋信子の関係
谷崎潤一郎
谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)(1886〜1965年)は、日本の小説家です。代表作は『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』で、その高い芸術性から文化功労者、文化勲章を受賞しています。
戦時中に宇野千代とその夫が熱海の来宮駅に近い桃山という地区に疎開していた1944(昭和19)年、宇野千代は貴重な食料を谷崎潤一郎に届けていました。
小林秀雄
小林秀雄(こばやしひでお)(1902〜1983年)は日本の文芸評論家、編集者、作家です。主な代表作は『様々なる意匠』『本居宣長』。
宇野千代が戦後に復活させたスタイル社の季刊『文体』には、小林秀雄の『ゴッホの手紙』が、1948(昭和23)年12月と1949(昭和24)年7月に掲載されています。
宇野千代は5歳年下の小林秀雄を深く尊敬していたことを、後年の著作『普段着の生きて行く私』でも振り返っています。
青山二郎
青山二郎(あおやまじろう)(1901〜1979年)は日本の装丁家・美術評論家です。
宇野千代は青山二郎を通じて、小林秀雄・河上徹太郎・大岡昇平ら、青山二郎のもとに集まった「青山学院」と呼ばれる文士たちとも親交を深めました。
『宇野千代 女の一生』によると、青山二郎から「好いものだけを見分ける眼の訓練」を学んだとされ、青山二郎自身も宇野千代が出版する本について数多くの装丁を行っています。
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宇野千代 滝田樗陰
宇野千代と滝田樗陰の最初の接点は、宇野千代が東京・本郷の西洋料理店「燕楽軒」で働いていた頃までさかのぼります。
その後、滝田樗陰は宇野千代の『墓を発く』を『中央公論』に掲載し、宇野千代が本格的に文壇へ進出するきっかけを作りました。
宇野千代 芥川龍之介
宇野千代は「燕楽軒」で働いていた頃に芥川龍之介と接点を持ちました。
芥川龍之介の短編小説『葱』と宇野千代・今東光との関係など、二人の接点を史実から紹介しています。
宇野千代 吉屋信子
宇野千代と吉屋信子は、同時代に活躍した女性作家として交流しました。
1939(昭和14)年に宇野千代が北原武夫と結婚した際には、吉屋信子が藤田嗣治とともに仲人を務めています。
宇野千代 梶井基次郎
宇野千代と梶井基次郎は、1927(昭和2)年に伊豆・湯ヶ島で交流しました。
梶井基次郎が宇野千代に抱いた思いや、宇野千代が後年振り返った梶井との交流について紹介しています。
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参考文献
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